Mellow Symphony Official Blog

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MUSIC AS MAGIC!! Singer Songwriter Mellow Symphony's Blog

2021/10/22

一日の終わりに

今日も頑張ったね

そんなふうに

少しだけ褒めてあげよう


労いの言葉を

かけてあげてよ


誰も気づかないようなところに

きみは

まるで当たり前のように

心や体

すべてをつかって


自分以外の誰かのために

なにかを与えている


それをどこかで

必ず

喜んでいるひとがいる


すてきなこと

なんて素敵なこと


そうやって

世界は

すこしずつ

良くなったり


保たれているんじゃないかな


だから

あなたも少し

力を抜いても


いいじゃない


眠りにつくまえに


一日の終わりに


また明日も

力が漲るように



2021/10/21

鳴らない電話

一度だけ鳴った 
きみの電話
短い着信

それはきっと
あの人からの電話


迷いや
振り絞った勇気が

すれすれで保った
ほんの数秒

そして残る
不在通知

きみは
話したいことが
たくさんあるって

聞きたいことが
たくさんあるって

言ってたじゃない


「違うよ
本当は
そうじゃないよ」


すれ違った
短いやり取りを

正して
伝えて欲しい
言葉があるんだって


でも

電話が
もう一度鳴るまで
少しかかりそうだよ


アレもコレも
本当のことを
伝えるのは

なかなかどうして
あの人には
難しいんだよ


きみはまた
電話をちらりと見て

まだかなって
話しかけてる


電話はね
繋がってから
話すんだよ


きみが話したい
大好きなあの人は

まだ
向こうのほうで


きっと
もやもや
しているよ



2021/10/20

浅く刺さったジャックナイフ

不真面目な割に
バカ正直なひと

繊細で
前向きな言葉に

何かを与えたくなった

新しく歩む
その姿に
献げるなにか


かつて自らを
投げ売って
救いをくれた
その優しさ

頂いたそれに
感謝を込めて
返したい

それで
多少すり減ることも
構わない

そう思った


それが
簡単に抜けない
ジャックナイフだとも知らず

身を突き出すと


ナイフがその手にあったかもわからないうちに
気が付けば
その刃は胸に刺さる


Restrainedな言葉で
笑えない記号のやり取りでは
なに一つ良くなることはない

ナイフは肉をえぐり
その身体からは
血がしたたった


空回る記号の交換
無言という暴力

たまらずもがく
もがくほど
刃が食い込む

不真面目な割に
バカ正直だから


そして思う

この痛みは
もしかすると
かつて

自らが与えた痛みかもしれないと


不真面目な割に
バカ正直なひと

薄く笑みを浮かべ

それならば
この痛み
受け入れよう

ナイフが抜け
いつか癒えるであろう
その傷の
最後の日まで


あとはもう
人生がもたらした
いたずらを

楽しむしかないと


笑いながら
その痛みを
受け入れる

そして悟る
この瞬く間に突き刺さった
愛のジャックナイフの意味を


2021/10/16

そして去る

そして去る
黙ったまま

部屋をでる

伝えられなかったようで
伝えてもらった多くのこと

このひとはいつも一人
本当のことばかり


鍵は開けておくから
なにかあれば
いつでもお入り

大切な宝物と一緒に
屋根の下にくればいい

入るのが怖いなら
少し遠目に覗きみて
それから決めたらいい

それだけで気が済むときは
部屋を去るといい

ほら
早く行きな
もう時間だよ

用が済んだら
長居は無用だよ

瞳が語る物語に
惑わされてはいけないよ

心が問いかける疑問に
まともに答えてはいけないよ

後ろで流す涙を
静かにサッと拭いて
また山道を歩くんだよ


いつか言わねばならない
「さようなら」を
今急いで言う必要はない

もう一度がないなら
「じゃあまた」と言う必要はない


あのひとはいつも一人
正しいことばかり

伝えられなかったようで
伝えてもらった多くのこと

そして去る 
黙ったまま

帰る場所と呼ぶ部屋へ

2021/10/15

惹きつけるひと

ちょっと旅


大事なことを

たしかめるため


不思議な出会いが

いくつかあったよ


なんだか

出会うべくして出会ったような


これもまた「導き」かな


30000分の1

もしくは

少なくとも

15000分の1の確率で


出会ったその人は

いつも不思議な出会いをするひと

なんだって


会ったときに「何か」を感じるときは

そこに「意味がある」のだそう


その人は僕が

望んでいたものに

一番近いなにかを

届けてくれた


もう一人出会ったひとは

自分と会った後に

相手に転機が起きたり

なにかが好転することが

よく起こるそうだ


その人はしきりに

僕の未来の写真を

欲しがっていた


なにか事態が好転する未来を

感じてくれたみたい


温かい人たちと触れ合って

言葉を交わして

思いを届けたら


なんだか満たされて


望んでいたものが

手に入らないとしても


穏やかに

それもすべて


良いことに繋がっていくと

そんな風に受け取ることができて


満足できそう


2021/10/14

はじめての声

はじめてきいた
その声

はにかみと
警戒と
謙遜と
狡猾さが
混じっているような

優しい声


分からない
本当のことは

分かるのは
鏡越しの姿

映るのは
人を助ける
その心


導かれて
聞いたその声は


きっと幾度となく
君を呼ぶ声

2021/10/12

そばにいてあげる

開けられなかった
真心の通り道

潮風が
柔らかく吹いている

もう真実に
ゆらぐことがないよう

方便と
抑圧と
少しの本当を

煮込みすぎた
寸胴のスープみたいに
現実に混ぜてしまおう


届けたのは
もう大丈夫だから

届けられないのは
もう大丈夫じゃないから


「良かった

こんなこと

二度とないだろうって

どこかで思っていたんだ」


多面体がみせる
いびつな衝動を

どうにかして
取り繕う動物


あなたはそれを
最後まで続けるのかな

生身に潜む
その衝動が
再び
閃光を放つときは
もうないのかな

はたまたそれを
見届けることはない
たんにそれだけかもしれない


土の奥深く
眠っていた種が

こんな風に
芽吹くことを
知らなかった

それは誰のせいでもない


途切れることのない
自然の営みが

まるで
あなたの自由を奪うかのように

ガス台の火をとめ
その寸胴にゆっくりと蓋をする


笑う母性の花を
愛おしく思う

そんな幸せがあるとは
想像だにしなかった

その準備が
突然できたなど
誰ひとり
信じないだろう

水も
太陽も
空気も

目の前に
たくさんあるけど

この種子に注がれることは
もうないのだろう


ただひとつ

もうひとつだけ


遅くについた
その芽を摘みあげ
根を枯らす前に



最後にちょっとだけ


そばにいてあげる

みちびき

旅の別れ道へ
いま歩を進める

見えない線が
少しだけ見えるのか
ほんの少しだけ 
その線に触れて
手繰ることができるのか
ちょっとのぞいてみる

大切な友達が
素敵な言葉をくれた

またきっと
導きがあるって

思えばいつだって
それは導きだったはず

その先に何が待っていて
気づけばボロボロになっていても

歩いたときに すれ違うひと
歩いたさきで 出会うひと
その道で見つける 小さな気付き
あるいは
その道すがらにみる風景

そのどれもこれもが
選んだ道にだからこそ
あったものばかり

照りつける太陽も
途中に降りつける雨や雪や
吹きつける強い風も

歩いていて
本当に苦しいときですら

どうしてその道を歩いているのか
知っていたから
大丈夫だったよ

優しいことばかりじゃない
甘い物語じゃない
ハッピーエンドが
いつも待っているわけじゃない

だいじょうぶ
もちろん
知っているさ

痛いことも
恐ろしいことも
苦しいことも
悲しいことも

どこかでやってくるんだ

それでも
その道を選んだことを
自分が知っていれば
大丈夫

ちゃんと選んで
歩ききったんだって
終わりには
笑っていえるさ

エンディングは
もっと先にある


君もきっと
そうだろう

2021/10/11

なぜかトイレに貼ってある

妬まない
決めつけない
比べ過ぎない
当たり前と思わない
羨ましがらない
卑下しない
否定ばかりしない


祝福する
想像する
賛辞を送る
感謝をする
受け入れる
良いところを見つける
肯定する


噂や干渉
嘘や視線
「口」や「目」にまつわることに
注意をする


あなたのために
わたしのために


ささくれだってしまわないように

不器用な自分が
心がけていたいこと


なんだか
居酒屋のトイレにでも
貼ってありそうだ

心のトイレにも
貼りなおしておこう



2021/10/10

めちゃくちゃな夜の話

めちゃくちゃに酔っ払って
明日のことも忘れて
昨日までのことを思い出して
精一杯
自分のこと肯定してあげる


めちゃくちゃなこと考えて
めちゃくちゃなことしてるかな

そうやってなんか
ギリギリ
バランスを保とうとしてるのかも

幻みたいな
ぼんやりしたものが
しばらく頭にもやをかけている


ひとを思う気持ちは
自分を思う気持ちと
同じ塩梅でいれたらいい

どうしても
生まれる違いを
大切にしたい

理解したい気持ちが
強ければ強いほど
そんなひとにかぎって
どうしてもよく分からないとき

それがどうしてそうなるのか
この惑星で長い時間をかけて
細胞を育ててきた
人間の不思議


音楽なら
なにか教えてくれるかな


音楽は星の数ほどあって
それを聴くひとびとも

また
星の数ほど
いるんだよね



2021/10/07

視野を広く、心を柔らかく

近頃
ずっと興味があった

心理学を
すこし勉強してみている📝

全然ディープな世界までいってないので
僕の勉強しているところは
ポリポリと音がするくらい
かじっている程度なんだけど

思えば高校の頃くらいから
心理学という言葉をきくようになって
ちょっと興味あるかも?
って思っていたんじゃないかな

そんな勉強をしていたら
防衛機能という言葉がでてきた

自我の安定や環境への適応のために
無意識的に人間が使うみたいなんだけど
それもやり過ぎるとよくない

みたいなやつらしい😕

その防衛機能のなかには

抑圧…記憶や欲求をおさえこむ

合理化…なにかしらの理由を考えて自分の行動を正当化しようとする

反動形成…欲求や感情を抑えて反対の行動を取ろうとする

などがあった。(意味はもっとホントは深い)


