2020/12/28
街の空気か受信アンテナが不調
2020/10/11
新しい生活様式
そんなことが政府関連の報道やニュース番組で流れる
なんだか今は誰もがみんな模索している気がしている…本当に誰もがというわけではないけど。
多くの人が、新しい生活様式に対して「そんなのあるのか?」って思いながら
今の状態が一時的であることを願いながら
それでもこのあまりに長い「一時的」の状態に耐えかねて
何かを変えてみようとしたり
溜まったストレスをどうにか解消するはけ口を探したり
これまでギリギリで保っていた人たちは
それがボロボロと崩れているように思う
気が付けば、僕が最近読んでいる本は
マインドフルネスとか、生きることに関する詩集とか。
どうやって精神の健康を保とうか、というアイディアを求めているような…
新しい生活のスタイルを形成したり、受け入れるというより
この状況下で、自分が安心、安全、安定した状態でいるために
欲するものはなにか
そんなことを誰もが探し、得ようとしているのかもしれない
2020/09/15
乗り遅れるキャンペーン
マーケティングというものにここ4、5年のうちに興味を持ちはじめ
本を読み、話を聞き、知識を少しずつ深めようとして
気が付けばマーケティングというものと密接に関わる仕事をやっている
そんな中、日本に帰国してから(カナダの文化との違いなのか)商業、販売戦略の上で、やけに目を引くPR戦略や、キャンペーンがあることに気が付き…これはとても興味深いなと考えていた。
電子マネーが本格化した近年、PayPayがでたときのあの大々的なキャンペーンはすごかった。
あの時、大型なキャッシュバックキャンペーンにより、一気に存在感をユーザーに植え付け、みながPayPayを利用し、利用者はちょっとお得をした分、どんどん消費をしたと思う。
各店舗もあの時一気にPayPayを導入するところが増えた。
(まあその後気が付けば、トロントでは圧倒的にキャッシュレスが進んでいたけど)
PayPayはちょっと前にもセブンイレブンのお会計で700円以上使うと、先着でChumsのエコバッグがもらえるというキャンペーンもやっていて、レジ袋有料化の流れとうまく沿ったキャンペーンに感じた。社会にあるニーズと、消費のマインドのバランスを上手に見えている気がした。
ほかには、ポイント〇倍!!というキャンペーン。
ポイントカードで顧客を囲い込む時代もひとしきりやり切って、財布にはポイントカード、スタンプカードだらけ。その中で、どうやって差別化をはかるか。どうやったらそのお店により多く、わざわざ選んでいくようになるか、そういう側面での施策なのだろう。
2倍3倍ならまだしも、たまに5倍、10倍とか、プラス100ポイント!という数字を見て、「そんなにアップするなら最初からもうちょっとポイント付くようにしたら!?」とすら思い、驚いた記憶がある。
それにしても太っ腹というか、今日日のキャンペーンはそれぐらいしなければ効果が思うように出ないのだと思う。
みなが注目し、みなが使いたくなり、みなが使った上で、お得だ!と思うことで、利用される数があがり、ひいては営業成績がのびる。
利用者は、圧倒的なくらいお得!が好きだ。
みんな「得したい」のだ。
消費の中には、敢えての高級志向というか…なんでも安いものではなく、こだわりのものはちゃんと少々高くても良いものを買いたい!という流れは何年も前からある…けど、
まだまだ安ければ安いほどいい。ことを信じている人も多いと思う。(世相ですかね…賃金や社会保障の関係もあるよね、きっと)
そんな時流がきている中で、同じノリでふと他のキャンペーンに目をやると「しょーもない…」と思えるキャンペーンがある。
例えば
・バーコードを2枚、ハガキに貼って応募
⇒このスマホ時代にまだハガキで懸賞応募!?しかも詳細はQRコードで…!!??
