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MUSIC AS MAGIC!! Singer Songwriter Mellow Symphony's Blog

2017/12/31

2017年が終わる

気が付けば大晦日。毎日をできるだけ噛みしめるように生きているはずでも、あっという間の365日だった…という気がする。

2017年は本当に色んなことが起きた。
あなたにとってはどんな一年だったろうか。

年の瀬に際して、友達と話すときに「自分にとっての今年の漢字は?」などと聞いてみているのだが、僕の場合は変化の「変」の時だったかなと考えている。

生活スタイルや新しい目標など、大きく変わる心構えをしていた年だった。そういうスタートをカナダにいる時に切ったが思わぬ方向にどんどんと流れて行き、気が付けば東京での生活を再び始めてたくさんの予想だにしなかった経験を日本ですることになっていた。

そして色んな周りの友達にも大きな出来事は起きていた。

そんな中でたくさんの再会を果たしたり、誰かと共有できる大切な思い出を刻んだり、新しい出会いを繰り返したりしながら、笑って泣いて怒って、傷ついて傷つけて衝突して…そんな日々を送った。

たくさんの不安があった日本での暮らしも、その不安が当たった部分とその予測を遥かに上回るパンチ力で襲い掛かってきた部分と、不安をあっさり拭い去れたものも…あったかもしれないし、またそんな中でまた新しいことに気が付くことができた。

たくさんの嬉しい瞬間、幸せな瞬間にも立ち会えた。それは音楽を通してだったり、もしかしたら音楽を通さなかった時にもそんな時間があったかなとも思う。

でもやっぱりそこには大抵いつも音楽があってね。


人の温かさにたくさん触れた一年だったな。

なんだかまとめるのが難しい年になったと思う。ごちゃごちゃっとしているというか、良いも悪いも、酸いも甘いも。
すごく「進行形」な感じがしている。
そして2018年に向けてもっと「変化」していくのだと思う。

この年末という最後のタイミングで、尊敬する先輩ミュージシャンのセレンさんから素敵な記事の書きあがりの報告を頂いた。

またこの時のことなど後日ゆっくり書き上げたいと思うが、英語学習に興味のある方や語学留学を検討したことがある方には一読して頂けたら、何かちょっとしたヒントなどがあるかもしれない。

http://wailingual.jp/interview/natori.html


今年のメロウシンフォニー自身の新作音源は「A Beautiful Sound」のみとなったが、合間にプロデュースがあったり、イベント企画があったり、5年ぶりに帰ってきた人間に声をかけてくれた人々のおかげで、何だかんだでライブの機会にも恵まれた。

来年もこれくらいの数のライブ、それも東京以外の場所をもう少し比重を増やしてライブをやれたらいいなと考えている。

そして同時に音源制作も進めたい。

まだまだ進行形。来年もちゃんと歩を進めながらカタチを作っていきたいと思う。

2017年もありがとうございました。
また2018年素晴らしい音楽と時間を共有できますように。

どうかみなさまも
良い新年をお迎えください。


Mellow Symphony 名取

2017/11/27

ひなたぼっこができる場所

先日「ひなたぼっこ」という場所を訪ねてきた。
どんなところかというと、そこは学校に馴染めずに不登校になっている子が週に一度そこへ来て、自分の好きなように、好きなことをして一日を過ごせる「居場所」となるところ。


僕の尊敬する日本人夫妻がトロントにいるのだが、奥様の肉親がその場所を運営していると聞いて以来、ぜひ一度お伺いしたいと話していた。
コンセプトそのものもさることながら、それを僕の生まれ故郷である山梨県でやっていると聞いて、何もせずには居られないというか、そういう気持ちになり、ぜひ訪ねてみたいということで話を通して頂き、今回お邪魔してきた。

そこに来る子供たちは、まだ幼いながら既に経験している範囲の「社会」の中で生き辛さを感じている。
そういう子供たちが(親御さんにとっても)少しでも安心できる時間を過ごし、また力を蓄えて次の一歩へと踏み出していけるまで過ごせる場所。

それがひなたぼっこのコンセプトなのだそうだ。

僕は不登校児ではなかったが、いじめられていたことがあるので、その場所の意味が少し想像できた気がした。

ましてや今の自分がいる環境などを少し思い返した時に、この場所にいる子供たちに共感する気持ちがあった。

そんな思いもあって行ってきたひなたぼっこ。

着いてみるとちょっとしたカフェのような、居間のような?落ち着いた空間。
そしてその部屋にいるみんなの明るい雰囲気に少し驚いた。

子供たちはお菓子を食べたり、おしゃべりしたり、一人で遊んでいる子もいれば、グループで遊んでいたり勉強している子供もいる。

「こんにちは」と僕が挨拶すると彼らからも「こんにちはー」と元気な挨拶が返ってくる。


代表の西岡さんにご挨拶して、ほかのスタッフさんや近くにきた子供たちと少し話しをしていた。
とても居心地のいい空間だった。

事前に僕が歌をうたっていることを伝えていたので一応ギターを用意していったら、せっかくだからぜひ演奏をという話になった。

その場面でも配慮がされていて、僕がライブ演奏をするので、これからみんなで聞きましょう!という仰々しい雰囲気は作らない。
聴きたい人がいれば聴けるように、椅子に座りながら何となく弾きだして、なんとなく歌い出した。

みんなが自由にしてていいんだ。


何人かの子が近くにきてギターカッコいいなあとか、弾いてみたいなあとか、ステキな歌をありがとうと言って僕に話しかけてくれた。

素直に僕はその子達との会話を楽しんだ。


運営に関する苦労などもあるようだが、あの空間にいる子供たちがとてものびのびと過ごしているのがすごく印象的だった。
時間になると自分で食べたお菓子のゴミやお皿を自分で片付けて、西岡さんをはじめとするスタッフに挨拶して、子供たちは帰路に着く。

みんなが自分で正しいと思えることを自分で選択してやっているような印象が「のびのびしている」ように思えたのかもしれない。

いい空間だった。

スタッフの方に話しを聞くと「自分たちが何も教えなくても子供たちは勝手に自分で気がついて自発的に行動するようになるんですよ」と言っていたのがとても嬉しそうでもあり、誇らしいようでもあった。