ははあ、これは…
思い当たる節があるぞ😳

いいバランスで出来ているといいんだけど

自分以外の人がこうしているのを見たこともあるし
そんなことを含んだ誰かとのやり取りが
割と最近もあったような気がしている


素直がいちばん💖

ずっとそう思ってきて
なるべくいつもそうあるよう
心がけているつもりだけど

なかなか難しいよね

素直であり続けるのは
衝突を招きやすいし

衝突し続けるのは
ハードなことだし

できれば衝突を避けたいと思えば
その衝突が起きないようにしながら
素直になるという術を
身につけるのも容易じゃないしね

またそれを実際に使うひとと
向かい合ったときに

本質的なやり取りが
また難しい😕

もしかしたらその本質的なものは
相手側はそれを望んでいないという
可能性すらある


せめて自分が大切だと思う相手と
向き合うときくらいは

発するときは

できるだけ素直に
敬意も忘れずに


受けとるときは

視野を広く
心を柔らかくして
受け止めたい


最近の生き方について
心がけていることもそうかな

視野を広く
心を柔らかく

一つのことや狭い視野に
固まったり偏ったりしすぎると
そこで立ち行かなくなったとき
苦しくなりすぎちゃうからね

たとえば
新しい選択肢を
考えてみるとか



2021/10/05

Signal

I am good at receiving a signal
Or maybe I was 
Now I am not so sure about it
I think I used to be good
To receive a signal from a person 
Who I was once deeply connected

Though she was very dexterous with her hands
She was very clumsy 
When it came to expressing herself verbally
But it worked fine
Because I could notice 
When she sent a signal
The signal described 
What she really wanted to say
Once I received
I tried to confirm the meaning of it

Then she told me
"How did you know?"

With surprise, confusion and relief all in her face

That gave me pleasure
It is quite a while ago


I had a very similar moment the other day
Thought I received a signal

Then I tried to confirm it
But it did not work out this time
I failed, I suppose

I could not get a clear answer from the person
So it is not certain that I read the wrong signal
Or the person did not even send me the signal


Conversation is the flow of a river
Once you miss the moment
You cannot go back to catch it

Sometimes the flow that is very similar to the past one comes in front of you
Then you would be able to ask the same question you missed once


But I wonder
If they would be the same as before


2021/10/04

優しさによる施術

数ヶ月通った整体が
先日最終日を迎えた

背中の痺れもなくなり
矯正のおかげで
身体の動きも少し改善された

とはいえ、
身体は日々使っているものだし

気をつけていないと
またどこかのタイミングで

いや、多分気をつけていても
どこかのタイミングで


どこかしら調子が悪い


なんてことが
またいつか出てくるのだろう

恐らくだけど
そういうことが未来に
いつか起きるものとして


その発生時期や
症状の度合いを
遅くしたりとか軽くしたり

それが今回の矯正でできたんじゃないかと思っている


最終日になるに連れて
担当してくれた先生(多分だけど、柔道整復師さんというジャンルなのだろう)が

毎回のように
「いついつまでに、あとここと、こういう部分をみて、それで治療終了という形にしましょう」
と行くたびに最後をほのめかすので

なんか
治療を終えることが

すごいオオゴト?のような
ちょっとした行事のような
感覚を受けていたけど


まあ、
なんかあればまた行くことになるし
多分だけど、またなんかあるだろうし

技術的にも人間的にも
充分頼れる先生であることもわかったし
困ったらまたすぐお願いしよう
なんて思っている


最終日の施術後
タイミングが良かったのか
調整してくれたのか

先生はいつものように
次の予約客へとスタスタ行かずに

「あと、他に気になるところありますか?」
などと、いつもより少し時間を使ってくれて

ストレッチのやり方や姿勢など
僕の身体に関する不安を解消しようとしてくれた

施術が終わって
お会計も済むと

大抵は次の患者さんを施術しながら
「お大事にしてください〜」
なんていいながら
こっちを向いたり向かなかったりしながら
送り出させれるんだけど

たまたま
そのときは

スタッフさんみんなが
こっちを向いて
送り出してくれていた

後ろに待っているお客さんもいたから
余計な言葉をかけずに去ったけど

なんか
ちょっとした卒業式感があって😂

いい人たちだな
なんて感じてた


言葉にしないと
伝わらないことは多いけど

先生は
多くを語らずとも
優しさを伝えてくれたように思う


僕はあまりそういうのが
得意じゃないから

ついつい言葉で伝えがちだし
言葉で伝えて欲しがりがち


まあ
それもいいか

そういう琴線なんだな



2021/10/02

あのこがやってきた

9月の終わりに
やってきたこのこ

ゴダン(ちゃん)


ずーっと欲しかったんだけど

色んな理由から
後回しにしちゃってたように思う


そういうことじゃなかったんだよね


バイクの一人旅のとき
旅先で偶然
楽器屋さんに久しぶりに入って
店内を見回していたら

欲しかった種類のうち
一本だけ残っていた

お店が暇だったのか
販売に意気込んでいたのか

とにかくまあ
「よかったら気軽に触ってみてください」

なんて言われちゃって

ちょっと試奏してみたら


どんどんどんどん

あ、
良い音

あ、
ここもいいな

なんて
気持ちがグッと引き寄せられて


こんな衝動で決めていいものかと
冷静になるために

一旦落ち着いて
マイナスなポイントというか
買わないほうがいい理由を
探そうとしたのだけど


なかった


だってやっぱり
ずっと欲しかったんだもの

旅先だったので
配送してもらい

後日改めてご対面

お店の方も
「まさか東京に嫁ぐことになるとは 笑」なんて言ってたけど


優しくも
しっかりとした音色で
器用な感じが

今の自分がもっている一つのスタイルに
心地よくはまっていると思う

レコーディングやライブでも
いつか聴いてくれるみなさまの前でも
お披露目できたらと思う


いやあ
嬉しい


あと二人きたら
もう人生完結しちゃうかもな😆

普通のと
小さいやつ

2021/09/30

9月の終わりに

今日で9月もおしまい。

みなさまもおつかれさまでした。


こちらはというと

なんともeventfulなひと月あまりが過ぎて

乗り切ったあとの硬直みたいなのが残りつつも

過ぎたことにやや安心もしています


なにかが急に

変わるわけじゃないけど


なんとかやりきった感じ


色々なことが巡って

頭のなかも

身体のなかも

なんだかかき回してしまったな


おもしろいことも

そうでないことも

良いことも、とっても良いことも

あんまり良くないことも

素敵なことも

気付きも


心が温かくなるようなことも

胸がわくわくするようなことも

心がちょっと冷たくなるようなことも

胸が張り裂けるような思いも


身体にいいことも

あんまりよくないことも


なんだかどーっとやってきた感じだった


なんてね、

ちょっと大袈裟かな


厄年かな…なんて冗談で言っていたけど

そうじゃなさそうだし


なんだったんだ

月の…満ち欠けとかかな?


来月はもうすこし

できれば少しおだやかに

ご飯が楽しく食べられて

睡眠が安定して取れて


やるべきことに打ち込めたらいいかな


それにしても

人々の愛情に

救われたよ


本当の気持ちでぶつかったら

本当の気持ちで返してくれて

時間を一緒に過ごしてくれた人たちがいて

その人たちの優しさ

その心に本当に助けてもらった


ありがたいな

それもまた「気付き」だね


この時期に歌った音楽

または作った音楽は

引き続き大切にしてあげたいし

ちゃんと形にしてあげたい



みなさまにとっても
実り多き秋が

訪れますように💖

2021/09/28

石巻「R」最終回

先日宮城県へいってきた。

2012年に石巻出身の矢口氏によってはじまったイベントならぬ、遊び場とでもいうべき企画。それが「R」。2011年東北地方が災害により大変な状況に陥ったとき、なにか役立つことは、助けられることは、できることは…と漠然と考えていた僕らに、彼が示してくれた「石巻で遊ぼう!」という試み。

大層なことをしようとしなくていい。ただ単純に、その街で思い切り遊んで。お金も落として。地元の人々と一緒に笑顔になれたらそれでいい。


そんな思いが込められていたように思う。 

Rをきっかけにみんなが集まって、演劇や音楽などを楽しんだりして、思い切り遊ぶ。


2012年4月のR Vol.1に参加して以来、僕にとって石巻は特別な街になった。

街が好きだ…そう思った気もするけど、今思えば、あの街で出会えたたくさんの人たちが好きだから、なのかもしれないな。

毎回ライブに訪れては、変わっていく街並みのなかで生きる人たちのエネルギーや元気な姿、楽しそうな笑顔、そういったものに胸がいっぱいになって、また帰ってきたい、と思いながら街を後にする。そんな感じだった。


僕は2012年のVo.1に出演した直後、カナダへ拠点を移したものの、それでも帰国の際に足を運んだり、2017年以降は再び日本に戻ってきてから何度も石巻へ足を運んだ。