・期間限定!30000円以上のお買い上げで2000円引き
⇒たまたま買いたいものがあれば、こういう割引は嬉しいけど。買うか買わないか迷ったりしている人は、これで動くのか??しかも3万円て…そんな大金ガンガン使う人なんてたくさんいますかね…
・1000円以上お買い上げでシール1枚、10枚集めるとかわいいお皿が最大60%オフで購入が…
⇒いや、買うのかよっ!さんざん買ってポイント集めて、まだお皿買う!??
そんな風に今日のスタイルに乗り遅れているキャンペーンを考えているのは一体どういうチームなのか。
PayPayのように大規模でのキャンペーンはきっとコストがかかって難しいとは思う。それにしてももう少しうまくやっているところはある。
ちょっと思い切って、大胆なキャンペーンやるとか。
もう少し上手にオンラインを活用するとか。
新しいキャンペーンのやり方。
これを自分ならどうするか。そんなことも考えながら、これからも注目していこうと思う。
2020/08/28
主役はいつもピーチ姫
2020/08/15
エコい人
2020/08/11
宿替えた
2020/08/02
不動
2020/06/29
近視眼的
2020/06/16
また6月
2020/06/09
どう賭けるか
行動範囲を制限することが必要となったこの時期
なにかと自分の時間の使いかたとか
気持ちや頭を向ける方向など
少し変わったところがあるんじゃないだろうか
溜め込めるとそれが鬱憤となってどこかや誰かに向けて放出されたり
ソーシャルメディアへの付き合い方が変わったり
社会がどのように動いているのか今までよりも興味が湧いたり
もしくはより内なるものに目を向けたり
その全部が少しずつ起きたりもしているかもしれない。
こんな時期に世界では
病気だけじゃなく
職場の環境や
経済の影響で
苦しんでいるひとや
家庭内暴力など様々なハラスメント
人種差別
職権乱用
政治汚職
あれこれ人類が併せ持つ「歪み」が浮き彫りになって見えたりして
いや、今までもずっとあったことがほとんどだけど。
ずっと見ていると疲れちゃうけど
見過ごすわけにはいかないようなひどいことも間々起きているよね
そんな風にあれこれ出てきて
その一方で何か影をひそめるものがあるとき
あなたの目はどこに向けられるか
その時間や発想はどう使われるか
たとえばここ東京なら
今度の都知事選挙に向けて
候補者は今どんなことをしているのか
もしくはあなたの生活しているところにいる
区議会議員
都議会議員
市議会議員
県議会議員など
その方々は、今どんなことしているのかな
選挙のときは一生懸命アピールするだろうけど
選挙していないとき、なにしているのかな
たとえば今みたいに生活に困っている人がいるとき
そういった人々の税金で給料を賄っている人々は
助けがいる人たちに手を差し伸べてくれているかな
その人が人々の生活、もしくは別の何を大切にしているのか
そんなことを見極めるような時間にしてもいいかもしれない
そして望むと望まざると払うことになる税金が
確かな方向性に使われているのか
それを見定めたうえで
次はだれに賭けてみるか
そんなことを考える時間にしてもいいかもしれない
議員は麻雀牌のように運に任せてひくのではなく
こちらが選べるのだ
2020/06/07
物欲の夏
いや、しばらく前から欲しいのだけど。
前から思い切って買えずにいる。。。高くて。
なんでこう、家電というか、電子機器は高いのか。
いくつも持っている自分もよくないのかもしれないが。
それぞれがどんどん古くなってきていて、
重たい、動きが鈍くなってきている
とはいえ、どれも同時には買うわけにいかない
といいながら、まだまだ動くし、使える
という発想では
最新のものを使ったときに得られるはずの
体験
が得られないんだよなあ
紙に書いてなにかをまとめてみようとしたが
全くなにも整理されず
むしろ付随して欲しいものが頭に浮かんできてしまった
ふむ…これはよくない
身の丈に合っていない、気がするぞ
2020/05/26
犬も歩けば
はじめたのは今年の2月か3月頃からか。
日々の運動不足(とアルコールの過剰摂取?)を多少なりとも解消したいという思いからはじめたが、気づけばそのまま「自粛生活」を余儀なくされたので、日課がてら、できるだけ毎日外を散歩している。
(マスクをしながら、人混みを避けながら…時には人とすれ違う時までなんとなく警戒しちゃったりして)
まあ何もしないよりは、ストレス解消と、健康維持に役立っているような気はする。