ひなたぼっこに来る子供たちの数は年々増えているのだそうだ。
あれだけ楽しそうでのびのびした空間ならつい「増えているなんて良かったですね」と言ってしまいそうだが、ひなたぼっこの子供が増えるということは不登校児としてあの場所を必要な子が増えているということを意味する。

山梨県内でも遠くから子供を連れてくる親御さんもいるらしい。

子供にももちろんだが、不登校になった子供を抱える親御さんも本当にどうしていいかわからず、もちろん放っておくこともできず、結果的に四六時中子供といることになり、子育てにおいて息抜く隙間がなくなったりして心身ともに滅入ってしまうこともあるのだそうだ。

そんな親御さんにとってもひなたぼっこの場所は有り難い存在なのだという。


ひなたぼっこという場所…というよりその活動は、日本全国にあるのだろうか?
きっとこういう空間は現代の日本には必要な気がする。

子供たちのみならず大人にも「他人との違いを認めあって生きる」ことができる価値観、互いが認めあって作れる居心地のよい居場所。
そういう場所は大なり小なり、多かれ少なかれ必ず人には必要だ。


可能性が満ち溢れているはずの子供たちが、日本社会にある「こうでなければいけない」といった大小の重圧に押し潰されて人生の可能性がしぼんでしまう前に、他の何かが選択肢としてあることに気が付けたら…
もしくは一度疲れた心を休められる居場所があって、認めてくれる人がいて、もっと自分自信を信じて好きになっていけるように暮らしていければ。
この世で生きることはもう少し違った風に見えてくるかもしれない。

これからもまた訪れたいと思う。

2017/11/22

もう一つ遭遇した出来事

引き続き先日のトロント滞在中のお話。

バスに乗って移動していた日の出来事。
運転手は陽気な方で、乗車してくるお客の一人一人に挨拶をしている。場合によっては声をかけて冗談を飛ばしたり、車内がいい雰囲気に包まれていた。

とある停車場から若い青年が乗ってきた。
彼が運賃を支払う(支払う場所は運転手の真横にある)と運転手が何やら彼に話しかけている。
僕は後方に座っていたため、遠くてよく聞こえなかったが何やら「……次に乗るときは6ドル払って……」とかなんとか話していた。通常の料金が3ドルくらいだから、それの倍くらい?なぜだろう支払ったお金が足りなかった罰則的なものなのだろうか?

口頭でそう言ってはいたものの別に違反のチケットを切るわけでもなし、それで乗車拒否せずに乗せてあげている時点で既にある程度「優しい」のだが、陽気だった運転手さんも怒った雰囲気で青年(もしくは少年か?多分10代だろう)に話していたから、察するに青年は何かしら「してはいけない事」をしたのだろう。

その彼が乗車してしばらくすると、車内の真ん中辺りに座っていた貴婦人が立ち上がった。

降車するのかと思いきや、貴婦人は先程の青年の方へ近付いて行き、片手に握っていた5ドル紙幣を差し出した。「必要だったらコレを使いなさい」とみたいなことを彼に言ってお金を渡し、貴婦人は席に戻った。

僕は「うわあー、トロントってこういうとこだったかも」などと思い出すように心の中で叫びながらただただ感心していた。

青年はお金を受け取りながらも少し驚いた様子でお礼を言っていた。

彼は降車する際にも再度貴婦人にお礼を言って降車していった。


青年が何をしたのか知らない。
貴婦人がお金持ちなのかそうじゃないのか、どういう理由でそれをしたのか、もちろん知らない。
その後青年がどんなお金の使い方も知らない。


でもそういうことが無くても、とにかく起きたその出来事に僕はとても大切なことを見せてもらったような気がした。

2017/11/18

僕がみるトロントの魅力のひとつ

前回に引き続き、トロント短期滞在中での一コマ。

そんな素晴らしい結婚パーティーに参加した日程の前後にも
トロントの街中を行ったり来たり、短い期間ながら会いたかった人たちや行きたかったお店などにできるだけ行って、エネルギーの交換をして街の空気を思い切り吸い込んできた。

やっぱりこの街好きだな、と感じたのはとある日の朝。

出かけようと家をでて歩道を南下すると、同じ道を北上してくるおじさんがいる。
ゴミの日というのもあり、歩道がゴミ箱で狭くなっていた。すれ違うのは難しいと思い僕が道路の反対側の歩道へ渡ろうとすると、おじさんが立ち止まり身体を横に向け僕を先に通そうとしてくれた。
僕は少し驚きつつ、すでに反対側の歩道へ歩きはじめていたのでお礼だけ言ってすれ違った。おじさんはニコリとしていた。

「心優しい人がいるもんだな…」と考えて歩を進めていると、今度は近所の家の前で庭仕事をしているおばさんが「今何時かしら?」と聞いていた。
僕は咄嗟にすれ違い様に時間を伝えて「今日はよく人に話しかけられるな…」などと考えながら先を急ぐ。

すると今度は目の前に見えてきた教会の前で立ち止まっている女性がいる。
ベビーカーを片手、子供をもう片脇に抱えている。彼女は僕を見つけると話しかけてきて「すみません、ちょっと手を貸してもらえませんか?」という。立ち止まり話をきくと教会に入るのに数段ばかり階段があり、そこにベビーカーを持ち上げてもらえないか?という。
確かに子供を抱えながらでは持ち上げるのは難しいだろう。僕は考える間もなくベビーカーを階段の上へ持ち上げた。持ち上げつつよく見るとベビーカーも2人用でちょっと長い。
この教会にはバリアフリー用のスロープもないし、お母さんに「いつも(このベビーカー)どうしてるの?」と聞くと、「いつも誰かに手伝ってもらってるの」という。

ははあ…なるほど。

お母さんは僕にお礼を言いながら「神のご加護を」と言ってくれて、僕はその場を後にした。

このそれぞれの出来事が起きるまでの間、わずか5分足らず。

僕は駅に向かいながらも一瞬の出来事を思い返していた。
人と人とが安心して話しかけたり、困った人が安心して道行く人にお願いできる環境があること、誰かから受け取った優しさを他の誰かに返せるという日常があるのはなんと素晴らしいことだろう。