先日はその「R」が10年目にして、最終回を迎えた。

それは主催者の矢口氏がはじめた当初からいっていた、予告通りの最終回。

この日は出演者のみんながそれぞれの思いを持ち寄って、ステージに臨んでいるのがとてもよく伝わってきて、素晴らしいパフォーマンスばかりだった。


みんなそれぞれに歩んだ10年間を「R」が繋いだんだ。


音楽ライブをやることに、難しさを感じてきている2020年春以降。未だにすべての思いを払拭することはできないけれど、あの日、あの場所にいれて本当によかった。

そしてMellow Symphonyも急遽オープニングアクトとして、キャンプファイヤのスペースに座り込み、生音で、みんなと距離を取って、演奏した。

当日のライブ配信動画はコチラ


最後にもう一回「R」のなかで遊べたこと、本当にうれしかった。


遊び場があるのは大切なこと。

そして場を用意できる人というのは素晴らしい能力の持ち主だ。


10年間「R」を主催しつづけた矢口氏とその家族や仲間に敬意を表したい。

彼はもう仲間と次のステップへと足を進めている。石巻で。もっと街をおもしろくしようとしている。複合エンタメ施設「シアターキネマティカ」プロジェクトの情報はコチラ


そこに素晴らしい人々がいる以上、

街の魅力は、これからも可能性が広がっていくんじゃないかな。


またあの街に行き、

そこに集まる人たちと一緒に遊べるのが楽しみだ。









2021/09/26

Life is too short(コーヒー)

コーヒーを長いこと飲んできている
何を隠そう、東京へでてきて一番はじめに選んだアルバイト先は(ホットケーキが美味しい)喫茶店だった。


…たまたま当時の最寄り駅に、そのお店があったからだったけど…。


そこで、コーヒーにたくさんの種類(原産国)があることを学び、アレンジコーヒーの美味しさを教えてもらったのもそこだ。

(アイリッシュコーヒーが大好きです🤤)

大人になってきて、コーヒーを豆の原産国や、そのお店の豆の煎り具合を、意識しながら飲むようになっていった。

美味しそうなコーヒーを飲めるときは、基本あたたかいものをブラックでしか飲まなくなった。


最近では自分でお気に入りのコーヒー豆屋さん(3〜5店舗くらい)から、毎回ちょこちょこと原産国を変えたりしながら豆を買ってきて、ほぼ毎朝豆をガリガリと挽いては、コーヒーを淹れて朝飲んだり、仕事しながら飲んだり…としている。

ところが最近ちょっとしたことをキッカケに、宮城県は松島にあるコーヒースタンドの店主とお話をする機会があり、色々とお話を聞かせてもらっていたら、 

どうももっとディープな世界に、コーヒーの世界は進んでいる

ようであると分かってきた。

それはもう、原産国や煎り具合だけでなく、農園などの情報を含めた産地の情報や豆の種類など、選ばれし豆たち、つまりスペシャリティコーヒーの世界はそんな風に細分化かれ、楽しまれているのだそうだ。

店主もいっていたが、それはワインの世界とかなり共通する要素があるといえるらしい。
(ワインも詳しくはないけど大好き😍)

日本酒もワインもコーヒーも、色々な種類のものを試しながら、その違いを感じてみるのが楽しい。

コーヒースタンドの店主曰く、宮城県はそういうコーヒーの楽しみ方においてコミュニティがあって力を入れているようである。なかには同じ豆を各コーヒー屋さんが使って、焙煎や挽き方、コーヒーの淹れ方などによって、どんな風に各店舗の味の違いがでるかを、お客さんに楽しんでもらうイベントまであると聞いた。

その店主に教えて頂いた前述のようなイベントを、業界内で広めていった発起人(って言ってたかな)となったお店が仙台にあるということで、その店舗にもいってみた。

店内のメニューには「コーヒー飲み比べ」メニューがあり、たくさんの豆とそれに関する情報😳
僕ははじめてなので、同じ豆を焙煎具合でどう変わるのかを試してみた。

なるほど、焙煎の度合いで風味の届き方がこうも変化するものか!と思い、うんうんと感心しなから、コーヒーをすすっていたところ、目に入り込んだ店内のポスター。
LIFE IS TOO SHORT FOR BAD COFFEE

悪いコーヒーに費やすには人生は短かすぎる


そう、ここにも
Life is shortのメッセージが!

2021/09/25

Life is too short(バイク)

人生は短い


選択をしなければならない

いや、選択をしていく必要がある


そこで10年以上欲しかったバイクを

先月から本格的に購入を検討し始めて、

今月に入り、思い切って購入。


ある種の「夢」だった

バイクがある暮らしをはじめた。


色んなところへ出かけて

色んな景色を見て

死と隣り合わせのような体験をしていると

「相棒」という感情も容易に芽生えてくる


このバイクがいるから

できることがたくさんあるんだな


免許を取ってから10年近く経ってしまっていたので

最初はエンストしまくりだし

スタートは遅いし、カーブは不安定だし、

長距離の運転にも慣れてなくて

悪天候にも慣れてなくて

高速でぶつかってくる虫にも慣れてなくて


まだまだ練習中の気分だけど

でも楽しいし

気持ちがよい


ある程度の速度までいくと

脳内がサバイバルモードになるので

「生きるため」のことしか考えなくなるのもいい


どうせうまくなるまでに

転んだり、ぶつけたりすることも

あるだろうとふんでいたので

予め中古を購入したんだけど


案の定

初めての長距離運転で

しかも雨に降られて

道も間違えて

動揺しているときに

駐車場から曲がるときにバランスを崩して

1回


翌日

駐車スペースにうまくいれようとして

変に体制を崩しながら

無理なハンドルの切り方をしてしまい

別の駐車場でバランスを崩して

1回


既に2回転んで(いわゆる立ちごけと同じ感じ)

生傷も着実に増えている


それでもなんか嫌じゃない


転ぶときは一緒

恥かくのも一緒

傷つくときも一緒

何回転んでも

俺が起こしてやるんだ


そんな気持ちで相棒にまたがり

その力を借りて

また新しい冒険へと旅立つ



2021/09/24

あのこがやってくる

今頃あのこは

こちらへ向かっている


遠くの街から

僕のもとへやってくる


出会いは突然

予期せぬ瞬間に


過ごした時間は

長くはないけど


確信と呼べるものが

そこにはあった


僕のもとへきたら

これから先ずっと

色んなところへ

一緒にいこう


たくさんの思い出を

一緒につくろう


素敵なハーモニーを

一緒に奏でよう


山道をこえて

トラックにのって

 

あのこがやってくる




2021/09/23

世界とリズムキープ

相変わらずの打楽器修行。
牛歩ながら一歩ずつ
まったくわからなかった状態から
今はすこしだけ
以前よりも「分かる」
ようになってきているという感じである。

うまくならないよりは
なったほうがいいのはもちろんだが、
打楽器の良さはなんといってもそのシンプルで、
プリミティブな行為そのものにあると思う。

ものを叩けば
音楽が鳴りだす

音楽が鳴れば
世界がつながる

言語を超えた
もしくは
言語の手前の
コミュニケーション

そういったものができるような気分になる。

そしてその、生身の身体一つから
繰り出される音には
その人の心の持ちよう
性格、身体の使い方など
細かい差異をたくさん感じることができる。

とくに自分が叩いているとき
一音ごとの微妙な誤差

そういったものに集中している瞬間は
日々を覆い尽くす邪念の数々を
80%(当社比)以上カットしてくれる。

(それでもひどい…というか、強い類の邪念はまだ心の隙間に割りこんでくることもある)

つまりはマインドフルネスと一緒で
近頃の状態の僕はとくに
今まで以上に必要性を感じている


さて、
リズムを一定の速度で叩き続けるというのは
本当に難しい
疲れても、疲れていなくても
悩んでいても、悩んでいなくても
お腹が空いていても、満腹でも
どんな時でも
一定である
ことがある程度で求められる。

そんな精度を持続できるだけで
私の先生(いや、師匠!)は本当にすごいと感心する。
(もちろん、鳴らす音の質も圧倒的に違う)


リズムは僕にとっては不思議で
メトロノームのテンポに合わせて
叩き続けていると
前述したその身体のブレのせいなのか
同じように叩いているつもりでも

「あれ?
さっきより
ちょっとテンポが早くなっていないか?」

「おや?
テンポがちょっと遅く感じるぞ」

などとありもしないはずの
主観的な感覚に気が付く

機会のメトロノームで鳴らす
BPMがブレることなど
およそないはずなのに。


この感覚をなんと呼べるのか。

これはまるで、
世界のよう。

わが身になにか起こると
突然世界が

鈍色に見えたり
彩り豊かに見えたり
絶望的な世界に感じたり
希望が溢れる世界に感じたり
(Mellow SymphonyのLife isはそういう内容がテーマの曲)

そんなことが間々ある。

世界はなにも君のために
変わってはおらず
単に君が
世界の捉え方を
今変えたのだ

そう言い聞かせたりして
なるべく真っ直ぐ、フラットに
世界と向き合おうと
思い直したりするのだけど

これもこれでリズムキープと同様
なかなかコントロールが難しい。

世界もリズムも
体感が多少変化することは
自分自身に
少しだけ許してあげて

その浮き沈みから
少ししたら戻ってこれるように

世界もリズム(メトロノーム)も
突然そんなに大きく変わることはないのだと
改めて
自分に気が付かせてあげたい



2021/09/21

噂と秘密、本当の選択。

噂と秘密の間にある

大きな隔たり


それはあなたとわたしの

見る世界の違い

 

