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2021/03/29

Hurdy Gurdy Man現る(曲解説)

日本語詞の朗読などもしていたが、リリース後の曲に関するお話を書いていなかった。

昨年末に、2020年の1曲としてリリースした「Hurdy Gurdy Man(ハーディーガーディーマン)」。

この曲は、トロントに住んでいた頃に、ぼんやりと満月の空を見上げながら、アーチ型の橋の上を歩いていたときに、モチーフが思い浮かんだように記憶している。

その橋は好きな場所の一つで、よく散歩したり、自転車で通っていた。橋と垂直に交わるように、眼下に高速道路と川が通っていて、なかなかの高さで眺めが良い。

昔は人が飛び降りた事もあったらしく、今は鉄柵などでその隙間からしか眺めを楽しむことができない。

ハーディーガーディーマンにはその時のモチーフに、幾つかの要素が足された物語になっている。それは主に以下のような要素だ。

・孤独な留学生

・街の路上で音楽を奏でる老人


楽曲自体は、老人と少女、それと物語を語る第三者の視点から描かれている。

居なくなった少女、そして老人、そこに流れる音楽と、それを奏でる人間。老人と少女、それぞれにとっての音楽の重要性。

そういった背景や人物像が入り混じる、少し物悲しいような。そしてそんな孤独な景色のなかにある小さな光のようなものがみえる。

また、こういった物語のニュアンスを、今回カバーイラストを手掛けてくれたイラストレーターのminさん/スパイスマシーンは見事に表現してくれた。我儘な注文にも、快く、そして爽快に、対応してくれたminさんには本当に感謝である。


孤独な留学生

トロントにいる時に、日本からきたたくさんの留学生にあった。

キラキラと楽しそうな人もたくさんいたが、現地の環境にうまく馴染めず、孤独そうに、退屈そうにしている人も中にはいたのを覚えている。言葉も自由に話せず、新しい文化を受け入れることもできず、日本人同士で常に時間を費やし、「カナディアン」という括りで現地に住む人を否定がちに眺め、日本に帰ることを心待ちにしているような…そんな人がたまにいた。

そんな人のうちの一人をふとした時に見かけたことがある、その人はたった一人で、繁華街のど真ん中にある大きなショッピングモールのベンチに…ただただ座っていた。

本人はもしかしたら待ち合わせでもしていたのかもしれないが…

何もせず、ただ座って、街行く人を眺めているその人は、なんだか孤独そうにみえた。

他にも聞いた幾つかの孤独な留学生のエピソードはなんとなく、僕の頭に消えずに残っていた。


街の路上で音楽を奏でる老人

これもトロントの街でよく見かけた。朝の市場、公園、駅のホーム(専用のスペースがある)、繁華街、なんでもないただの狭い交差点の角、色んなところにいた。

その人たちが、普段どんな生活をしているかはいざ知らず、彼らは街の風景のように溶け込むときもあったが、時にそういった人たちの音楽が、例えば近くで買い物をしていたカップル、通勤や通学などの途中に近くを通った人、そんな人たちの日常に、ポッと灯りを点すような瞬間、そんなことがあるんじゃないだろうな…いや、あるに違いない。トロントの街には、実際ハーディーガーディーのような民族楽器を演奏する人はいなかった…と思うが、もしこれが「普段楽しそうだけど実は孤独」→「道化を演じるピエロのようなおじいちゃん」が、ハーディーガーディーやアコーディオンなどを演奏しながら歌っていたら…というイメージ。


そういった要素が混ざり合い、今回のような歌詞に仕上がった。


作詞・作曲、レコーディング、録音、編集などは全てメロウシンフォニーが担当。

サウンドの雰囲気はこの楽曲のタイトルのヒントにもなっているDonovan、またElliott Smithといったオルタナ的でラフ、でも骨太ではなく線が細いような。且つ湿っぽさというか寂しさが漂う、そんなシンガーソングライターのテイストを表現してみた。


小さな物語、楽しんでもらえたら嬉しいです。

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2021/03/18

カンベンしていただきたい

政治家や権力者の迂闊な言動

納税者をなめ切った発言などが多過ぎて

去年の出来事や今年の始めの出来事すら

もうすでに古い話のように思い出される


どこの国でも、まあ汚職めいた話はあるだろうけど。

勘弁してくれよ、と思う。

こっちはきっちり税金納めるのに、

ワケの分からない法律や

専門用語を一生懸命調べて、

なんだったらその筋の専門家やシステムに大金払ってまで

確定申告やらなんやらしてるっていうのに


その税金を給料として受け取る側は

ごまかす、捻じ曲げる、ぶんどる、無駄遣いする


国会で質疑応答を

なんて言っても

それは人間同士の会話というより

用意された紙を読み上げて

時間を潰しているよう


「お金のある人のところにしか

お金は回らないのだそうでございます」

みたいなこという枝雀さんの枕があったっけ


接待をされる人々に

接待をする人々がいる


接待をすれば、得をする

そういう思考回路の人がいる


なぜ、そうするのか


慣例に従わないと

はじかれるのか


得をした先に

私腹を肥やすのか


それとも

より多くの人を守る?

幸せにする?


どうかな


会食をするなという呼びかけ

そんなことを国民に伝えるような一大事に

自分の可愛がっている女の子がいるお店に

酒を飲みにいく


お金を落としてあげたかったって

そりゃ、普通の人はそう思うよ

だからといって

それをやったら

あなたをもう普通の

税金を納めるだけの側であるべきだよ


業界の要人とお近づきに慣れて

嬉しい人、そこで人脈を作りたい人なんてのは

政治家じゃなくても当然たくさんいるだろう


それがルール違反だってされていても

それでも行く人も、巷にはいるんだろうな


結局は

自分が得してさえいれば、

誰かが損したり、悲しい思いをするのは

構わないのかね


越後屋、お主も悪よのう

…そんなのがずっと続いていくのかね


そんなことを重ねて

昇り詰めていくやつが

会食の場で誰がいたか、どんな話をしたか

ロクに覚えていないわけもないし

どんな人がいたか認識していなかったわけもない


結局逃げきれなくなって

辞職しても

その先に人生は続くし

辞めた見返りというか、その代償として

また何かしらの甘い蜜にありつくのだろう


勘弁していただきたい


明るい暮らし

住みよい国をつくる

人々の生活をまもる


とかなんとか言わずに


飲み会は断らない

接待は続ける

何事も証拠は残さない


そういいながら

もう一度その手で

納税者の手を握って回ってみてほしい