田舎と都会さのバランス、都市における人口密度、国民性、人種、人それぞれの性格などなど、そういったものが絶妙に絡み合って起きたのかもしれない。

他の国や都市ではあり得ないという話ではないけど、僕はトロントのこういう一面も好き。

2017/11/16

友達の結婚パーティー

先月末から今月の初旬にかけてトロントへ帰ってきた。

大切な友達の一人が結婚したからといって、彼が式(というかパーティー)へ来ないか?と声をかけてくれたのが確か8月後半くらい。
あれからしばらく迷って、他にも色んな理由を探して、思い切っていくことにした。

あの街に帰ったのはちょうど半年ぶりくらい。
見た目など何かが大きく変わっていたわけじゃないけれど、今年のはじめから引き続き日常を共に過ごしているはずだった大好きな友達や音楽仲間たちと短い時間のなかで連日会いに行ってはたくさん話をしてきた。

結婚パーティーは盛大で素晴らしく、新郎新婦共に長く知っているだけに感慨深いものがあった。合間のスピーチの人たちまで知っているし、みんなを眺めながらもう色々うるうるきてしまった。
(実は当日になっていきなり「歌う?」と声かけられたのだが断って正解だったと思う…多分歌ったら泣いてた)

新郎の文化的ルーツである中国とカナダのスタイルが混合した形になった結婚パーティーでとても新鮮だった。
入口でウェディング用のカードを投函(簡易ポストが設けられていた)し、そのカードのなかには「お食事代」としてお金を差し込んである。

どうやら最近のトロントでの結婚パーティーのスタイルはそういう感じらしいという情報を前日に仕入れたので僕は慌てて用意したのだった。

カナダ人ならでは?の新郎と新婦によるダンスやゲームなどがあったり、会場でも久しぶりの友達にたくさん会うことができて、とても平和な空間だった。


兄弟のような彼の結婚を祝う事ができて本当に嬉しかった。
おめでとう、Leslie!!

2017/11/13

ひと月と半つき

言葉をまとめられずにいた。
予想通りかそれ以上に目まぐるしくたくさんの出来事がやってくる東京生活。(自分から出会いに行っている感もあるが)
再開してから半年くらい経ったことになる。

頭の中で巡り巡っていく何かがずーっと周回していて、重いものが先端にある物体が楕円かもしくは無限の線を描くよう、ぐるぐるしながらたまに遠心力のように勢いが強くなりながらも、止まることなく回っていた。

前に進まなくてはならない。


遅かれ早かれ死んでいくこの細胞は、一定の時期から後退の一途を辿っていくと聞いたことがあるが、肉体だけではない何かが人間にはあるとして、それを動かし続けながら新しい自分を見つけたり、より自分の中の深くに潜っていくことで、長い経験による飽きや怠惰や慢心や、その他の"健康的に"生きる為に不必要な感情を遠ざけて置くことができるように思う。

そう思うことすら幻想的かもしれないけど。

さて、どうやって前に進もう?
進みたい道は見えているか?そこに方法も見えているか?
進む時に起こる弊害は何か?解決できる方法はいくつあるか?

人生の価値観がものすごく多様にあることを知って以来、もはや考えるべきは自分の価値観、それを大切にしながら他者の価値観を認め、その存在を受け入れていく。そういう生き方をしていきたいと思うようになってきた。

それでもうまくいかない時もある。うまくいってないことに気付けるならまだしも、うまくいっているつもりになって、実のところはうまくいってなかったり、うまくいってないと思っていたら意外とうまくいっていたり…

複雑だな。

算数のテストとは違って、
僕のやることは常に人と関わるところで成り立っているから答えは一つじゃないし、
常に同じではないのだからそれは複雑に間違いない。

ましてや何度思い出したつもりになっても
なんか「知っていたはずの暗黙のルールのようなもの」を忘れている気がする。

それで擦り減って疲れてしまっているのだから
何とも人間的である。


しかしやはり、できるだけ素直に生きたいものだ。自分にも自分以外に対しても。


2017/11/12

Have you ever loved somebody?

もしもこの世に 一人でも
その胸が痛く苦しくなるほど
愛した誰かがいるとしたら
あなたはとても幸せな人でしょう

この世で生きることは
決して簡単ではないのに
自分と同じかそれよりも大切だと
思える人がいたら
あなたはなんて幸せな人でしょう

その愛は日常に光を当てて
時に涙で水をもたらし
やがて日々の暮らしに花を咲かせ
その花の香りのようにあなたを柔らかく包み込むでしょう


例えばその愛が儚く破れて
あなたの側にはもうないとしても
きっとあなたには分かるでしょう
その胸の温もりはいつまでも優しく
目頭を熱くさせることも容易い

それから先の未来に出会う光にも
似た輝きを見つけることができるのも
また愛の力なのでしょう
あなたはきっとその光を信じて止まない

そしてあなたは祈るでしょう
もう一度取り戻した力を振り絞り
愛した人が心から幸せな日々を送れるよう
世界中のどこにいてもそれがずっと続くように

2017/09/29

Fun-mock Garden at 石巻

新曲「A Beautiful Sound」ができた!
というその日の夜、僕は真夜中に仲間と合流し、雨の中(大きな秋雨前線と台風が西日本の方からきてたんだっけ)東北へと向かった。

9/17は僕たちが仲間のおかげで知って、とても好きになった街、石巻でライブイベント「Fun-mock Garden」だった。
僭越ながらこのイベントは僕も企画の片棒を担がせてもらった。

この企画は僕ともう一人の主催者「高橋ベホイミヒロキンスキー」の串カツ屋での会話から始まった。

彼とその店で合流してよもやまの話をしながら、彼が当時制作に取り掛かろうとしていた初のアルバム(彼はもともとドラマーだが、今ではギターも弾くし、歌もうたうし、トラックだって作ってラップだってしちゃう)の企画を聞いて、僕は楽曲プロデュースの依頼を受けた。