きみは

本当のことを言わない


きみは

本当のことを言えない


言わない理由は

言えないから


言えない理由は

なにかを

壊したくないから


選択は繰り返される

それは生きるうえで避けられない


一度選んだ選択が

もう一度やってくることもある


あの時選ばなかった選択に

もう一度せまられることもある


そのときの選択は

本当の意味で同じものではない


今のきみは

あの時とは違う


同じに見えるその選択のときが

もう一度きみの前に現れることは


なにか違った

意味がある




2021/09/18

そういう人々

僕が大好きな人々は

終電の間際に
駆け抜けるように
出ていく僕を

明日また
会えるかもしれないのに

ハグしたり
手を握ったりして

見送ってくる


そんな人たち


これまでたくさん
間違った選択をしてきたが

今でもこの人たちが近くにいて
こんな風に接してくれることは

僕は肝心なところで
間違ってなかったような
そんな気持ちにしてくれる


まったくもう
困った人たちだな


この人たちに起こる
幸せや
不幸せなら

一緒に
立ち会いたいな

愛にいきる

珍しく朝の情報番組で

「女優さんの暮らしを紹介」 

みたいな


なんとも…

興味がわかない

誰得?みたいなコーナーを

見てしまった(テレビを点けっぱなしにしてしまった)


旦那さん紹介とか

お家を紹介とか


…まあ、どうでもいい内容ばかり


と、思ったら

なにか少し違う


その女優、中谷美紀さんは

バイオリニストの夫と

オーストリアで暮らしているのだそうだ


中谷さんの言葉の端々から聞こえるのは

その国の人々の暮らし方

社会のあり方


日本を外側から

冷静に見つめたことがある


そういう人の視点だった


そして

パートナーや町の人々に対するリスペクト

そういったものを感じた


共演者とのやり取りや

友人からのコメント

視聴者への声のかけ方などをみても


ああ、この方は

ものすごく地に足のついた

いわゆるDown-to-earthな方なのだ

と感じることができた


使う語彙や

英語やドイツ語(かつてはフランス語)を話すことなどからも

ものすごく努力を積み重ねていることも垣間見えた

(もちろん、その端麗である容姿を保っていることもその一つなのだろう)


映画の紹介をするコーナーがあり

番組の構成的には3作紹介しながら

ご本人が主演のものを最後に紹介(宣伝)する

という流れのようで


おそらくは

それが出演の目的だったのだろう


その時、

中谷さんは先に紹介された二本の映画(テーラーとモロッコ)について

「こんなに素晴らしい映画を、朝の情報番組で紹介して頂けるなんて、映画界の末席にいる人間として嬉しい」

という内容のコメントをして

たまらず涙を流していた


ご自身の映画の宣伝で出演するような

芸人が司会を務める

ありがちな日本の朝の情報番組に

それほどの期待を寄せていなかったのかもしれない


俗っぽい

流行りものを追うような

そういうものがあっても

テレビだし

と割り切る気持ちも持ち合わせていたのだろう


ところが本当に良い映画が

紹介されたとき

ご自身は感極まって涙がでたのだと思う


それを見たとき

この方は

「心を大切にして生きている」

そう感じた


映画や

それ以外のことについても

愛を大切にされて生きている方なのだと

そんな風に思えた


後半のコーナーで

旦那さんが彼女に影響を与えた言葉として

「Life is too short」という言葉が紹介されていたが


それはまさしく

今自分が

とくにここ数年で

改めて噛みしめている言葉で


やはりこの方々も

感じているのだな

と共感をおぼえた


そう

愛にいきる


好きな人たちと

時間と感情を分かち合い

愛情を与えあい

お互いに育つ


そうやって

人や物事と向き合う


なるべくそういう日々を

僕は過ごしていきたい


2021/09/17

柔道整復師のやさしさ

整体に行き始めて3ヶ月ほど
もうすぐひと通りの施術もひとまず終わる

背中がしびれたことがキッカケで行き始めたが


前々から興味があった
身体全体の矯正を
やってみることにした

30数年も使い続けながら
ロクにメンテナンスをしていなかった僕の身体に
ちょっと手を入れてみてもいいんじゃないかと考えたからだ


近所にあった整骨院を
ネットで見つけて
ちょっとお試し程度の気持ちではじめた


身体はおもしろい


多分何もしなくても
ある程度暮らすことはできただろう

でも徐々に施術が進むに連れて
節々に変化を感じ

全身が以前より可動するようになってきた

それと同時に
日々の体の変化にも
少し敏感になったのも

整体の効果といえるかもしれない


施術をしてくれている先生は
世代の近いかたで

他愛のない話をしながら
上手にカウンセリングしてくれる

深くは立ち入らず
でも質問は止めない

ちょうどいい距離感を保ってくれる


身体の調子を
実際に触りながら把握し

僕の自己申告とあわせて
痛むところや張りのあるところ
歪んだところ
ほぐすべきポイントを

見事についてくれる


先生はたまに
「次の予約までに、もし痛むようならご連絡ください」
と言ってくれる

日が空くと
症状が戻るかもしれないということを
考えてくれているからだ


先日僕が
ちょっとした
心の部分について
弱音をこぼしてしまったとき

先生はほどよく気にかけつつ
身体の問題ではないので
深くは聞いてこなかった

そして
「精神が不安定なときは、呼吸が浅くなるから」
といって
深い呼吸をするようオススメしてくれた


施術の終わり際に先生が
「もし次回の予約までに調子が悪くなるようならすぐご連絡ください」
といっていた

矯正ももうすぐ終わりだし
まあ身体がまた痛みだすなんて
このくらいの期間ではないだろうな

なんて思いながらの帰り道


あ、

それって

先生の優しさだったのかな


なんてことを
すこし感じて

ありがたさを感じた


さて、
ここで

深い呼吸をひとつ。


2021/09/16

メンテナンス

外にでたり

人に会うことを

なるべく減らしたほうがいい


世界でそう言われるようになってから

しばらくが経つ


みんな調子はどうかな


人間が社会的な動物であるからか

はたまた地の性格によるものか

比較的安全な形で人に会えるとき

溜まっていたものが噴き出すように


お互い、こんなに話がしたかったのか

などと思うときもある


調子狂っちゃうこともあるよね


ガス抜きというか

例えば人と話したりなんかも

一つの自分を平静に保つための

メンテナンスなのかもしれない


ここのところ

ずっとそんな風に

身体の内側も外側も

今メンテナンス作業をしておくべきかなって

考えてきて行動している節がある


しばらく行ってなかった病院へいき

気になるところを検査してもらったり

歯医者で検診してもらったり

骨盤矯正してみたり


ずっと欲しかったものを

思い切って購入してみたり

気になっていた知識や教養を

得ようとしてみたり


人同士の関係性を

見つめ直してみたり


思っていたことを

誰かに正直に伝えてみたり


これらも一種の人生における

メンテナンスなのかもしれない


手遅れになったら

修復できないものだって

なかにはあるのだろう


後になって

今こうしておいて良かったと

思えるときのために


そして

また世界が開かれたときに

大きく羽ばたけるように



2021/09/15

愛について

人生に起こる
気まぐれだろうか

愛について
考えるきっかけが
ふと、よぎることがある

これまでにも色んなかたちで
何度か自分にも訪れた


家族愛
友愛
恋愛

利己愛
利他愛

守りと怒りについて
気付きについて

感謝と尊敬と思いやり


失って初めて知るものもあれば
手にしたときに
それを強く感じることができるものもある

時間が経ってから
いつかの愛に気が付く

そんなことも
きっとあるのだと思う


いずれにしても

僕はそれが
人間が生きるうえで

すごく重要な役割を担うと思っている

自分が好きな人々や
関わる人たちが

何かしらの形で
愛に包まれていたらいいなと
たびたび願うことがある


新しい気付きは


必ずしも人は
それを
必要としていないかもしれない

もしくは
優先順位として一番ではないかもしれない

はたまた
それが必要である自分に
気がついていない

そんな風に生きている人も
この世にはたくさん
いるかもしれない

ということ


例えば音楽を聴きながら
何気ない瞬間を思い返し
今でも胸を温かくするような

そんなものは
自分にはいらないと
思う人もいるのかもしれない


そうした人が
自分の人生にふと訪れる

それもまた
宇宙の神秘ともいえる
数奇な衝突
かもしれない

そしてそれを
できる範囲で

理解しようと努めて
受け止める

できるなら
そこに注げる愛を
何か届けようとしてみる

そんなことも
愛のなし得る
ひとつのかたちかもしれない



2021/09/13

幸せのかたち

型にはまることをよく求められてきた

そこには長年培われてきた 

人生における

困難や不安を解消する正攻法のようなものが

きっとたくさんあるから

その型にはまれば

安心材料が増えるとされてきたのかもしれない


今自分は…

と思ったときに


あ、「今」どころか

これまでずっと

型にはまらないまま来ていたんだった


幸せのかたちは

無数にあるって

信じていいんじゃないかな


みんなと違ったり

誰かがそれ変だよとか

おかしいよとか

もし言ったとしても


確信するものが

胸のうちにあれば

そうやって

前に進めばいいんじゃないかな


誰かの幸せのかたちを見たときに

僕はにっこりとほほ笑んで

幸せな気持ちをもつ人を

祝福したい


そうしていつか

今度は自分がそのかたちを

手にしたとき


例えばそれが

いびつに見えても

にっこりほほ笑んで

祝福してくれる人たちと

これから先も

時間をともにしたい



2021/09/12

眠りにつくとき

一日が終わり

眠りにつくとき

何を思うか


できれば

コントロール

できる分だけでも

良いことを思いたい


そして

夢で

その続きをみたい 


次の日も

そのまた次の日も


暮らす毎日は

突然には消えない

重ねた日々が

少しずつ形をつくる


眠れない夜は

くたびれるのがいい

そうすると身体が

休ませてくれる


すこしの間だけ


だから

眠りから

覚めるときよりも

眠りにつくときのほうが

いまは好きかな



2021/09/11

脳トレ

人間の身体のように

脳にも持久力というものは

あるだろうか


身体にとって一定時間

集中的に使う筋肉の動き


たとえば肉体でいう「短距離走」は

脳にとっては「集中力」かな


だとしたら「長距離走」は

同じことを持続的に行うから

「記憶」とか?


