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MUSIC AS MAGIC!! Singer Songwriter Mellow Symphony's Blog

2019/12/12

バンド編成

12月頭のライブ at 三軒茶屋では、4人編成でライブに臨んだ。

この編成は、今までに一度もライブをやったことのない編成で、自分としても少し実験的な要素を含んだライブの回となった。

ベース: キック
パーカッション: 松井リカ
フルート: カシワギ

という編成で行った。

キックはもう多分知り合って10数年になるのだが、ここ数年(僕が再び東京でライブを行うようになってから)度々サポートを引き受けてくれている。

他のメンバーは今まで一度も音楽で交流をしたことがなかった。

カシワギさんには、以前に銀河スープとのライブで対バンとして共演し、その時に言葉を交わして以降、全く連絡を取り合ってなかったし。リカさんに至っては、演奏すら聴いたことがなく、ただ初めて会ったときの話が盛り上がって、「あ、この人おもしろいな」というのが最初の印象だった。

そこからの共演というのもあり、はじめてみんながリハーサルで顔を合わせたときにはいくらかの緊張感はあったものの、演奏しはじめた途端になんというか…合点がいった感があった。
それくらい「しっくりくる」アンサンブルを、初めてにも関わらず演奏することができた。

ライブの日の夜は、そんな興奮もあってか、ライブが終わって帰ってからもなかなか眠りにつけなかった。
この盛り上がりはまるで片想いでもしているかのように、ワクワクするような、ドキドキで、次が楽しみになるという感覚だったので、自分でも少し驚いた。

(後で観た動画にはたくさん反省の要素もあったのだけど)

そんなライブを経て、今月は立て続けにライブをこなしながら、14日でいよいよ年内の最終日?を迎える。
この日はツーマンでゆっくり演奏してみんなでゆっくりする時間を作りたい。それが終われば、残りの日程では年末に向けて音源を仕上げる体制にしようと考えている。

バンドの編成に手応えを感じていたのは僕だけではなく、一緒に演奏してくれたメンバーも良い感触を得ていたようなので、このスタイルで1月29日に決まっているライブでもやれるように現在調整している。

2019年の終わりに、2020年のスタートを感じれるというのは、もしかしたらすごい良い流れといえるのかもしれない。

2019/11/13

Home

先月の大半はカナダで過ごしていた。
実にちょうど一年ぶりの滞在。尊敬する友達や、僕がトロントに住んでいた頃から仲良くしてくれている人々、また日本に住みはじめてから知り合った友人などに会いながら、いわゆるCatch upをしてきた。

みんなそれぞれの生活や休暇の合間をぬって、時間を作ってくれたおかげで、毎日スケジュールの合間に誰かと昼または夜に会ってお茶やご飯をしながらおしゃべりをして、夜には友達の家に泊まらせてもらいながら過ごしていた。

気が付けばあっという間に10月は終わってしまい、みんなと会うたびに「一年後(までには)再会しよう」と話して、また次の約束へと向かった。

一年もあれば、何か新しいリズムを組み立てることもできる。
お互いに知っていた頃とは少し違う何かを、生活に定着させていくと気付けば一年くらい経っている。そんな風に中には新しいことを始めている人、生活のスタイルを変えた人、これまでの経験をさらに高く積み重ねた人など、再会の中で言葉を交わしながら、会う人たちのそれを感じていた。

いくら工事が遅いカナディアン(ホントか?)とはいえ、街並みも少し変わったりする。
新しくできたお店、取り壊されたビル、ずーっと工事中の道路など、そんなのを眺めながら緩やかな変化も噛み締めていた。

日常を噛みしめながら、この街に自分が住む場所(拠点を置いている場所)はないんだと改めて思い出すと、少しさみしい気もしていた。

トロント滞在中、ふと立ち寄った雑貨屋で、ポスターに書いてあったQuotesが目に入った。

"Home is not a place, it's the people you love"

みたいな事があって、ハッとした。

自分のHomeは、場所ではなく、愛する人々→誰と過ごすか→大好きな人たちと過ごす空間こそが、本当の意味で安心できる場所、Homeとなる。

そんなとこかな。

それを見たときに、そっか…じゃあやっぱりトロントらHomeでもあるな。と感じた。


君はどんな人と過ごしているか

2019/09/01

佐野でも

日本でストのニュースをめずらしく見た

東北自動車道佐野サービスエリアの話。

これはちょっと驚いたし、時代の流れを感じて
(変わって欲しい方向へ)世の中が動いているような感じが個人的には嬉しかったが。
同時に

「よっぽどの…異常事態なんだろうな!」

とも感じた。

こんなにも?善良な日本人が!
陰湿ではあっても、陰口をたたきながらも長いものには巻かれたい、
匿名なら言いたい放題いうけど、個人名を出してはなかなか思ったことが言えない…