その時点では彼の楽曲を聴いたことは殆どなかったが、僕は承諾し、交換条件として持ち出したのが「もう一度みんなが集まるイベントを石巻でやりたい」だった。

それは僕の記憶に「R」というイベントのことがずっと頭に残っていたからだった。
僕が日本に住んでいなかった5年ほどの間に、いや、それよりちょっと早い2012年にスタートしたイベント「R」。当時東京で音楽や演劇をやっている仲間が、石巻出身のナイスガイ「矢口氏」の呼びかけにより、そしてヒロキンスキーの協力により石巻へ行き、パフォーマンスして、地元の人も巻き込んで思い切り「遊ぶ」。そんなイベント「R」の第一回に参加させてもらって以来、僕は石巻とそこで出会った人たちが好きになった。しかし翌月にはすぐに渡加。イベントは続いていたが僕はトロントにいながらイベントのこと、その仲間たちのことはいつも気になっていた。

またあんな風に集まりたい、時を経て様々な経験をした僕らが再会してお互いをぶつけ合う、それも石巻で。

そんなイベントを実現させるために、ヒロキンスキーという男は適任だった。

かくして彼もその提案に乗ってくれて、彼は自らのアルバムを全力で(各所でスッタモンダしていたようだが)完成させて、イベントは彼のレコ発も兼ねるカタチで無事開催することができた。

「R」とは少し趣向が違う、様々な音楽に寸劇をプラスするという組み合わせになり、笑いや涙、子供の声や美味しいフード、そんなのが揃ったステキなイベントになった。

もちろんメロウも演奏でイベントのオープニングを飾り、小さい子供の拍手をもらいながら何曲か歌い上げた。


イベントの様子はフェースブックのFun-mock Gardenのイベントページに写真や動画でアップされていて、たくさんの素晴らしいアーティストが集まって愛を持ち寄り、至らない部分はありながらも暖かい空間を作ることができた様子がフェースブックのイベントページからも伺えると思う。


言い忘れていたが、ヒロキンスキーという男は極度の「雨男」なので、彼がイベントを主催し、アルバムのレコ発まで絡めてしまえば、台風まで追いかけてくる有様であった。(そんなわけで打ち上げが終わる頃には、ちょっと宙に浮けるぐらいの強風を浴びながら宿へ帰ることになった)


そんな嵐を呼ぶ男のアルバムはコチラでチェックできる。

僕がプロデュースを手掛けた楽曲は香港の舞台で、挿入音楽として使われるのだとか?

じゃあ、次は香港でFun-mock Gardenかな?


2017/09/25

新曲「A Beautiful Sound」について

先日新曲をアップしました。
結構自分としては長く打ち込んでいた気がしているので、ようやく…といった印象です。
新曲「A Beautiful Sound」は、トロントでの生活の中から産まれた曲の一つです。

トロントの好きな景色の一つに「夕焼け」があって、それはもう空が美しく光をまとい、地平線の向こうに太陽が包まれて行くと同時に空が様々な色に、それも自然にしか出せないような色彩で移り変わって行くと「ああ一日の終わりだな。」という…夜を迎えるのに相応しい、明日に向かって希望が持てるようなそんな気持ちにすらさせてくれる美しさなのです。

そんな光景を音に見立てて、それと共に現れる天使の存在を描いたのが本作「A Beautiful Sound」。
いわば空と太陽と、音楽の神様に捧げるような曲ですね。


確か少し寒い季節に書いた曲だったので、もしかすると日本では冬の入口くらいに聴いた方がしっくりくるのかもしれないですね。
一度聴いてみて気に入ってもらえたら、またその時にぜひ聴いてみてください。

これまで同様。頭から爪先までメロウシンフォニーによる制作。(過程でアドバイスをくれた皆さま、本当にありがとうございました)
Bandcampでは投げ銭ダウンロードが可能。そしてSoundCloudにもストリーミングで聴けるようになっています。

投げ銭制について、いくら入れたらいいか分からないという声も以前にあったので、今回は最低金額を100円ということで設定してあります。
それ以下にすることはできませんが、それ以上にすることは可能なので好きな金額を打ち込んで頂ければと思います。

ちなみにクレジットカードについて、JCBカードはダメなの?と聞かれたことがありますが、国際的なスタンダードとしては扱われてないJCBはアメリカからスタートしたBandcampには対応していないようです...でもPaypalは対応しているんじゃなかったっけ?Bandcampはペイパルでの支払いは可能です。


これまでの作品と少し違って?ギターリフと空間系轟音ギターが全体的を覆い、他の楽器やドラムも浮遊感のあるアレンジで曲を構成しています。

それに重ねたメロウ的ハーモニー、ローファイな低音などが混ざり合って、聴いてくれる皆さんが気持ちのいいところまで飛んでいってもらえたら何よりです。


トロントにいる時にもライブでのこの歌をうたっていましたが、一度とあるバーで演奏した時に、目の前に座っていた団体のなかから見知らぬ男女が立ち上がり、僕の演奏にあわせて手を取り合い踊りだしたことがあります。(ライブの時はアコースティックギターで弾き語るのが主でしたが)

その時の嬉しさというか、その光景は僕の中でとてもしっくりきたというか…。演奏しているこちらまで満たされてくるような瞬間がそこにあったことを記憶しています。

色々言っていますが、皆さんが思い思いのカタチで楽しんでいただけたら嬉しいです。


まだまだこれからも引き続き精進していきたいと思います。

そして感想なども気軽にいただけたら嬉しいです。


ありがとうございます。


2017/09/09

兄弟の集い

先日血の繋がった兄弟と一緒に食事をしてきた。
僕には兄が二人いて、それぞれに違う人生を歩んでいるのだけど、たまにタイミングが合うと三人で合流し、飲み食いしながらよもやまのことを話す。

半年振りくらいに会ったのだが、ゆっくり三人だけで会うのは実に何年振りのことだったろうか。
とても嬉しい時間だった。

兄弟の関係性とは本当におもしろいものだと思う。
他の何にも代え難い、一番最初の社会的な構造というか、お互いどこか全然違うけど、どこか底辺でものすごく似通った発想を持っていたり。
僕の根幹を作った経験にしっかりそれはあり、今もそれは確実に影響を及ぼしている。