…なんだかそれっぽく思えてきたかも?😲


脳が、身体でいうマラソンのように

長距離(長期間)同じことを

考えたり、記憶しておくことができる

そういう力が存在しているとしたら


僕の脳の持久力はどれくらいだろう


短距離よりは

長距離タイプかもな👟

(実際に足も遅い💧)


そんなことを考えると

急に「脳トレ」なるものが

本当にトレーニングというか

それらしく思えてきた💪



脳が勝手に長距離走で

走り続けちゃっているときは


疲れて

自ら止めるのを


待つしかないのかな



2021/09/10

ブックカバー

最近小説を読んでいる
気になった作者
気になったタイトル

来月になれば
また違った本に自らを漬け込むことになる

今度の本は文庫だから
唯一のマイブックカバーを付け替える

くたびれても
愛嬌があり
優しく
温もりがある

ちょうどそんな
年の取り方もいいな
なんて思っていたとこ


まったくこのひとには
気付かされることばかりだ


2021/09/08

ネットで探しもの

困ったら検索


することができる時代


今までも何度も助けてもらったし

これからもたくさん使うことになると思う


ところで、きみの本当の探しものは

ここで見つけることができるかな?


あるドラマのなかに

主人公が医者と話すシーンがあった


主人公は病気について医者に向かって話す

「ネットで調べればいくらでも出てくる、アレがこうで、コレが…」


すると医者はいう

「まあ、ネットでは声がでかいほうが勝つので。探せる情報ではその程度のものでしょう。どうかあまり見ないように。」


情報リテラシーなるものが言われるようになってきたのは

実感としては、たぶんADSL回線より後のことかな

(おそらくインターネット前にもその考え方はあったはずだが)


ネットには

嘘や妄想がある、ファンタジーもある、

作り話だってある

剥き出しのままの真実を

そこで伝えられない理由がある

(逆にその場だからこそ伝えられるという性質のものもある)


でも、それだけの話じゃない


「きみが本当に聞きたい話」は

そこには挙がってこないかもしれない

何かしらの理由で。


成功(もしくは失敗)体験を聞きたくても

そこに挙がってくるのは

失敗(もしくは成功)体験しか

挙がってこないかもしれない


そこに書き綴る人たちの属性があり

それを調べる人たちの心理があり

それを書かない人たちに共通するものが

それぞれにあるように思える


さて、ここのところ

頭から離れない稚拙な考えを振り切るため、

もしくはどうにかして確かめるため

検索しては、検索しては、検索しているのだが

そんなことをしても


望む答えは

返ってこないだろう


ただし検索結果が思わしくないことは

「不正解」や「答え」がない

こととはまた別なのだろう





2021/09/06

Too good to be true

I saw a dream last night(昨夜夢をみた)

She jumped on your back(あの人が背中に飛び乗る)

With a big smile(満面の笑顔で)

With no hesitation(ためらいもなく)


It's the moment that you hear the "sound of happy"(それは「幸せの音」がきこえる瞬間)


You've been stuck in your small maze(君は小さな迷路から抜けられず)

Trying to find a way out(出口を探している)


People say you're just dreaming(みんなは夢をみているだけだって言う)

And there's nothing like a real(本当のことはなにもなく)

It is too good to be true(そんなの出来過ぎた話だと)


To get out of the maze(迷路を抜け出すため)

You choose one thing(君はひとつの選択をする)

A simple answer(簡単な答え)

It’s the simplest option you have(最も簡単な選択肢)


It's the shortest(最も短くて)

Less painful(痛みが少ない)

Though you know it doesn't resonate in your heart(でも心が共鳴しないことは知っている)


Wishing that someone would gladly accept it(誰かが望む答えであることを願い)

Then you talk to yourself(独りつぶやく)


It was too good to be true(あまりにも出来過ぎた話だったのだと)





2021/09/05

チャットでおしゃべり

先日のこと

少し嬉しいことがあった


友達とチャットでおしゃべりした


ほんとうにしょうもない話題で

何度も何度もいったりきたり

そんな時間がありがたくもあり

少し楽しくもあり


ちょっと気持ちがやわらいだ


大人になったからか

みんなお互いに忙しいからか

情報技術の発展がもたらしたのか


連絡ツールは(少なくとも僕の周りでは)今や

大部分が「単に要件を伝える」「明確な目的を達成するため」という

手段としてしか使用されない


ある種の無目的な

やり取り


案外そんなことが

なにかを一つ

磨いたり、育てたり


知らず内にできるのかもしれない



2021/09/03

運動の魅力

筋トレをしよう!と思いたったのは10年以上前⏰

そんなことそれまで考えたことなかったが、

華奢な身体がなんか嫌だった

(あえて格好よくいえば「誰かを守れる強さ」を手に入れたいと思ったキッカケがあった)


それから長い年月が経ち、

やったりやらなかったりしていたその筋トレも

今では日課のようになった💪

…というほど、マッスルマッスルな生活ではないので

世界中のマッチョなみなさんには少し申し訳ない💨


前はもう少し胸板の厚い(セクシーな!?)男🐘

に憧れてやってみたりしていたが

それから段々

「多少の運動がいつでも難なくできる身体のほうがいい」

「お酒の飲みすぎか、体重が増えてきたから、少しでも運動しないと」

とコロコロと言い訳が変わっていき

今はどちらかというと

「朝の身体にスイッチを入れる」ような気持ちでやっている🔘


大した回数やセットでもないのでいちいち羅列しないが

3~4か所に負担をかける運動を3セット

朝起きて、ストレッチした後にしている


身体から、自らを起こしていく感じ🐃


こんなとき運動もいいよな~と思う

息がぜーはーする激しいやつは得意ではないけど


とかくプリミティブなことは

それそのものに集中(没頭)しやすいから

邪念で埋め尽くされた頭の中を

少しの間スッキリさせてくれる👯


今日はそんな狙いもあって

良く歩いてみたのだけど

歩くスピードが遅いと簡単過ぎるのか

脳ミソが邪念に使う隙間がたっぷりあったようで

途中からなるべく早歩きで進むようにしてみた🏃


すると…

膝が、ものすごく饒舌になった



2021/09/02

落ち着くノート

心がざわついて、

なかなか集中できない日だった。 


天気のせいかな☂


晴れだって、雨だって、

穏やかなときもあれば、もやがかったときもあるか。


気が付けば考え事ばかりしちゃったりね。

はは。


頭のなかで 思い描いては

そんなことないか…って思い直して。


まったくしょうがない。


そんな夜、

音楽を作っていたら

気が付くと

心がすこし穏やかになっていた


よかったな🌛


これがなかったら

なかなか厄介だったよ。


音楽はときに

気持ちを穏やかにしてくれるよ。



2021/08/31

進むべき道

Damn it!またかよ。

またこれかよっ。


自らの選択に 

自ら毒づいてみたりする


気が付けば僕の脳内は

すっかり

あの頃のままになっていやしないか?


4年半もあれば

人は大きく変わる


そして9年、10年経てば

もっと違う存在にみえる


変わったはずの人間が

大して中身が変わっていない部分に気が付いて

なんだか小さくなっている


後悔なんてしないはずだけど

あの時違った選択をしていたら

今頃はどうなっていたかな…なんて

考えるのは愚かなことかな


だって分かっている

進むべき道は

前にしかないのだ



2021/08/15

幸せな日々

例えば好きな人・大切な人と
美味しいものを美味しいと言って食べる

大好きなことを、大好きな人たちと
時間や空間を共にする

そんな瞬間に
あなたは自分が幸せだと噛みしめることができるだろうか

それができる人は
きっと幸せな日々を送るセンスを持ち合わせているのかもしれない


幸せのなかに
なにが含まれているのか

それは決してただ甘いだけでなく

苦味や酸味
良い塩梅
いろんなものが混ざりあって
その上で幸せを感じているのだろう

他人から見る芝生が一際青くみえるように
本人にしかわからない
そこへ行き着くまでの
それぞれの紆余曲折があったことだろう

だからこそ他人の幸せは
祝福されるべきである

また幸せそうに見えたり
自らそのように口外したり振る舞う人も
決してそれがすべての側面ではない


誰かの幸せを耳にして


祝福と

静寂と

孤独が


夜風のようにくすぐる

それをそっと
噛みしめる

2021/08/03

イジメかっこ悪い

かつてこんなキャッチコピーと共にイジメ撲滅運動的なポスターが巷に張り出されていた気がする。
こんなものでホントに撲滅できると思っていたのか定かではないが、とにかく時のいじめっ子はカッコよくなりたくて誰かをイジメていたわけではないし、カッコ悪いことが「人からの評価」であり、その人からの評価を「さげるようなことをしてはならない」という、評価そのものを基準とするようなこと自体が、今の多くの日本人のマインドセットに繋がっているのではないかとも思う。

Cyber Bullyという言葉を思い出すこの頃。
誰がなんのために話題を持ち出しているのか、なんとも全容がつかめないながらも、なにかが巻き起こってはその槍玉に挙げられる人が激しく糾弾されることがしばしば起きている。
特にこの頃の世界的なスポーツイベントのホスト開催に関連して、民意をきかずに頭から突っ込んでいくような決定をする組織の姿勢は負のエネルギーを増幅させていやしないだろうか。
そこへツイッターというそのリアルの存在すらも不明な個々のか細いつぶやきをハードパンチに変えてしまう、掃き溜めの正義みたいなものが育ってきてしまい、特に日本国内では、その匿名性などを最大限に活かす人々によって猛威をふるっている。