でおなじみの!国民性を持つ日本人が…

ストライキ!!するんだから…自体はよっぽどなんだろうな…

と思っていたら

「佐野サービスエリアで従業員が「ストライキ」 突然の営業休止、さのまるの出演も中止に」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d53b885e4b0cfeed1a565da

ケイセイ・フーズ…一体どんな企業なんだろう…でもストライキするなんてここの従業員もよっぽどに違いない!新しい時代の流れにのって従業員の皆さんも頑張って欲しいな~と気になっていたら

「佐野SAレストラン、交渉進展しないまま営業再開 新たに従業員を雇用?」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/sano-sa-restaurant-start_jp_5d69d2a6e4b09bbc9eef3209


え??ストライキしている人無視して新しい人雇っちゃったってこと・・・?
それって「他に働きたいやつはいくらでもいるんだ」みたいなメッセージに見えて

なんなのこの「ケイセイ・フーズ」企業としてヤバくないか?反則じゃないか、それ?
と思って悲しくなった。

今まで働いてくれた従業員の事なんだと思っているんだろう…
これってよっぽど「誰でもできる仕事」なんだろうか…研修期間とかもいらないような?
そんな仕事なのだろうか?その程度に企業は考えているのだろうか…

と思っていたら。

「《暴言音声》従業員が明かす佐野SAストライキ長期化の要因「私たちはパワハラを受け続けてきた」」
https://bunshun.jp/articles/-/13620


ああ~、やっぱりね。

完全に従業員をなめているよね。


こういうロクデナシの経営者とか管理者みたいな立場の人たちって
どうやって生まれる…というか育ってくるんだろうか…

と不思議に感じていながらも

「佐野SA労使が9月初旬に2度目交渉への予備折衝」
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201908310000623.html


というニュースを見て、一先ず安心…というか。
交渉はまだ続いているのだな!という認識ができたので。

引き続き、従業員の皆さんを応援したい!!


労使交渉って大事ですよね。

2019/08/31

拡幅するスタンダード

バイトを何年も続けている人に会うたびに「タフだ」「なんという忍耐力だ」とかそんなことを思う事があった。
今ではアルバイトに対する価値観も随分変わったが、「ちょっと真面目なお遊び」のようなものになる前まで「生活の大きな一部」「我慢するもの」「歯車としての役割を担う労働」とかそういう考え方でアルバイトと向き合っていたようにも思う。

色んなバイトを経験して、もうそういうのはいいやと思うことがあるけど、特にコンビニエンスストアだけはもうやりたいと思わない。

コンビニにはいわゆる「ラクなバイト」みたいなイメージがあった。資格がいるような特殊な仕事ではないので、基本的には誰でもできるし、その分時給もそれほど良くない。ただ廃棄をもらうことができれば食費が浮くし(添加物なんか全く気にしない人には)、深夜バイトなら昼夜逆転さえなんとかできれば時給もそれなりにもらえるし

と思っていたけど、、、

コンビニがどんどんconvenientになっていくために、請け負う業務やオペレーションは創成期の頃と比べてかなり増えたと思う。
あくまで僕が最後に経験した2010年代初期の頃の段階で、マニュアルは割と分厚いが読んでるヒマや研修期間はほぼない。言うほど時給も高くないし、ましてや全然ラクじゃない(記憶している限りでは、深夜ですら結構な量のタスクが時間ごとに細かく決められていた)。そして都会の深夜は色んな人がいるから、お客さんからそうじゃない人までたくさん来た。

加えてどこかの高級飲食店やなんとかランドともワケが違う、自動販売機に毛が生えた程度にしか考えていない客が自らの所用をさっさと済ませるためにどんどん押し寄せる。

そして、流れ作業になる接客。
人間的なやり取りも忘れ、機械的に交換する物品と金銭のやりとり。
そこに(人間同士で向かい合おうとする)良客はほぼ現れない。

つまりやり甲斐なども生まれにくい。
これは地方だとまた少し変わると思うが。


今、コンビニという事業は変化を求められている。
そもそもこの事業形態がもうビジネスモデルとして成立していないように感じる。

ストアをコントロールしている企業側はまだ大丈夫かもしれない。売り上げの数値を見ながら、新しいポップや販売戦略、新商品の開発など、面白さを感じている人もそこそこいるだろう。