僕たちは超仲良しというほど、頻繁に会うわけではないけど、どこかでお互いを思い合っているのは伝わってくる。

時には一挙手一投足の全てが苛立つような時期もあった気もするし、お互いに自己顕示欲を振りかざして不毛な戦いを繰り広げたこともあったが、そういう全てが今に繋がって僕にはある種の「分身」のように彼らのことを捉えている節がある。

僕は大好きな友達の結婚式でも感動して泣くようなことはなかったが、兄たちの結婚式だけは何か言葉を発しようとすると涙が出てしまいそうになり、それを堪えるのに必死だった。何でか分からないけど。


二人を見ていると本当に頼もしいし、よく分かっているけど理解できなくて、それでも尊敬している遠い友人のような。


これも愛の形なのかなと思う。

兄弟がいる人は姉妹が、上の兄妹がいる人は下の兄妹が欲しかったなんて話を聞くことがあるが、僕は本当に二人の兄たちがいてよかったと思う。(これは前にも書いたことがあるけど)

もう一つ好きなのは、僕ら兄弟が仲良さそうにしていると喜んでくれる人が一人いる。


母である。


何が嬉しいのか、母は僕らが三人で会ったことを報告すると何だか自分が友達と会ったときのように満足気なのだ。

そういえば偉大な母の言葉に「兄弟なんだから仲良くしろし(甲州弁)」というのが頻繁に出てきていた。「今日はお兄ちゃん(もしくは弟)の誕生日だからおめでとうって言ってあげなさい。兄弟なんだから。」とか「お兄ちゃんなんだから、弟に〇〇してあげなさい」とか、理由になってんだかなってないんだか、そんなことをよく言っていた。

小さい頃には家族社会のなかで最下層にいた僕だったが、その反面で母はそうやって強い人が弱い人を守ってあげるのだ、という事を伝えてくれていたのかもしれない。

何で嬉しそうなのか、その感覚は僕が母親にでもならない限り理解は難しいのかもしれないな。


また兄弟で会ったら母に自慢しようと思う、喜ぶに違いない。


2017/08/26

ライブ at 江ノ島海豚

今日江ノ島の東浜側にある海の家、Beach Cafe海豚というところでのイベント「KiTen Vol.29」でのライブでした。
見に来てくれた方々、CD買ってくれた方々、終演後に声をかけてくれた皆さんもありがとうございました。
今日は前回にやっていた「お品書き」を用意していなかったので、セットリストをこちらに載せておきます。

1. Surfer in the City
2. STAINLESS BUTTERFLY
3. Life is...
4. A Beautiful Sound
5. 地下室にて
6. notebook

というセットリストでした。
3と4は割と新しい曲ですね。

色んな縁が重なって今日のライブに繋がっていったので、それを考えるとありがたいなあという気持ちです。呼んでくれた字書きの精ちゃんにも感謝。


次のライブは9/17の石巻でのライブ「Fun-mock Garden」ですが、都内でのライブはしばらく入っていないないので、その間になんとかレコーディング中の音源「A Beautiful Sound」を完成させたいと思います。


今回のライブの模様は、カメラマンに写真で撮ってもらっているので後日Mellow SymphonyのFacebookなどに掲載したいと思います。

ありがとうございました!

2017/08/13

Fireworks festival

Went to a fireworks festival last night for the first time in 5 or 6 years. It was a lot of fun and touching. 

The fireworks were incredibly beautiful and well structured. I have almost forgotten how gorgeous and elaborate Japanese fireworks are. Some of them have a few colors in one ball and change the colors in seconds after the explosion. Some even have several times of explosions in the balls, these balls show small explosions while they rise until reach up to the maximum height. Some draw particular shapes by the explosions such as a cat, a flower, a pint of beer and so forth. Though I didn't watch yesterday since I settled down a bit far from a river where the event was held, I know some went along with a rhythm of music. The most greatest thing is that the entire event of launching the fireworks lasted over an hour. 
I found myself I got used to watch Canadian fireworks(mostly Toronto, I mean). It's very different. Wish someone could bring a technique of making the fireworks from Japan to Canada. I'm sure friends of mine in Canada will say that they like it too. I assume some of other asian countries have as beautiful as we have.

For a place of viewing, I went to an interesting cafe/ restaurant with my roommate. The restaurant is one of my roomy's favorite places and is also fantastic. They serve vegan foods with an unique style called Macrobiotic. All the dishes are tasty. But not only that, they somehow recalled some of my friends living in Toronto as well. I don't see many vegans or vegetarians friends here in Tokyo. 
There is a rooftop patio at the cafe, so we comfortably enjoyed watching the fireworks with having tasty yet healthy foods. One more amazing thing last night was that people at the cafe were all friendly and open. We shared a table with a eight-year-old kid and his mom. He is a very outgoing boy so we didn't take that long time to become friends.


Good people, good foods and the fireworks.

Glad I experienced this type of summer activity. To me, this is a very traditional, cultural and authentic way of enjoying the season in Japan. 

2017/08/11

暑い夏をポジティブに乗り切れ!

夏は暑い。
夏はめちゃくちゃ暑くて、その暑さは体調さえ崩すほどである。
というのを改めて思い出している東京での8月。

フジロックの(帰りの日に浴びた直射日光による)日焼け後の皮がむけてきて、本格的な日本の夏の暑さと湿気と、梅雨明け後の荒れがちな天気を味わっている。

様々な大小の経験を繰り返しながら、新しくも懐かしい、自分にとっての日本の…というか東京の好きだったところとそうでもないところを噛み締めたりもしている日々だ。

できるだけポジティブな気持ちでいることを心掛けているのは、自分のパフォーマンスに影響するので、心をフレッシュに、身体をフレッシュに保ちたいという意識がある。

それでも一つの事柄について考えすぎてしまったり、気がつくと俯きがちになっている自分に気がつくときがある。

例えばそれは大切な人を傷付けてしまったり、自らの愚かさが故に大好きな人を嫌な気持ちにさせてしまったり、それが一度のみならず今年に入ってから何度か起きている…いや、起こしてしまっている。