か細い声の人のなかには、かつてのイジメっ子もイジメられっ子もいるだろう。
腕力では負けても、知力で勝つ人もいるだろう。
普段から人のことボロクソに言う割には、相手に言われた一言を何度も思い返すような、繊細な人もいるだろう。

あの時はイジメていたけど、今では人を守りたいと思うようになった
なんて人もいるだろう。

そんな人たちのかつての一瞬が、いたずらに表出する。時にそれは意図的だったり、時にそれは偶発的であるかもしれない。
そしてそれは、拡がりをみせることがある。
ある瞬間の共感をもって。

イジメや、人種差別を肯定する人も中にはいるのだろうが、僕はそれは恐ろしいと思う。
あるとないを選べるとしたらない方を選ぶ。

でもそれと1990年代の日本の風潮や、当時の人種や人権、環境問題に対する情報や知識の乏しさ、それに対する意識が民度にまで染み込んでいなかったことは、そこで成功を得ていったアーティストたちの責任だろうか。
その作品やかつてのコメントを含めて評価し、結果的に彼らを現在の立ち位置に押し上げていったのは我々日本人ではないのか。

時の世界的スポーツ大会における開催国の組織委員会代表は、セクハラを過去に起こしているが、誰かに守られて、引き続き国を代表し、国民の選択など気にも止めず突き進む。


今日の出来事のなかにメッセージがチラつく。

それはもしかすると、こんなことかもしれない。

さようなら、日本のかつてのイジメっ子たち。
もう君はどんなに生まれ変わり、どんなに反省していたとしても、またどんなに今イジメられたとしても、あなたはもうこの国でなにかの組織や誰かの代表をすることは許されない。
(ただし体制側につくことができれば、話が変わる可能性もある)


果たしてこれは、今回の件が「国際的なイベント」であり、その行為が「国を代表して世界に発信させられる」から、イベントの主旨に「平和や多様性を謳っているもの」と反するから、今の状況がうまれているのだろうか?

その3つが他に揃っているものは同様に、品行方正な人々しか集まっていないのだろうか?


それとも!

世界中でまだまだ苦しむ人や街がある世界的な疫病による直接的もしくは間接的な影響によって引き起こされている、負の感情のようなものが存在しているのだろうか。


2021/07/12

罰ゲーム

罰ゲームをやりたがる
そういう人が小さい頃まわりにいた
そしてその人のそういう部分はあまり好きじゃなかった

自分が優位に立つ
もしくは
自分が負けても嫌ではない

そういう罰ゲームをけしかけられたりした

思えばどこかのタイミングでは
自分がけしかける側に回ってしまっていたかもしれないと
恥ずかしい気持ちにもなる

そういう罰ゲームを押し切る人の理論は大抵

A「〇〇で負けたほうが罰ゲームな」
B「嫌だ」
A「いいじゃん、頼むから。一回だけ」
B「えぇー」

で結局勝負
こっちが買った場合

A「ちょ、待って。もう一回だけ」
B「嫌だ」
A「いいじゃん、勝ったんだから。頼む、もう一回だけ」
B「嫌だって」
A「お願い、お願い!」
B「嫌だってば」
A「分かったよ、もう。じゃあジャンケンで勝ったら決めていいから」

みたいなよくわからない流れから、最終的には当初の水掛け論から、ジャンケンへと話をスライドして、結局勝負をしたくないという主張に対し、無理矢理勝負をねじ込んでくる。

最初からジャンケンの話などしていない。
そもそも罰ゲームをかける勝負をしたくないつと言っているのだが、いつの間にかジャンケンが妥協案かのように、勝負を持ち込まれる。


一連の政府が運んでいった今年の東京オリンピック開催の流れは、それを想起させた。

望んでいない声などを無視して、最終的には開催するかしないかに対する議論をごまかしにごまかして、ギリギリのところまで持っていった挙げ句、「今更キャンセルや延期はできない」

客をどうやっていれる?
どれだけ入れる?
という話にすり替えられてしまった。

もしかすると最初からこれを狙っていたのだろうか。

だとすると、観客の有無や会場内な
アルコールの提供有無など、ところどころに、値切りのテクニックにも似たようなものを感じる。

100円のものを買うときに
70円くらいまで値切ることを狙って

40円!
とスタートしてみる。
粘り強く交渉しながら相手も90円、うーん、80円!とくる。

こっちも
じゃあ50円!60円が限界!!

とかなんとかいいながら、
しょうがない、70円で手を打とう。

と持っていってストンと落とすような。

ハナから無茶をふっかけることによって、落とし所になるような答えでも充分な得を得たことになる。
そういう論法。

この論法が通じないときは唯一
相手の代替案にこちらが全く折れずに、
最初から一貫して同じ答えから提案を崩さないときだ

個対個
一対一のときでは
その状況は相手によっては関係を悪化させたり、後腐れがあってよくないかもしれない

ただそれが
対組織ならどうだろうか

ポイントは組織対組織になれるか
組織対個に
持っていかれてしまわないか

その辺りが難しいのかもしれない

2021/06/17

値上げ

武蔵野を代表するフォークシンガー高田渡氏が遺した名曲の数々。

とかなんとか言ってみたものの、その深みの善し悪しもよく分からないまま、その軽妙洒脱な雰囲気になんとなく惹かれて、よく聴いていた。

普通に傍からみればただのダメダメ人間みたいな人が、ミュージシャンという形でその不思議な魔法を使って、なにかを超越したような気付きを与えたり、人の心にずしんと響く、そんなものを届けることができる。最高だと思う。

それはそうと、その高田渡氏の名曲の一つ、「値上げ」をふと思い出した。

新聞の見出しを繋げた歌詞みたいな、そんな書き方をした曲だったと思う。

それは時の政府が、「値上げ」という国民が嫌がるような施策をいかにして、なし崩し的に値上げまでもっていくか…を描写しているようなそんな印象を与える。


現代でもそんなことがしばしば起きているように思えて、最近この曲が頭をよぎるのだ。


特に昨今の緊急事態状況下における、オリンピック・パラリンピックの開催などを見ていてそんな風に感じた。


時の政権は、「このままじゃ、開催できないんじゃないですか?どうするんですか?」って言われても、

「今はとにかく国民の安全と安心を…」とか、「安全第一のオリンピックを開催することに全力を…」とかなんとか言っているうちに、ここ一か月もしないうちに「もうここまできてしまっては、中止はできないし、延期もできない」と聞こえてくるようになり、「開催は開催。さて、客を入れるか入れないか…」みたいな方向で話が進んでいるように見える。

(ただの一都民の僕のところに、実際どんな話になっているかなど届くわけないので、イメージでしかない。実際にはいろんな話が飛び交っているのだろうけど。)

それでも様々な世論の声を反映したような報道関係者からの質問などには、判で押したような返事を返しながら、近づいてきたら「もう遅いので、このままいくしかない」と言われているような…詐欺まがいの押し切りをされているようで落胆する。


情報をコントロールすることが好きというか、それこそが定石そして上策とばかりに、表立っての発言はリスクを避け、結局意図する方向に持っていく…としているようだが、それでも「さすがです!」「あのキワドイ質問に、いやあ、見事な返しでした!」と感銘をうける人がいったいどれほどいるのか。

最高に歯切れが悪く、あんなことを営業の仕事の人がやっていたら、即信用を失うだろう。


僕が客なら、こんなに曖昧なこと言いながら、ずるずると自分たちの思惑の方向ばかりに運んでしまうような行為を何度もみていたら、そんなお店は使わない。

(実際、僕は金を払って雇っているはずなんだけど)


ところが、ルールを決める側に回ってしまえば、よっぼどの事やらない限り(よっぽどの事やったってある程度うまくごまかせれば)なんら問題はない。

「誤解を招いたことは謝る」っていって

「反省したので辞めずにこのまま責務を果たす」っていって

もっとバレないように、上手に次はやろうってするだけ


そしたら得する人同士は、また得しあって

うまく折り合いがつかなくなれば、死んでも使わないっていって

とことん干す!って脅すんでしょう。


なんか、それって…

牛耳られていないかな???