しかしコンビニは顧客のニーズに応えるというスタンスが本当に成立しているのだろうか。
むしろそれは無ければ無いで良いものを過剰に供給して「そこにあるので使う」といういわば甘やかしの論理に基づくやり方になっていないだろうか。

そのしわ寄せはどこに来る?
誰もやりたいと思わなくなったアルバイトは、とにかく職を探している外国人労働者などを中心に採用していくことになる。
受け入れの準備がそれほどできてない店舗は、言語力も曖昧なまま、かつての「自販機に毛が生えた程度」のクオリティを踏襲した、ぎこちない日本語力で接客する店員さんが増えていく。
もちろんよく働く人や丁寧な接客ができる人もいるけど。

お客はまた更に接客を期待することが減り、より機械的なやり取りが行われるようになっていく。


それでも多分多くの人々が使い続けるだろう。


セルフレジを置いたり
アプリで支払いができるようにしたり


それでも間に合わなくなってきて、人手不足、体力的限界を理由に、営業時間を短くするお店がでてきて、ホールディングス側も遂にそれを認めるほかなくなってきた。

AIが進めばロボットを取り入れたりもするようになってくるかもしれないが


それはいわゆる「大きな自動販売機」にしかならないのではないだろうか。


本当に便利なのは「話の分かる生身の人間」と思う人たちもまだまだ多いだろう。


もっと店舗数を減らして、人件費に割いた方が個人的には好きな気がするが

「ちょっと不便だけど使えるは使えるので、一日に何回も行く」くらいのお客さんが圧倒的に多くいれば

「超雰囲気も良くて何でも対応してくれるので大好きなコンビニがある。でも一日に一回かせいぜい二回くらい利用する」お客さんよりも企業は大切にするだろう


スタンダードは拡幅していく


コンビニ業界はこれからどこに行くのか

2019/08/19

太陽

ちょっと前の話。
今年の梅雨は日照時間が短かった。
「例年のこの時期に比べると記録的に短い」というようなことを天気予報士さんが話していた。

農家の方が心配でもあるのだが、
僕は都会に暮らす方々への影響も心配していた。

トロントに住んでいる間に日照時間について色々調べた。
そして外で陽の光を浴びていないと人の身体はビタミンDを生成できないそうだ。




そしてそれがどんな影響を及ぼすのか。なかなか侮れない。


太陽の大事さを感じて、改めて梅雨が明けた今でも、外の光を浴びるために外出を心がけている。

2019/07/18

アレもコレも横浜アリーナも夢じゃない

先日親友に急遽声をかけてもらい、B'zのコンサートを観てきた。

今年の春に観に行ったサザンオールスターズ同様、日本の音楽業界の黄金期を駆け抜けて、今なお一線で活躍するレジェンド級のポップアイコンのひと組。

中学、高校の頃などヒットチャートに上がってくる名曲の数々をカラオケで歌ったり、(簡単なものなら)松本さんのギタープレイをコピーしたりなどした。

初めて生で観た稲葉さんはフォルムも格好良いし、動きもロックしていて、歌唱もずっと聴いてきた通りの高音をキープしていて、物言いもジェントル。まさにしっかりと作り上げられていた。
あんな風に30年以上もパフォーマンスすることがどれだけ大変だろうと、奥に見えるストイックさを感じずにはいられなかった。
それは松本さんのギタープレイからも感じることはできた。

およそ二時間半、ほとんど休憩なしに演奏し、踊り、走り、動き回る。歌詞も飛んでないし。ユーモアもあるし。

横浜アリーナをライブハウスに変えてしまうようなロックスピリットを見せてくれた。

個人的にはセットリストは知らないものが多かった。
最新のアルバム、最近のB'zを聴いている人たちにはハマる曲が多かったようだが、その辺りもB'zが意識するリスナーの層がやはり(2時間半一緒に立ちっぱなしで、手拍子と手扇子?しっぱなしというあたりも)最近のエネルギー溢れる世代や元気なロックが好きな人たちに向けているのかなという印象だった。