悲しい。

人からの嫌悪をかうことほど、残念なことはない。ましてやそれがこちらが好きな人なら尚更だ。

しかもそこにお酒が絡んでいるとなるともう穴を掘って入りたくなる。

自分が気付いていないだけなのか、これまで似たような出来事はそこまで頻繁には起きていなかった(全くなかったとは言わない)。

自分の細胞や環境の変化、相対する人々にも起きているそれらによって、相対的に何かが変わってきているのかもしれないなとも思う。


思い起こせば去年の今頃も友達に(当時、ほぼ毎日お酒を飲んでいると言った僕に対して)「しんご、お酒の飲み過ぎは健康に良くないし、依存性があるから気を付けた方がいい」と言われ、減酒キャンペーンを行っていた。

確かに全体でお酒を飲む量は減った、エクササイズの機会も増やしたし、それにより体重も少し減った。でもそれは自分の健康のことを考えていてのことだった。

でも今度は飲み方を変えた。一度の席で飲む量。

その場を気持ちよく、楽しく過ごせる量(問題は酒の量だけではないのだろうけど)。

好きな人々を傷付けない方法。


やめてもいいのかもしれないが、お酒自体は好きなので、一人で飲んでも楽しめなくなったらやめてもいいかなと思う。



最近集中して作業を進めている曲が、ようやく仕上がってきました。
それについてもまた報告しますね。

2017/08/03

6年振りのFuji Rock Festival!

先週末は日本を代表する野外フェスの一つ「Fuji Rock Festival」へ遊びに行ってきた。
フジへ行けたのは実に6年振りだと思う。トロントにいる間にもいくつか音楽フェスには行ったが、僕が行ったのは割と都市型のものばかりで、日本でいうところの「サーキット」的なイベントがほとんどだった。

だから苗場へ再び遊びに行けたことはとっても嬉しかった。
あの雰囲気、ただただ至る処で流れている素晴らしい音楽(好きかどうかは別にして)に身を委ねるだけ、文字通り「浸る」。
美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲んで、且つ同時にイベントの中に見られる環境や自然を大切にするようなコンセプト、そんなのが集まったピースフルで熱いロックフェスティバル。

ひたすら一日中好きなバンドやアーティスト、または兼ねてから気になっていた音楽、または気にもなっていなかったけどたまたまそこに居合わせたら聴こえてきたカッコいい音楽、そういうものに囲まれて過ごした三日間。

夜はキャンプサイトのテントへ戻り、寝袋で睡眠を取り、時には山の急な天候の変化に大雨に見舞われたりもしながらずぶ濡れで音楽を聴いたり、友達と会ってはお互いが見た音楽について語ったり、自分だけで楽しむのではなく誰かとシェアするということも含めて、とにかく夢のような時間だった。

同行させてくれた友達、今年行きたいけどどうするか迷っていた僕に「行こう!」と声をかけてくれたワンダフルルーミー、余ったチケットを譲ってくれたミュージシャン、テントへ招きいれてくれた友達、現地で久しぶりの再会を果たした友達、出店していて激務のなか遊びに行っても優しく対応してくれた友達、みんなのお陰で最高の経験になった。とても感謝している。

どのアクトが良かったのか、思い出す度に考えたりするけどどれも甲乙付け難くて、決めるのを諦めた。
自分が観たかったパフォーマンス、観るつもりもなかったのに観たらめちゃくちゃよかったもの、通り掛けにちょっと観ただけなのに思わず涙が出てしまったもの、気になってたけど観てみたら思ったほどでもなかったもの、曲を知らないけど演奏力などで物凄く惹きつけられたもの、とにかくたくさん観たので、思い返しながら気になったアーティストを掘り下げたり、チェックしてなかったアーティストの最新作などを少しずつ聴いてみている。

これからも音楽をもっと聴きたくなる、そういう三日間だった。
2017年、期待していなかった素敵なことが起きて、とても忘れられない夏になりそうだ。


2017/07/26

散歩回想

日々の暮らしを楽しめているかな。

この国に帰ってきて、また東京で暮らすようになって
たくさんの人たちと再会し、
再び話すようになって、日々色々なことを吸収している。

一度の再会を祝うのと、生活しながら会って話すのは
やはり少し違う。

この東京で暮らし始めた2ヶ月弱の間だけで、
色んな刺激を受けてきた。
今日の散歩中にはそんなことの断片を
少し思い出しながら歩いていた。


いや、歩いていたら思い出していたのかな。


予想もしていなかった事が起きて、それに対応しながら
なんとかやってみようと探りながらこれまで動いてきているけど
周りにいるみんなに助けてもらいながら、
何とか今のところやれている。

ありがたいなって、そのことを思い出していた。

ちょっと近所を散歩しながら厄除けの寺を見つければ
厄年を控えている友達のことを思いだしお参りしてみたり、
ちょっと銀行に…なんて歩いていけば友達の家の近所を歩いていることに気が付きふと連絡してみたり、
散歩からの帰り道、昨夜家の近所で遭遇した野良猫のことを思い出してみたり、
そしてその時ちょうど帰宅寸前だったワンダフルルーミーがセミに襲われていたことを思い出してみたり、
ちょっとお花を覗きに友達のお花屋さんまで散歩してみたり、
サイクリングがてら友達のラーメン屋さんへ行ってみたり、
友達に誘われて阿佐ヶ谷の街で飲み歩き、気がつけばセッションしていたり、
下北沢の街を散策がてら出かけたついでに友達のカレー屋さんへ寄ってみたり、
いっつもそこには音楽が一緒だったり。

日々の生活に思い出す大好きな人たちのこと。
そんなことを考えるだけで少し幸せな気持ちになれる。
大切にしたいものごとを、大切にしたいと思うときに、大切にする。


良いことばかりがあるわけじゃないけど、
できるだけポジティブに物事を受け止めていきたいと思っている。
尊敬する素晴らしい人たちに囲まれて、
自分ももっと成長していきたいと思っている。


美味しいコーヒー屋さんを近所で見つけたよ。


2017/07/21

土曜日のライブ2

先週末は綾瀬にある「カフェオ猫と15の椅子」でライブでした。


観に来てくれた皆さん、ありがとうございました!

