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2017/11/27

ひなたぼっこができる場所

先日「ひなたぼっこ」という場所を訪ねてきた。
どんなところかというと、そこは学校に馴染めずに不登校になっている子が週に一度そこへ来て、自分の好きなように、好きなことをして一日を過ごせる「居場所」となるところ。


僕の尊敬する日本人夫妻がトロントにいるのだが、奥様の肉親がその場所を運営していると聞いて以来、ぜひ一度お伺いしたいと話していた。
コンセプトそのものもさることながら、それを僕の生まれ故郷である山梨県でやっていると聞いて、何もせずには居られないというか、そういう気持ちになり、ぜひ訪ねてみたいということで話を通して頂き、今回お邪魔してきた。

そこに来る子供たちは、まだ幼いながら既に経験している範囲の「社会」の中で生き辛さを感じている。
そういう子供たちが(親御さんにとっても)少しでも安心できる時間を過ごし、また力を蓄えて次の一歩へと踏み出していけるまで過ごせる場所。

それがひなたぼっこのコンセプトなのだそうだ。

僕は不登校児ではなかったが、いじめられていたことがあるので、その場所の意味が少し想像できた気がした。

ましてや今の自分がいる環境などを少し思い返した時に、この場所にいる子供たちに共感する気持ちがあった。

そんな思いもあって行ってきたひなたぼっこ。

着いてみるとちょっとしたカフェのような、居間のような?落ち着いた空間。
そしてその部屋にいるみんなの明るい雰囲気に少し驚いた。

子供たちはお菓子を食べたり、おしゃべりしたり、一人で遊んでいる子もいれば、グループで遊んでいたり勉強している子供もいる。

「こんにちは」と僕が挨拶すると彼らからも「こんにちはー」と元気な挨拶が返ってくる。


代表の西岡さんにご挨拶して、ほかのスタッフさんや近くにきた子供たちと少し話しをしていた。
とても居心地のいい空間だった。

事前に僕が歌をうたっていることを伝えていたので一応ギターを用意していったら、せっかくだからぜひ演奏をという話になった。

その場面でも配慮がされていて、僕がライブ演奏をするので、これからみんなで聞きましょう!という仰々しい雰囲気は作らない。
聴きたい人がいれば聴けるように、椅子に座りながら何となく弾きだして、なんとなく歌い出した。

みんなが自由にしてていいんだ。


何人かの子が近くにきてギターカッコいいなあとか、弾いてみたいなあとか、ステキな歌をありがとうと言って僕に話しかけてくれた。

素直に僕はその子達との会話を楽しんだ。


運営に関する苦労などもあるようだが、あの空間にいる子供たちがとてものびのびと過ごしているのがすごく印象的だった。
時間になると自分で食べたお菓子のゴミやお皿を自分で片付けて、西岡さんをはじめとするスタッフに挨拶して、子供たちは帰路に着く。

みんなが自分で正しいと思えることを自分で選択してやっているような印象が「のびのびしている」ように思えたのかもしれない。

いい空間だった。

スタッフの方に話しを聞くと「自分たちが何も教えなくても子供たちは勝手に自分で気がついて自発的に行動するようになるんですよ」と言っていたのがとても嬉しそうでもあり、誇らしいようでもあった。


ひなたぼっこに来る子供たちの数は年々増えているのだそうだ。
あれだけ楽しそうでのびのびした空間ならつい「増えているなんて良かったですね」と言ってしまいそうだが、ひなたぼっこの子供が増えるということは不登校児としてあの場所を必要な子が増えているということを意味する。

山梨県内でも遠くから子供を連れてくる親御さんもいるらしい。

子供にももちろんだが、不登校になった子供を抱える親御さんも本当にどうしていいかわからず、もちろん放っておくこともできず、結果的に四六時中子供といることになり、子育てにおいて息抜く隙間がなくなったりして心身ともに滅入ってしまうこともあるのだそうだ。

そんな親御さんにとってもひなたぼっこの場所は有り難い存在なのだという。


ひなたぼっこという場所…というよりその活動は、日本全国にあるのだろうか?
きっとこういう空間は現代の日本には必要な気がする。

子供たちのみならず大人にも「他人との違いを認めあって生きる」ことができる価値観、互いが認めあって作れる居心地のよい居場所。
そういう場所は大なり小なり、多かれ少なかれ必ず人には必要だ。


可能性が満ち溢れているはずの子供たちが、日本社会にある「こうでなければいけない」といった大小の重圧に押し潰されて人生の可能性がしぼんでしまう前に、他の何かが選択肢としてあることに気が付けたら…
もしくは一度疲れた心を休められる居場所があって、認めてくれる人がいて、もっと自分自信を信じて好きになっていけるように暮らしていければ。
この世で生きることはもう少し違った風に見えてくるかもしれない。

これからもまた訪れたいと思う。

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