2021/06/15

死んだ魚

死んだ魚の目をしたひとがいう

ありがとぅぐぅざぁいあしたぁ〜〜




死んだ魚がいう

ありがとうございました


だったら

どちらが
より胸に響くだろうか


そんなことを考えたくなるのは
ぼくがが夜間(のシフトが働く時間帯)のコンビニにいってしまうからかな




2021/06/09

リーダーシップが問われている

一年以上同じように
緊急事態が公式にオンになったりオフになったりしつつ
実際の緊急事態は続きながら
緊急と思えぬようなスピードで
少しずつ物事が動いている

そして未だにこの極東の島国から出ることは容易にできない

閉塞感が漂い
どこかでガス抜きをうまく見付ける人もいれば

ある人はたまらず外出し
街へ出て
ある人は家へこもり
どこかでその閉塞感に対する思いを
発散、もしくは爆発させる

そして行政や企業
さまざま組織にいる首長の行動にも
いつにも増して、注目が集まっているように思う

自分一人や周りのちょっとした人々の行動で
何とかならないのならば
そのルールを作ったり、人々を取りまとめる人たちに頼りたくなる

そんななかで

我先にとワクチン接種を急ぐ長や
組織のトップが行政にかけあって順番を「横入り」しようとしたり
自分たちだけでもとルールを無視して集まったり
専用のシャワー室をこしらえてみたり
私物を大量に公務の部屋に持ち込んでみたり
不倫していたり
党内にだけ全体検査をしたり
ちょっと前まで内閣の重要なポジションにいた人が地元の有力者に金ばらまいていたり
都合の良いときだけ専門家のアドバイスを盾にしたり
質問の意味がわかっていながら、感情や思いを込めて返答するよりも、予め書いて用意した美辞麗句を読むことしかしなかったり

そんなことがニュースにあがってくる

いつか聞いた公僕という言葉よりも
上級国民などという言葉がよく飛んでいるように感じる

その存在を口にしない人の中には
それを実際に体感し、その利益に輪にどっぷり使っている人たちがたくさんいる

リーダーの資質が問われている

引っ張るリーダー、後ろから支えるリーダー、一緒に頑張るリーダー、色んなリーダー像がある

あなたのところにいるリーダーはどうだろう
もしくはあなた自身はどうだろう


確かに全員を幸せにすることはなかなかできない
ほぼできない
無理だろう

だったらその時
リーダーは誰の味方につくのか
 
人を含めた重要な社会の枠組みをつくる立場にいる人が
その時誰のために動こうとしているか

その答えの片鱗が
この一年数ヶ月のリーダー的存在の方々がみせる行動から
本当の姿をのぞかせていやしないだろうか


あなたのリーダーは
誰の味方か


もしそのリーダーが
甘い蜜を吸い
一部の中だけで回っている金を
ジャグリングするようにまわす

そんな人々が、もしこれからも権力を握り続けるのであれば

そこには甘い蜜を一緒に吸う人のほうが
たくさんいる

ということの現れかもしれない。

2021/04/25

人は集まる

どうにかしたい
多くの人はきっと
どうにかこの状況を乗り越えたい

しかし、ただただ漫然と
ジッとしている

そんな日々を過ごすというのは
ある程度の期間を超えてしまえば
そんなにいつまでも続けられるものでもなく

精神的にも
肉体的にも

疲れて
気分転換が必要になってくる

自分がジッとしてもしなくても
そんなに変わらない?

そんな風に見えてくれば

それならばと

外へでたり
どこかへ寄ったり
ちょっとソコまで食べに行ったり

アレはダメだけど
コレくらいなら

そんな風に少しずつ線引がボヤッとしてきて
なんとかある程度は快適に

それでいてヒドく遊び過ぎて
感染が広がるキッカケを作りすぎないよう

頑張るけど…


我慢しきれないことがもう一つ


人に

会いたくなる

大切なひと

好きなひと

尊敬するひと

楽しいひと

話聞いてくれるひと

リラックスできるひと


いつものひとたちと
過ごしたい


かくも人間とは
社会的動物である


政治は意図をもって
枠組みを用意する

ルールをつくって
守りたい人がいる

守るために
律する人がいる

またその枠組みから逃れよう
または出し抜こうとするひとがいることも
ルールを作る人は知ってる


でもそれが
どういう属性の
どれくらいの人々が
どういう規則性をもって現れるのか

そこまでの予想はなかなかできるものじゃない


そうなるとやはり
変えられるのは

自らの選択


その選択の連続と
その集合体が


今の街に
表出する


果たして
どの属性をもったひとが
どれくらいの期間で
これから動くのか

大きな変化には
もう少し時間がかかりそうだ

2021/04/20

来ないでください

相変わらずの日々が続いている
時は一刻一刻と過ぎていき
人の日々が流れて

命が産まれ
命が育ち
命が失われ

命を謳歌する我々のなかには

誰のこともさておき、
とにかく今を大切にするひともいれば

嵐の中で必死に動き回ってくれている人もたくさんいるが

恐らく多くの人は
自分や自分以外の人々の健やかなる日々のため
なんとかこの嵐が過ぎゆくのを

時間という
大切なコストをかけて

おとなしく
時を待つように
暮らしている


都や国の
都合のために
優先順位を誤った
曖昧な政策に

翻弄された都民をはじめとする
他の道府県の人々が

まんまと焦点を見失い

じわじわと疲れ果て

もうひと踏ん張りする力すら
残らなくなってきている

曖昧な政策を放ち
それを曖昧な理由で解き
2の手3の手を用意していたかのように
さらに曖昧な戦略が飛び出て
それすらも今破られようとしている

本当はロックダウンしたいのだろう
都知事はついに「エッセンシャルワーカー」という単語や「来ないでください」という表現を使い始めた

妙な標語めいた単語ではなく、
「来ないでください」という直接的な呼びかけ。

これはもう緊急事態。
宣言どうこうではなく、都知事が都民や近県からの越境を否定するという事象が緊急事態であると思う。

去年、別の大臣が「もう誰も緊急事態宣言やりたくないでしょう」と、煽るような発言をした時に、国民から反感をくらっていたが、当時のイギリスやドイツ、ニューヨークのリーダーのように、感情に訴えかけるつもりが、マネたようなセリフを言ってもこの国の人々には全然ハマらなかった。

そして今、都知事がそういう状況である。

あと100日もしないうちに、
「この都市に(世界中から)どうぞ来てください」と言いたいが為に、今本当は「来ないでください」とも言いたくないだろう。

できるだけ早く、厳しく人流を防ぎ、
世界中のアスリートを迎えるときには「もう大丈夫です」と言いたい…いや、言いたかっただろう。

それにはあまりにも打つ手が遅過ぎた

後の影響を抑えるために
頭から緩くやり過ぎた

予定通り、目論見通り進むはずのことが

あまりに進まな過ぎた


少ない解決策が
うまく進まず

特効薬は未だになく

与党が自分たちだけに税金で行った
徹底検査が国民に行き渡ることはなく

世界中が効果を見つつ
期待を示すワクチン接種も
あまり順序よく行き渡らず

ましてやワクチンはおろか
病気・ウイルスそのものに
情報操作だという言葉を掲げ
全く分断された意見を持つ人も

選挙に立候補するくらい居る


この中に
悪気のある人はそういないだろう

でも誰もが納得する
解決策が打ち出せる人もまたいない


このまま一人一人が
自分のルールの中で
ボヤけた境界線の上を
行ったり来たりしながら

なんとか自体が
好転しないかと


待つしかないのかな


2021/04/04

清明

カレンダーにふと「清明」の文字。

そういえば清明節という中国かどこかのお祝いがあるというのを目にしたことがある。

気になって調べてみた。


せいめい

二十四気のひとつ。春の5番目の節気。

万物に清新の気がみなぎる時節。


清明とは、清浄明潔を略したものだそう。清らかで、明るい。

木々や花々が成長し、動物や昆虫、人間の動きも活発になる時期なのだ…と。確かに。


またこの時期にしとしとと静かに降る雨のことを、

「桃花の雨」「発火雨」とも呼ぶそうな。


しとしとと降り、散りかけの桜の花を川へ流す雨も

また春の一側面ということか。


中国だけでなく、台湾、香港、そして沖縄でも清明節は大切にされているみたい。

中華圏では祝日になって、先祖の供養をしたり、日本の「お盆」みたいに過ごされるんだって。

そして沖縄では、清明祭をしーみーと呼ばれていて、お祝いするらしい。


こういう漢字の「清明(せいめい)」が「しーみー」になる感じ、好きだな。

どことなく、沖縄にはやはり日本(本州のほう)と中国的文化の中間なのか、どちらでもないのか、とにかくそういう独自性を感じる。やはり、琉球王国だからかな。


その「シーミー」は、先祖供養のお祭りとして、お墓参りして、お墓の前で宴会をするそうな。


お墓の前で宴会とは、ご先祖様も喜びそう。

僕の好きな二代目桂枝雀さんの落語に、そういうお墓で酒盛りをする「天神山」という噺があったっけ。あれも舞台は春だったな。「花見」の代わりにヘンチキの人が「墓見」で一杯やるっていう。


みなぎっている気を

有効に使いたいものです

2021/03/29

Hurdy Gurdy Man現る(曲解説)

日本語詞の朗読などもしていたが、リリース後の曲に関するお話を書いていなかった。

昨年末に、2020年の1曲としてリリースした「Hurdy Gurdy Man(ハーディーガーディーマン)」。

この曲は、トロントに住んでいた頃に、ぼんやりと満月の空を見上げながら、アーチ型の橋の上を歩いていたときに、モチーフが思い浮かんだように記憶している。

その橋は好きな場所の一つで、よく散歩したり、自転車で通っていた。橋と垂直に交わるように、眼下に高速道路と川が通っていて、なかなかの高さで眺めが良い。

昔は人が飛び降りた事もあったらしく、今は鉄柵などでその隙間からしか眺めを楽しむことができない。

ハーディーガーディーマンにはその時のモチーフに、幾つかの要素が足された物語になっている。それは主に以下のような要素だ。

・孤独な留学生

・街の路上で音楽を奏でる老人


楽曲自体は、老人と少女、それと物語を語る第三者の視点から描かれている。

居なくなった少女、そして老人、そこに流れる音楽と、それを奏でる人間。老人と少女、それぞれにとっての音楽の重要性。

そういった背景や人物像が入り混じる、少し物悲しいような。そしてそんな孤独な景色のなかにある小さな光のようなものがみえる。

また、こういった物語のニュアンスを、今回カバーイラストを手掛けてくれたイラストレーターのminさん/スパイスマシーンは見事に表現してくれた。我儘な注文にも、快く、そして爽快に、対応してくれたminさんには本当に感謝である。