ライブの後半に稲葉さんがどこかの首相が記者会見でもするかのような?演台を前にスピーチをする風の演出があった。

時期的にも?政治のことを少し意識しているのかなとも感じたが、直接的には言わなかった。

ただ最後の方のMCで、B'zの音楽を聴いた人たちが「いつもと違うことをしてみたり、今までと違うなにかを始めてみたり(してくれたら嬉しい)」的なことを話していたときに
これは稲葉さんなりの選挙に対する呼びかけかな?とも感じた。

日本の音楽業界のトップを走り続けるバンドが、サポートに若い世代のミュージシャンも積極的に取り込みながら、相変わらず格好良くて新しいリスナーも取り込んでいけるってすごいことだな。

誘ってくれた親友にも感謝。
彼は誕生日を迎え、来年には仕事で横浜アリーナを使ってお客さんを「呼ぶ側」にまわるそうだ。

彼のB'z(カラオケ)もまたいつか聴かせて欲しい。

2019/07/11

明日を照らす光

「小さな光でも 明日を照らすだろう」

ほんの些細な日常の喜びは 
また明日
しっかり歩くんだと 
誰かを勇気付ける

それは逃げでも
ごまかしでも
まやかしでもない

確かにある
小さな灯火


歩みを続けようという人の背中を 
微量な力で押す



それは街に溢れる
ふとした瞬間に

あなたは誰かからもらって
あなたは誰かにあげている


知らない間に発して
受け取ったりする力


それは憧れのアーティストのコンサートや
お気に入りの店員さんの笑顔
たまたま読んだ本の一節

信頼する友達が口走るくだらない冗談や
長い時間を共にするパートナーからの何気ない一言


それらを
エネルギーに変えようとする自力

そこにエネルギー成分を紡ぎ出すという気付き


それを意図すると
うまく届かないときもある


そんなときは
潔く認めてもいい

欲しいものと
あげたいものは

必ずしも合致しないのだと

2019/06/30

格好が良いこと


かっこうよい【格好良い】
姿・形がよい。特に、いかにも洗練されているように感じられるさまをほめていう語。かっこういい。 
人の行動について、いかにも潔いさま。かっこういい。 