セットリスト
1. Full Moon Coffee
2. Surfer in the City
3. Feather
4. Cook song
5. A Little Prince
6. notebook

Encore
エンゲージ

というセットリストでした。
前回のライブから来場者にセットリストを事前に配る「本日のお品書き」システムを採用しているのですが。今回はそれも手伝ってか、セットリストに少し意味というか…前よりも意図を考えるようになりました。以前はライブ全体の流れ…とか考えていたけど、もっとなんか、楽曲群…という感じで。

例えば今回のように小さなハコで、お客さんと近い距離で向かい合って…という事なら、親近感を感じられるような、静かで心地よい…ともすれば眠りたくなっちゃうような安心感?のあるライブにしたいな、とか。
しかも季節も夏だし、梅雨明け前だし、雨とか夏のことをみんなで感じれる曲を並べてみようかなとか。

そんな風に考えてセットリストを組んで、それでお客さんにそんな話をして、みんなの目を見て、歌う、と。

突発的な?機会で演奏するものとは確かに違う、そういう夜にできたんじゃないかなと思います。
CDも買ってもらえたり、良かったよって声をかけてもらったり、写真一緒に撮ったり、そういうライブ後の状況から、みんなも楽しんでくれたのかなと感じました。

こういうやり方で続けてみんなが楽しめたら、観に来てくれた人も「また来たいな」「また観たいな」と思ってもらえるかなと。そう思ってもらえたら嬉しいなという気持ちです。

イベントを組んでくれたスタッフの方に感謝だし、共演したシュガーフィールズさん、hajimepopさんも素晴らしかったし、みんなでつくった「いい夜」でしたね。

ライブ映像などまたアップしますね。

次のライブは8/26に海の家で。食べ放題、飲み放題込みのイベント!
夏っぽい日になりますよー。興味ある方はフェースブックのイベントページをチェックしてみてくださいね。https://www.facebook.com/events/115114382407477/


それではまた書きます。

2017/07/14

土曜日のライブ1

先週土曜日は阿佐ヶ谷マスウェルにてライブでした。
観にきてくれた皆さん、投げ銭してくれた方々、そして呼んでくれた「はっぴいえいと」主催のパインズマインズ、ありがとうございました。
セットリストはこちら。

1. Phaser
2. LOVE MUSIC
3. 月の踊り子
4. Surfer in the City

パインズマインズのイサムとウクレレセッション
5. 鏡(カバー)
6. シャ・ラ・ラ(カバー)

7. The other side

パインズマインズ+キック(ベーシスト)によるスペシャルバンドでセッション。
8. Sunday Morning(カバー)
9. notebookという流れでした。

せっかくの盟友パインズマインズとの共演という事もあり、
なんかいつもやらないようなことをやってみようと思い、
バラエティに富んだステージになったように思います。

そうこうしているうちにもう次のライブが!
明日は綾瀬。カフェオ猫と15の椅子という、一風変わった場所へ行ってきます。
初めての場所なのでわくわくです!

最後に、この日のライブの最高潮だったウクレレユニットの写真を。



2017/06/24

そして今一度上京

6月も3週間ばかり経って、
すっかり僕の日本人らしさ?も戻ってきた…かもしれない。

改めて噛み締める回数も減ってきたが、今月から東京で暮らしている。

そう、あの頃みたいにね。

二度目の上京、とも言えるだろうか。


初めて上京したのはもう10数年前。同じように都外から上京したことのあるあなたは、あの時の無敵感を覚えているだろうか。
決して「向かうところ敵なし!」などと踏ん反り返っているわけではなかったが、あの頃の僕は何にもしていないくせに、なんか出来るような気になっていたように思う。
一人でなんでも出来るんだ。親のもとを離れたって生きていけるんだ!…とでも思いたかったのだろう(仕送りしてもらってたくせに)。
それまでの人生ではおよそ経験したことがなかったようなことが出来るようになって、自分でコントロールできることが多くなって、少し気が大きくなっていた時期だったんじゃないかな。

そしてその後に、じわじわと無力感をおぼえるようになるのだけども。

あの頃のような過信めいたものが、新しい暮らしにあるわけではなくて。
新しいスタートに、やってみたいことに、その可能性を模索するプロセスに、ワクワクしている自分がいる。

都内の慣れ親しんだはずの場所に行っても、数年ぶりのせいか、それ以外の原因か、今までとは少し違う気持ちで受け止めている。もちろん、思い出がよみがえることもあるけど。全てが新しいような、今までとは少し何かが違うような。


噛みしめて振り返るのが約3週間と遅くなるくらい、新しい出来事は日々少しずつ起きている。新しい生活スタイル、ワンダフルルーミー、新しい出会い、そしてその人たちと触れ合う機会。

人が変われば暮らしも変わるし、暮らしが変われば人も変わるのだろう。

どんな風にしていけるか、前向きに楽しみながら色々やっていきたいと思う。
今までにやったことないこと、やりたくなかったこと、やらないようにしてたこと、やってみたかったこと、そういうのも(選びながらだけど)見付けて試していきたい。


何が起こるか分からない。
そういう街で、そういう風に生きていたいからね。


2017/06/07

聞いてはいけない

先日友達と話をしていて、とても興味深い、ある一つの日本人特有の文化らしきものの存在を思い出した。

友達があるものをくれるという。
「もう自分は要らないから、あげようか?」というので、有り難く頂きたいと返事をした。
ただ友達は「別の友人から譲り受けたものだから、古いし、使用感がある」という。
それでもいいから頂きたい、幾らで譲ってくれるのかを聞いた。

友達は「金など要らない。ただ本当に使い古したものだからね。」と念を押された。
そこで「別にどっか壊れてるとことかないでしょ?」と僕も念を押し尋ねると、それはないとの事。

友達ってありがたいなぁ、と思っていたら後日「この前のやり取りなんだよ」とその友達(怒っているのではなく、あくまで友達として言ってくれている)。

”幾らで譲ってもらえるの?” とか ”壊れてるところがないのか?” とか…聞くまでもないだろう、と。


でも、聞かなくちゃ分からないじゃん。

と言うとそこで
「でも聞いちゃったらそれはそれでアレだろう…」と。

あー!!!