孤独な留学生

トロントにいる時に、日本からきたたくさんの留学生にあった。

キラキラと楽しそうな人もたくさんいたが、現地の環境にうまく馴染めず、孤独そうに、退屈そうにしている人も中にはいたのを覚えている。言葉も自由に話せず、新しい文化を受け入れることもできず、日本人同士で常に時間を費やし、「カナディアン」という括りで現地に住む人を否定がちに眺め、日本に帰ることを心待ちにしているような…そんな人がたまにいた。

そんな人のうちの一人をふとした時に見かけたことがある、その人はたった一人で、繁華街のど真ん中にある大きなショッピングモールのベンチに…ただただ座っていた。

本人はもしかしたら待ち合わせでもしていたのかもしれないが…

何もせず、ただ座って、街行く人を眺めているその人は、なんだか孤独そうにみえた。

他にも聞いた幾つかの孤独な留学生のエピソードはなんとなく、僕の頭に消えずに残っていた。


街の路上で音楽を奏でる老人

これもトロントの街でよく見かけた。朝の市場、公園、駅のホーム(専用のスペースがある)、繁華街、なんでもないただの狭い交差点の角、色んなところにいた。

その人たちが、普段どんな生活をしているかはいざ知らず、彼らは街の風景のように溶け込むときもあったが、時にそういった人たちの音楽が、例えば近くで買い物をしていたカップル、通勤や通学などの途中に近くを通った人、そんな人たちの日常に、ポッと灯りを点すような瞬間、そんなことがあるんじゃないだろうな…いや、あるに違いない。トロントの街には、実際ハーディーガーディーのような民族楽器を演奏する人はいなかった…と思うが、もしこれが「普段楽しそうだけど実は孤独」→「道化を演じるピエロのようなおじいちゃん」が、ハーディーガーディーやアコーディオンなどを演奏しながら歌っていたら…というイメージ。


そういった要素が混ざり合い、今回のような歌詞に仕上がった。


作詞・作曲、レコーディング、録音、編集などは全てメロウシンフォニーが担当。

サウンドの雰囲気はこの楽曲のタイトルのヒントにもなっているDonovan、またElliott Smithといったオルタナ的でラフ、でも骨太ではなく線が細いような。且つ湿っぽさというか寂しさが漂う、そんなシンガーソングライターのテイストを表現してみた。


小さな物語、楽しんでもらえたら嬉しいです。

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2021/03/18

カンベンしていただきたい

政治家や権力者の迂闊な言動

納税者をなめ切った発言などが多過ぎて

去年の出来事や今年の始めの出来事すら

もうすでに古い話のように思い出される


どこの国でも、まあ汚職めいた話はあるだろうけど。

勘弁してくれよ、と思う。

こっちはきっちり税金納めるのに、

ワケの分からない法律や

専門用語を一生懸命調べて、

なんだったらその筋の専門家やシステムに大金払ってまで

確定申告やらなんやらしてるっていうのに


その税金を給料として受け取る側は

ごまかす、捻じ曲げる、ぶんどる、無駄遣いする


国会で質疑応答を

なんて言っても

それは人間同士の会話というより

用意された紙を読み上げて

時間を潰しているよう


「お金のある人のところにしか

お金は回らないのだそうでございます」

みたいなこという枝雀さんの枕があったっけ


接待をされる人々に

接待をする人々がいる


接待をすれば、得をする

そういう思考回路の人がいる


なぜ、そうするのか


慣例に従わないと

はじかれるのか


得をした先に

私腹を肥やすのか


それとも

より多くの人を守る?

幸せにする?


どうかな


会食をするなという呼びかけ

そんなことを国民に伝えるような一大事に

自分の可愛がっている女の子がいるお店に

酒を飲みにいく


お金を落としてあげたかったって

そりゃ、普通の人はそう思うよ

だからといって

それをやったら

あなたをもう普通の

税金を納めるだけの側であるべきだよ


業界の要人とお近づきに慣れて

嬉しい人、そこで人脈を作りたい人なんてのは

政治家じゃなくても当然たくさんいるだろう


それがルール違反だってされていても

それでも行く人も、巷にはいるんだろうな


結局は

自分が得してさえいれば、

誰かが損したり、悲しい思いをするのは

構わないのかね


越後屋、お主も悪よのう

…そんなのがずっと続いていくのかね


そんなことを重ねて

昇り詰めていくやつが

会食の場で誰がいたか、どんな話をしたか

ロクに覚えていないわけもないし

どんな人がいたか認識していなかったわけもない


結局逃げきれなくなって

辞職しても

その先に人生は続くし

辞めた見返りというか、その代償として

また何かしらの甘い蜜にありつくのだろう


勘弁していただきたい


明るい暮らし

住みよい国をつくる

人々の生活をまもる


とかなんとか言わずに


飲み会は断らない

接待は続ける

何事も証拠は残さない


そういいながら

もう一度その手で

納税者の手を握って回ってみてほしい



2021/02/10

選挙ポスター

この国の政治家が、

政治家以外の国民のことをステレオタイプの枠組みに当てはめて

モノを言うのを映像や記事でみていると

なんだかな…そういう時って目線があまりにかけ離れていることが多くて

憤りに近いものを感じるが。


どっこい、こちら政治家以外の一国民としては

「政治家」さんたちにもステレオタイプを当てはめている


まあ、分母の割合を考えればこっちの方が

ステレオタイプと実像とが近いかもしれないね。


散歩を良くするのだけれど

この街中にあるポスターはなんだろね

申し訳ないけど、

百害あって一利なしとはこの事です!という手本だろうか


イメージが大切

人気商売

風見鶏


そんな風な人たちが

白々しい笑顔や分かりやすそうに見せるだけのキャッチコピーを浮かべて

街のあちらこちらで顔と名前を貼りだしている


そーんなに顔を売る必要があるかね


見た目で勝負でもしているのかね


あなたのお仲間が

とんでもない失言や

体たらくな仕事をしていますけど

その所属です!ってニコニコした顔を

曲がる角という角に貼ってあるけど


ホントに、それ

プラスかね


名前と

マニフェストと

実行したこと

の方が知りたいけど…まあ、難しいかな


そんなことを思いながら

夜道を散歩していたら、

ふと思い出した


そういえばトロントの選挙看板も

街中にいーっぱい立てられまくっていたな

自身の敷地に看板を置いたり、ポスターを貼ることで

誰を支持しているという意思表示や

刷り込み的な効果を狙っているのかな


トロントでみた選挙看板には

顔写真はない



2021/02/01

Hurdy Gurdy Man(Lyrics)

Hurdy Gurdy Man        by Mellow Symphony

Under the moonlight I had a nightmare
I saw her fly high up in the sky
Live in other land is nothing but fun
She told me with a smile
But I knew that's a lie

Sitting in a corner of a park as she had nowhere else to go
Only thing she did was to stare at a man with a long black silk hat

Hurdy Gurdy, a man sings old songs
She liked them all though there's no song she knew
Hurdy Gurdy man smiles in the corner
He looks so vacant and looks a little sad

Under the daylight It was a nightmare
I saw an old guy has gone very far
She used to say that she wouldn’t know why
I didn’t really cry
Guess I'm too dry

She had no joy but walk in the park
And listen to the old man singing whatever he likes
It was the only moment she felt calm

Hurdy Gurdy, a man sings old songs
Even though no one would stop for him
Hurdy Gurdy man smiles in the corner
He looks numb somehow but looks a little sad

Hurdy Gurdy, play a song once more
Though she cannot hear the voice any more
Hurdy Gurdy please smile for her
He looks so tired but looks satisfied




déjà vu

最近、デジャヴュを見ました?

僕は今日、見ました。


この光景、知っている!

あれ?

見たことある!??


この人と、この話してた!

大先生的な存在の方と

リズムについて会話しているという既視感…


なんなんそれ!

(見るならもっと日常に起こりそうな事じゃなくて??)


脳内の一種のバグ的なことなのだろうか

それにしても、その正体とは一体…


夢とかもそうだけど

なんでこれ、起こるんだろう。


人間の脳って、本来の力(能力…もとい脳力!)のうちの

ほんのちょっとしか活用されていないって話なかったっけ?

(現代人もそうなのかな…😗)


それとか昔漫画でみた

頭蓋骨に穴をあけて、「第三の目的な」脳の潜在能力を引き出すとかっていう話

そういうのとか大好き


まだまだ謎が多いね

脳!


ミステリアスなやつめ


2021/01/24

節目

1月20日。

一つの区切り。誕生日を迎えた。


相も変わらず、お祝いの言葉やプレゼントで祝福してくれる家族、友人、知人がとてもありがたい。

こんな時だから離れているけど、(普段あまり使わない?)アプリを開いて、そこで久々の友人に祝いのメッセージを打ち、送る。

それだけでも、その時間、思いを寄せてくれている。

ありがたいねぇ。

まったくありがたい。


こうした人々と、これからも大切な時間を共有していけるような人間になれるよう、自分を磨き続けていきたい。


今年はどんな風になるかな…

なんだかこんな風に新しい一年を見るのは初めてかな。


新しく始めたいこととか

今年はこういうことやってみようとか

こんな風にしてみようとか

そんな未来の楽しみを描くときに


「…まあ、状況が良くなったら…」

みたいな条件を考えなければならないとは!


それでも、今の環境のなかでできる、未来に向けた準備や、今現在できることを考えながら積み重ねたりして、引き続き成長していきたいね。


有限な人生、

もったいないもの。


外食や、小旅行も行きづらい今年の誕生日。

恐らく、記憶するなかでは

自分のために買ったワインとしてはこれまでで最も高額なワインを買ってみた。


味のバランスが良くて、でも奥にしっかりとしたものを感じる

良い香りのエレガントなワインだった。


大人の階段をまた登ったかな。