格好いいとはなにか


僕は
かっこいい人間になりたい


かっこいい音楽
かっこいい生き方
かっこいい考え方


まだまだ足りない


カッコつけやがってと言われて
悔しい気持ちになった12歳のとき


「なんてカッコいいんだろう。カッコつけてないところが、なんてカッコいいんだろう。」


先日そんな歌を聴いて
ふと気が付いた


誰だって格好良くありたい


その格好のつけ方は
きっとみんな同じじゃない

「逆にかっこいい」ことの
「逆」なんて
本当は最初から無いのかもしれない


カッコつけるなと
言われてもいいか


他人にとっての格好良いことは
私の格好良いことじゃないかもしれない


自然体を愛する人がいるように
精巧な作りものを愛する人がいるように


格好良い人間になれるように
もっと成長していきたい

格好良い人間になれるように
もっと勉強し、練習し、経験し、積み重ねていきたい


一つの価値観に縛られず

人のことばかりに気をとらわれず

誰かに何かを与えることができて

良いエネルギーを自分から発していける


そんな自分の格好良いを

これからも探し追い求めていきたい

2019/06/11

暮らしの隙間に

気がつけば6月ももう10日過ぎ。

5月の後半からは色んなことが重なって
忙しくなりそうだなと思ってそわそわしていたら

月の半ばを過ぎて本当に慌ただしくなって

その流れがようやくひと段落つきそうで
区切りが見えてきたけどもそのすぐ先に見えている
次の「バタバタ」があったりして
まだそわそわがはじまるかな

ただそんな中でも合間に少しだけ
リラックスする時間も取りつつ

緊張と弛緩を繰り返しながら

難しい事柄に取り組んで
失敗したり、成功したり
大切な人たちと過ごしたり
感謝して、よく笑って

誰かを貶めたりすることよりも
幸せになってもらうことを考えて

最後には共有した時間が
楽しかったなって
満足して

一緒に幸せになれるように


そんな風にしていこうと
日々を過ごしている



あなたは

どうしているかな

2019/05/18

伝えない言葉、伝えたい言葉

5月の後半に入って
先月から考え事の大部分を占拠していたことが
少しずつ現実味を帯びて
慌ただしさが押し寄せてくる感覚

それは同時に終わりが近づくということでもあるのだけれど

なかなかワクワクしている


そんな隙間に先日は友達とご飯を食べてきた

ちょっとした日々のことなど
色んなことを話しながら

溢れてくる言葉もあったり


友達が一つ気付かせてくれた

聞こえる言葉だけが全てではない
言わない言葉があって
その中には聞こえるものとは
全く逆のものすら含まれているのだと


ほら
言っているだけかもしれない


ずっと前から
思ったことは言った方がいいよなって

そんな風に自分ではしようって考えてるんだけど


良いことは特に
感謝の言葉とか
尊敬の念とか

伝えた方が良いこともあるな


その言葉に出てこないものを
想像してもいいけど

想像しすぎもまた
変にややこしくすることもあるからね


ただ何も伝えないよりも
伝えていきたいことはあるな


まあ
僕にいたっては
喋りすぎることの方が多くて

それはそれで相変わらず気をつけた方がいいけどね。

2019/05/11

ただされない

道行けば
人とすれ違う

袖擦り合うも多生の縁


一生懸命な人がいれば
冷や水をかける人がいる


人の考えを聞き出せば
潰して塗り替えたい人がいる


潰したい人は
どこかで膨らませてくれよ


冷や水かける人は
どこかで温めてくれよ


ただ去れないのなら


せめて去ったその先で

2019/05/09

関係性を育む

友情を育むことは
とても大切なことだと思っている


最近はちゃんと育んでいるかな

しょうもないメッセージ送ったり
電話したり
会おうよって連絡したりね。

それで

話す
他愛のないことでも

もしかしたら一緒に仕事したり
一緒にスポーツしたり
互いに議論することや
時には喧嘩して仲直りすることなんかも

育むことができるだろう

一緒にお酒を飲んだり
美味しいご飯を食べたり
コーヒーや甘いもの
缶ジュースだっていい時もある


大事なことは
時間を共に
費やすこと

共有することだと思っている

一緒に笑ったり
考えたり
相手の話を聞いたり
自分の話を聞いてもらったり

褒め合ったり
認め合ったり

そんなのもいいね。

そうしてその友情には
また一枚素敵な葉をつける
枝を伸ばし
幹が太くなり
花を咲かし
新しい種を蒔く


頼み事や
コネとしての関係や
相手を自分の経済活動や
損得勘定に使いたいときばかり
連絡していたら

どんな風になるかな


良いも悪いも
関係性は
そうやって育っていくと思う


時には刺激的な一度きりの出会いが
何年も後に結ぶこともある

だけどこんなに
電子的なものが多い時こそ

原始的に動いてみたり
テクノロジーも上手に使って

育むなんてのも
いいんじゃないかな

2019/04/20

大切にする手紙

大切にしたいものごとを
大切にしたいときに
大切にする


そう心に決めたのは10年くらい前だろうか。

誰かのために強くなりたい、
そんなことを思ったのもその頃だったかな。


先日、一通の手紙が届いた。
手紙っていうのも珍しい。いや、それは電子型の手紙。

しばらくお互いになんの便りもなくなった
旧い友達から。

その人は僕が本当に少年だった頃を知っている。
何も知らない
自分のことも知らない

ただ湧き出る感情や
目の前の与えられた世界に
振り回されているような感覚だったあの頃


ある意味でその時の僕をとても大切にしてくれた友達