考えてみればもともと歩くのは好きだし、
どこか旅行にいったり、知らない街へ行く機会があれば
ちょっとでも散策してみたいときは散歩をしてみる。
これは趣味…ともいえるのかもしれない😀
歩いていると素敵な家を見つけたり(建築物を見るのが好き)
野良猫に出くわしたり、
柴犬に出くわしたり、
「ご自由にお持ちください」に出くわしたり(先日酒屋さんからビールジョッキを手に入れた)
制作中の音楽やリハーサルの音源を確認できたり
何かと歩きながらできるのも好きなところだ。
歩きだしてから近所で複数回
ご高齢の方と出くわした
それもただ出くわしたのではなく
あちらが、目の前で転んだり
ふらふらっとしていたり
自転車ごと倒れてしまっていたり
何かトラブルに見舞われている
倒れるご老人のその脇を
軽快にすり抜けていく人
その人へのいくらかの疑問か憤りなどを感じつつ
正しいやり方?もよく分からないながら
転んだ高齢の紳士を起こす
荷物をいっぱいにもった貴婦人の
ビニール袋を代わりにもって
お住まいのマンションまで並んで歩いたり
こういう機会があるだけでも
なんというか…少しでも人の役に立てることもあるのだなと
そんな風にも思う
誰かを助けられないほどの状態にも
この街ではなることもあるだろう
その時正しいと思える選択を
選べるような自分を作っていく必要があるのだろう
2020/05/22
宿替え
こんな風にどこにも行けなくなったときに
君はその自分のいる場所と改めて向き合うことになる
良いところじゃないか
いや難しい隣人がいるな
あそこの角はいつも通るたびに気味が悪い
このスーパーは安いし品数も豊富だ
なんか最近おかしな人によく出くわすな
なあんて思ったらしているうちに
本当にここにいたいか?
ここに居る意味あるのか??
なんて思ったりして。
僕はというと、もう三年以上前から僕の住みたい場所はあって
はいはい、どうして、
未だにこの23区でどういうわけか暮らしながら
気にいる部分と
気に食わない部分を両手に抱えては
どちらの方が重いか
そんなことを測っている
もっと都会の方がいいだの
もっと自然があった方がいいだの
もっと美味しいお店が多い方がいいだの
もっと居心地の良い隣人が欲しいだの
あげればキリがないだろう
そんなときに重ねて思うのは
この場所、この地方、この国の
為政者はどんな人かな
任せても安心な人かな
何を大切にしている人かな
こんな人たちが政を動かしている国って
住みたい場所かな
そんなことをふと考える
もし選択肢があれば
あなたはどうする?
実は選択肢はしばしばやってきているとしたら
あなたはどうしてる?
2020/05/16
沈黙の四月が過ぎて
4月はあまり大きな音をたてずに
さっと過ぎ去っていったようだった
少し思い返せば不思議なひと月を過ごした。
自分の意志に反して生き方が変わるくらいの出来事って
これまでの人生でそんなにたくさんないから
異様な体験をしていたように思う。
(それはまあ、今も続いているんだけど)
気が付けば4月が過ぎていて、
ウイルスのことが気になっていた2月、3月
迷いながらも半ばにライブをやって
3月を終えてから
あっという間
静かに桜の季節は過ぎて
気が付けば5月の半ばまできている。
すでに2か月前後こんな感じで過ごしていることになるのか
みんなどうしてるかな
会いたい人たちの顔が頭に浮かぶ
友達と会うのを禁止されているわけじゃないんだけど
街を歩けばたくさん人の顔は見てるんだけど
なんか変な感じだね
大切なひとたちが
みんな健康でいることを願っています
2020/03/23
こんな三月になるとはね
僕自身生徒さんと一緒に歌うのを楽しみにしているのだけど
今月は中止にした
やるっていえば
スタッフさんも生徒さんもその時間に、その場所に
いなくちゃいけない
生徒さんの中には高齢者介護を日常的にしている人もいて
自分が万が一にも感染してはいけないという思いの方もいる
みなさんが毎月楽しみにして来てくれているレッスンを
無理して開
そうした一方で
先日18日に予定していたメロウシンフォニーのライブは予定通り行った
正直、開催直前まですごくキャンセルするか迷っていた
事前に打ち合わせが軽くあった時に
キャンセルの案が他の誰からも出なかったので少し驚いたけど
会場となった渋谷のお店は普段から飲食店とし
お店でライブをやらなくても、バー営業をするということになる
そうなったときに、
巷で通常営業をしている飲食店と何が違うのか?