そういうのあった!とその時思い出した。

北米で暮らしていた時、よく言われた事がある。

「聞いてみたら?」

暮らし始めた当初、それを言われる度によく思っていた。

そりゃ聞けたら楽だけど、それを聞いちゃいけない気がしてるからどうしたらいいかって考えているんだよ…って。

(この気持ちを説明できるようになるのにまず時間がかかったが)説明しても彼らにはよく分からない。

聞いた方がいいなら、とりあえず聞いてみればいいじゃん。なんで躊躇う必要があるの?

この手の状況に出くわす度に、日本人は物事を難しく、複雑化して、考え過ぎているのかな…と感じた。

そして彼らカナディアンが、日本人の文化を理解しているかいないかに関わらず、これは一種の「複雑化してしまった状況に対する、単純化した解答」のように感じられた。

そうして事あるごとに、行動を起こす前に思案する僕に「とりあえず聞いてみればいいじゃん」と投げかけてくれて、「そうか、とりあえず聞いてみよう」と繰り返してきた。


それが身体に染み付いていること。
そしてそれが日本人にとっては少し違うのだと言うこと。
言いようによっては、質問そのものが相手に対する不信感の表明のように受け止められる可能性があること。

質問をした瞬間、その話が(最悪のケースとして)破断になる可能性もあるということ。またその可能性が北米に比べて高いこと。


ステレオタイプ、アサンプション(思い込み)、慣習、常識感、倫理観、性格


大きなところから、小さなところまで、人間の考え方は本当に多様で、どこに自分をカスタムしたり、どこにアジャストしていくのか、またはそうしないのか、


その選択が君の一部を形作る。
そしてもしかしてそれはただの外側に過ぎないかもしれないし、それが人間の大部分を占めることにもなり得るのだろう。



2017/05/28

散歩

散歩をよくする。
最近部屋での作業が多いので、体調管理を兼ねつつ気分をリフレッシュする為にも外を歩く。(あと…少し体重も気にしてる)

外を歩くのは昔から好きで、ある時「子供の成長には自転車の速度より、歩く速度の方が得られる情報量が多くなって良い」みたいなことをテレビかなんかで知り(しかも割と成長してから)、おぉ、歩くのっていいな!と思うようになった。

それと50m走や100m走、マラソンなど「走る」競技は昔から好きじゃなかった。足が遅いから。走るのが好きになる人は、大抵得意というか、勝てるからじゃないかな、と思う。どうだろうね。とにかく「走ると、ホント気持ちいい」みたいなのが未だによく理解できていない。
ただ歩くのは好き。
(ついでに自転車に乗るのも好き)

自分の足を使って移動する…という意味合いで好きなのかなとも思う。それで身体にもいいなら更に良いじゃん!と思っている。

ということで歩くのだけど。(おかげさまで少し減量しました、今のところ)

2月半ばから拠点にしている、ここ山梨県は僕が生まれ育った場所。東京で一人で暮らして、その後トロントに行って…と考えた時に、この地を拠点にするのはおよそ15年振りくらいになることに気が付いた。


15年振りに歩くこの街並みよ!


大きく変わっているところもあり、全然変わっていないところもあるんだけど。歩きながら出てくる記憶は幼い頃のことばかり。
僕はこの街があまり好きではなかったんだけど。
それでも何か思い出すと、あぁ…こんな風にして過ごして、当時はこんな風に感じていたっけなぁ…みたいな。

なんか発見というか、成長を感じるというか、改めて長い年月を見つめ直す機会になるね。
それが良いか悪いかは別として。

未来に向かって生きて行くことを肯定的に捉えられる気持ちです、僕にとっては。

もしかしたら歩く速度そのものも、そうやって考え事をするキッカケを与えてくれてるのかな。



歩こう!!!


2017/05/20

そして帰国。

慌ただしい2〜3ヶ月を過ごしていた。
身も心も落ち着かず、しばらく宙に浮いていたようだ。(事実として身体は上空を移動していたりもしたので、本当の意味で宙に浮いていたともいえる)

2月半ばにトロントから帰国し、日本にいるたくさんの仲間たちと3年半ぶりくらいに再会しながら、何週間か過ごした。新しい出会いも合間にありながら、色んなフィールドで活躍する色んな人たちとエネルギーをたくさん交換し満タン充足。

新しいステージへ向かうには最高の状態と思えた矢先、状況が急変。

一週間ほど現状を飲み込むことに費やしながら、同時にこの先どう生きていくかを考え、調べて、誰かの力を借りたりしながらも、とにかく自分で次の道への決断をしなければならなかった。

それで僕はこの国に残ることにした。

それも今まで東京でやってきたやり方と同じやり方ではなく、トロントでの経験を活かした、違う価値観を取り込んだ別のライフスタイルを作りたい。
音楽と日々の営みとがより調和した、トロントで暮らしていた時のスタイルに似たものが、ここでもできたらオモシロイんじゃないかって。

少なくとも今はそんな気持ちをもって、前を向いて、日本で暮らしてみようと。

これは今までとは違った角度での挑戦。
新しいステージへ進むためのステップ。
この状況はそれを試すための機会だと捉えることにした。

それで4月になってもう一度トロントへ行って、戻ってくるつもりで残してきた荷物の整理と、向こうで世話になった人たち、大好きな友達、音楽仲間たちにできるだけ会ってまた次の再会を約束して、しばしのお別れをしてきたというわけ。(その間にイベントプロデュースの大きなプロジェクトもあった)

日本では今は少し肩身が狭いけど、ちょっとずつ起こり始めている新しい出来事に、僕自身も多少の不安はありつつも同時にワクワクしている。

少しずつ変化していくこの国と自分自身と、分かりたい人、大切にしたい人たちとこれからも対話を続けながら、生きていきたいと思う。


トロントにいつかもう一度住むことができたらとも考えている。
あの街の気候や景色が、出会えた人たちが好きだし、色々難しいことはあるけど、互いの違いを認め合い許し合う、そして当たり前のように自分たちとその周りの人々を愛する、そういう価値観がある場所は長く暮らすのにいいなと思う。


トロントが恋しくなることはもちろんあるし、これからもあると思う。
彼らに会いたいと思うけど、住む場所が離れ離れになったからといって、縁が切れるわけではないというのはもう知ってる。

ちゃんと僕が思って、届けようとすればそれは世界の反対側であっても届くし、繋がっていられる。


それは東京の仲間がそうであったように。