その電子型の手紙には
僕の書いた曲についての賛辞があった。

嬉しくて返事を書いたら
その人はこう言っていた


「伝えたくなったことは伝えたくなったときに、ちゃんと伝えなきゃなって思って」

ああ、この人も
大切にしたいものごとを
思ったときにそうすることを
大切にしているんだな

そんな風に感じた。


手紙ってのはいいよね
相手のことを考えている時間が
そこにある

そんな風に教えてくれた人もいたな


住所がどこか分からなくなったりしても
こうやって旧友からの思いが届くって

ありがたいね。

2019/04/09

音楽で会話をするとき

セッション
音楽を奏でる者同士が
その場で行う即興演奏。瞬間的な対話。

そのお話が楽しいものか、不機嫌なものか
ちぐはぐなのか、ぴったりと息のあったものになるのか。

それは聴いている人にも伝わるし、
鳴らしている人たちにはさらに深い部分で伝わるものがあると思う。

トロントで暮らしていたときによくセッションをやった。
それは完全に即興だけでつくるランダムなものよりは
みんなが知っている曲を使ってよくやっていた。

いや、みんなではなく、
歌い手が知っている曲がほとんどだったかな。

それはミュージシャン同士の交流の場で
よくあったように思う。

ギターやベース、ドラムやキーボードは
その曲を知らない。

歌い手の演奏にあわせて回りのミュージシャンは音を足していく。

歌い手はコード譜を用意する人もいれば
コード譜がなくても曲がある程度認知されていて
コードが複雑でなく口頭で説明できたりすると
成立しやすかった。

難しいのはドラムだった。
歌い手が口頭で説明するのも難しいし
もちろんセッションする前に大抵練習する時間などない。

だからドラマーは探り探りのなかで曲を演奏する。

僕がセッションしたことのあるたくさんのドラマーのなかに
本当にすごいと思える人が何人かいて

カバーだろうがオリジナルだろうが
演奏をばっちり合わせてくる

欲しい雰囲気のリズムを叩いてくる

そんなドラマーがいた。


どうして知りもしない曲をいきなり演奏して
そこまで曲にあったドラムが叩けるのか

一度そのすごいドラマーの一人に尋ねたことがある

彼はいった
「俺はただ君の演奏をよく聞いているだけだよ」

彼のプレイを傍目から見ていると
フロントで歌う人の伴奏楽器の弾き方、
リズムの取り方、もちろん歌声や鳴っている楽器の音に
とても集中力を注いでいるのが分かった。

その中から彼の豊富な経験とリズムパターンを組み合わせて
その楽曲に合うパターンを導き出しているのだろう。

それも最初からぴったり正解を狙うというより
ちょっと方向性がずれたときに修正がきくような、
ベーシックなところから入って
曲が最初からサビまで一周するあたりで
雰囲気を細かくとらえようとしている印象だった。


そういう人とのセッションは好きだった。

サッカーをしているときに
キレイで正確すぎるパスをもらうと
逆にびっくりしてトラップやシュートをミスするというか

まさかこんなことができるの!?
という驚きと共にすごすぎて笑ってしまう…

そういう人が世の中にはいるんだよね。


そういう人たちとのセッションは
驚くほど、笑っちゃうほど、楽しいから
またぜひお話したくなる。

2019/04/07

タレール頭

有名な人が頭を下げる
自らがおかした過ちの
罪を償いながら

過ちを犯したことを公に認めて
どこかの誰かに頭を下げる

神妙な面持ち
大量のフラッシュ

本人が犯した過ちの罪を
自分で償うために
その頭は何に向かって下げるのか


迷惑をかけたと思う相手がいたら
そばに行って話しかけて
直接詫びれないものか


頭を下げろと強要する
誰かがいる

本質を見誤った誰かが
親切心から語りかける


世間様は
抑圧の塊という側面を持つ


法を犯すどころか
誰かの人生を壊して
トラウマを植え付けるほど
同意なき性犯罪者は

世間様は

公に謝罪させないのかな

2019/03/29

3月の終わり、三度目の春である

東京の桜が咲き始めて
一年の中で僕が一番好きな
(少なくとも長い間そう感じてきた)
季節がやってきた。

2017年の春に帰国してから三度目の春であり、
東京に改めて住環境を手に入れてから二度目の春か。

最近は1〜2年前より、もっと日本人らしく?
なってきた自分を時折感じる。


でも…
慣れたくはないのかもな



自分にはそんなに大きな影響はないかもしれないけど
この季節は卒業や就職、新しい環境を求めて人々が動き、
新しい環境のなかで新しい出会いから、
新しい道を探し、歩んでいく。

そんな折に、15年を超えるであろう長い付き合いとなる
友達の結婚式に参列し、演奏するため先日横浜へ行ってきた。

道行く人たちも
新しい環境のなかへ
行くのかな

これから会う人たちも
横浜で
新しいスタートを迎える

なんて考えながら横浜へ向かっていた

お祝いのムードは美しいところもあり
結婚式で行われるスピーチの「仕事先の業務成績説明会」的な要素に
少しの疑問を持ちながら

自分が作法を知らないだけかな

とか

東京でよくみる、世のお母さんたちが乗っている
あの「重心の低い自転車」はなんていう名前なのかな

とか

ハヅキルーペのCMのターゲットの層は
未だに「日本製」ってだけで強度があると思っているのかな

とか

まだまだ知りたいことがたくさんあるな…

とか

あの人、元気にしてるかな

などと考えていた。


Eventful3月が終わろうとしている。
4月も5月もなんだか色々ありそうな予感だ。


今年も新しいことに出会いたいから
ちゃんと歩いていきたいな。