そう考えると
必ずしもキャンセルだけが唯一の選択肢という風には振り切れず
むしろ、たとえ当日会場にお客さんがこなくても
自分たちが少しでも飲食して、お店の売り上げに貢献する方が
渋谷にあるような(既に普段より客入りが少なくなっていると思わ
そう考えた
そしてライブをした場合
来場しなかった人にも動画で見せたりすることで
気晴らしになるかなとも思った
実際に当日会場にきてくれたお客さんたちは
近頃のうっ憤を晴らすかのように
楽しんでくれていたようにも感じたし
満足した顔でお店を後にする姿をみて
ここに来てくれたみなさんのためには
やってよかったのかも?と思えた。
(もちろん、あの場にいたみんながその後も健康でいることが何より大事だけど)
政府のいう
「二週間の自粛」期間がちょうど終わっても
事態は収束に向かっている様子はなくて
世界的にはむしろ状況は悪化していて
そして都内を含む日本が発表している情報がどこまで本当かもにわ
マスクが意味があるとかないとか
紙類がなくなりそうだとか買えないだとか
検査をした方がいいだのしない方がいいだの
国もそうだけど
東京都は何をやっているのかとか
一方では仕事が縮小しすぎて困っていて
ある一方では仕事が追い付かないくらい忙しい人達もいて
みんなそりゃもう
何を選ぶのが正解か分かりにくくもなるし
疲れちゃうよな
2020/01/22
そしてもう一度新しい一年
この時期はいつも新年と、自分にとっての新しい一年をどう過ごすか…そんなことを考える。
ここ何年か、人々とソーシャルメディアとの付き合い方が、それぞれ変わりだしてきているとはいえ、未だに誕生日になるとフェースブックを通じるなどして、誕生日をお祝いしようと、メッセージをいただけたりする。
しばらく会っていない人も、会っている人も、イギリスやカナダ、また台湾など方々からお祝いのメッセージをもらえるのは嬉しいものだ。
家族からも電話やメッセージをもらったり、長年の友達からもお祝いをもらうなどすると、改めて感謝の気持ちになる。
ありがたいな。お祝いしてくれる人がいるなんて。
嬉しいな。優しくて、おもしろくて、尊敬できる、素晴らしい人々が周りにたくさんいて。
37年と考えるとなかなか長い数字だ。
いつからか描いた未来になった部分とそうでない部分はいつだってあるけど、それでも今が一番これまでの自分の中で最上級になるように生きてきているつもりだ。
そして新しい一年も、まだまだ伸ばしていきたいと思っている。
挑戦して、成長して、わくわくして、考えて、学んで、行動して、楽しんで、笑って、おもしろいこと、たくさんしていきたい。
誰かと共有して、協力して作り上げる、素晴らしいハーモニーを奏でたい。
他人をジャッジせず、羨まず、妬まず、
人のために喜び、祝い、能力を発揮する。
そんな人間を、引き続き目指していきたい。
今年も新しいことをするんだ。
音楽とももっと深い付き合いになるんだ。
あと、英語とも…かな。
図らずも、今年からは会社の代表になったということもあり、
慣れないビジネスの側面でも、成長していけるよう精進したい。
ちゃんと大切な人や物事を、大切にしたいときに、大切にできているかな。
人生を、もっと素晴らしくしていこう。
2020年もよろしくお願いします。