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2013/01/16

Joshua BellとWashington Postのいたずら

について。
FBを通して、(僕もシェアさせてもらったが)情報が飛び交っている?ようだ。

確かに、興味深いお話だ。
気になって調べてみたところ、2008年の出来事のようだ。なぜ、このタイミングでこの記事が(しかも誰かの記事を日本語に訳したような文章が)出回っているのかは、よく分からないが、まぁ、さすがSNSという事になるのだろうか。

興味深い…で、止まらずに、僕はなんだか少し悲しくなった。

この記事、これは「美しいものを見たり、感じたりする心を最近忘れたりしてませんか?子供たちは純粋に気がついているみたいだよ?大人になっても大切にしようぜ」的な事を訴えかける文章のようである。

が、僕は、泣きそうだった。

世界的に素晴らしい(とされる)ミュージシャンですら、
大勢の前で、何の演出もなく、ましてや忙しい通勤ラッシュの時間帯に、演奏していると、「殆ど気にもされない」のか???と。


この実験、例えば大きな看板、POPをデカデカと掲げていたら、どうなっただろう。
事前に大々的にプロモーションしたり、彼のバイオグラフィーを分かりやすく魅せたり、特設ステージを作って演奏していたり、それこそもっとメディアに露出をしているような、顔が一目で分かるミュージシャンならどうだろう、
同じ時間に通りかかる同じ人々は、同じ行動をしただろうか…と考えた。


もっと人が止まったかもしれない


この実験は、美しいものに反応する事に関連して、皮肉にも、音楽を聴く人々が「美しい演奏以外の何か」に価値観を見いだしている可能性がある、というのを示唆しているようにも思えてしまった。


とんでもなく素晴らしい演奏をしても、
ある意味「気付かれなければ」小一時間で30ドル前後(まぁ、それも十分すごいと思うけど)という事実。そして、拍手喝采はおろか、多くの人が自分の前を、ただただ、急ぎ足て通過して行くだけの光景。

例えば、演奏したJoshua本人は、一体どういう気持ちになったのだろう…なんて。


いずれにせよ、美しいものに対するアンテナはいつも持っていたいし、
音楽が不要な誰か、にとっては音楽というのは、必ずしも美しい、素晴らしい、価値あるもの、には鳴らないという「こんなもの」的な感覚も、どこかに持っていた方がいいのではないか…

などと、考えた日であった。

Joshuaの演奏をもっと聴いてみたいよね、それはそれとして。

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