Mellow Symphony Official Blog

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MUSIC AS MAGIC!! Singer Songwriter Mellow Symphony's Blog

2024/12/19

一周年

トロントで再び暮らしはじめて
今日で丸一年

お気に入りのお店に寄って
窓際の席で
コーヒーをすすり

ホッと一息


去年の今頃
遅れに遅れたフライト

ようやく到着したのは
予定より数時間後

緊張の税関
通された別室は
手続き待ちで長蛇の列

いつ順番がくるかもわからないまま
騒がしい人々を横目に

待合室の端っこに座って

間違ってポケットに入れたまま持ってきた
実家の干し柿を二人で頬張っていたっけ



なんとかなる(はず)さ
ここから良くしていけるさ


そんな風に心のなかで言い聞かせながら
新しい暮らしを始めてみて


無事一年サバイブ
あれこれ楽しみながら
なんとかなった


まだまだ僕たち
これからもっと良くしていける


もっと楽しく
ワクワクしていける



そう考えると

なかなか良い

一年だったんじゃないかな

2024/12/07

観葉植物

そういうわけ
念願の観葉植物を買った

なんか近くにある
雰囲気の良い観葉植物屋さん?で。

思い切ってみれば
そこまで高いハードルではなかったが

これを「買おう」と思えるまで
しばらくかかったんだな


一先ず2種類
(この後アロエベラも仲間に入れた!)

Hoyaっていう丸みのある葉っぱと

Ficus ginsengと呼ばれているようだけど
これは…

ガジュマル!!


Ginsengって高麗人参とかにも
使われている英語だから

根っこの部分が似ているのかな


買ったお店で
念のため手入れの方法を聞いていたときに

ガジュマルについて
「盆栽みたいな感じだよ」
と説明していた


Bonsaiに馴染みのない人は
「おぉ~そうなのか!」とも思いそうなものだが

ガジュマルと盆栽が手に入る国からきた僕にとって見れば


いや
全然違いますケド!!!???


と、頭の中でツッコミながらも
うんうんと説明を聞いたのでした


ホヤと
ガジュマル

なんかいいじゃん


これから大切に育ててあげようと思う

2024/12/04

流れるジャズを聴きながら

気になっていたコーヒー屋へ立ち寄り 
パソコンを開く
(タイピングは「物静かに打つ」のがエチケット) 

おしゃべり好きなカナディアンが 
すこし遠慮がちな声量でおしゃべりしてる


そして さりげなく流れるジャズ 

耳を傾ければ
艶っぽいサックスの旋律が
聞き取れるくらい


思ったよりもリーズナブルなコーヒーを注文し
普段は食べないようなスイーツに手を出しちゃったりしながら 

少し物思いにふける 
 

分厚い口当たりのマグカップで飲むコーヒー


夕方

今の時期は 
16時半を過ぎれば辺りはもう真っ暗


寒くなってきたトロントでは 
こんな日もいい

2024/11/27

秘密のおまじない

こだわりが多い人間である私には

小さな癖が
たくさんある

気がつけばそうなったものもあるが
意図的に…というか
意識して癖付けていったものもある


例えばこれは癖(の逆なのかもしれないが)
僕は日頃から
「よいしょ」とか
「ゔあ゛ぁぁぁ」みたいな唸り声を出さない
(お風呂に浸かったときとか、トイレしている時とか、ご飯食べているときとかにひとりでもなんか声発するひといるよね)

もっと言えば

そうならないように
癖づけた
とも言える

なぜなら
「おっさんぽくなる」からである


兼ねてから
「おっさんみたいな事」を避ける傾向にあった

まずそもそも紳士らしくないし
細胞とか外見がおっさんっぽくなりだしたときに 
そんな所作まで身に付けていたら
それはもう正真正銘(なりたくない)おっさんになるだけである

ちなみに
ここでいう「おっさん」は
年齢や見た目というより
品性?
気品みたいなことを無視する

(ある意味でなにかを諦めた人のことを指す)
 
そういう(粗野な雰囲気を持つ)ひとが
ある別の側面でとてもカッコいい
なんてときもあるが
僕はそういうバランス感は好きではない


そんなことで
言わないのだけど

似たようなタイミングで
何かを発したくなる瞬間
代わりに?言う言葉がある

それは
「ひゅー」
なんかが多い
(もしかしたら息を吐きたいだけかもしれないが)
それはまるで
無意識に老いようとする自分へ
釘をさすような

おまじないのような一言

その「ひゅー」という時に実は


密かに



頭のなかで



このバンド名を思い浮かべることが多々ある


高校のときの友だちが
見せてくれたCDの一枚

当時はそんなに惹かれなかった
80年代のポップス


ヒューイ・ルイス&ザニュース

 
「ヒュー(イ・ルイス&ザニュース)」


まだ吐息と一緒に
このバンド名を最後まで
実際の言葉として発したことは


人生で
数回しかないと思う

2024/11/16

誰を守りたいか

選挙の話題をここのところよく目にする

日本では先月衆議院選挙が

そしてアメリカでは大統領選挙があった


もうすぐカナダでも次の首相を決める選挙があるそうだ

(僕は選挙権を持っていない)


先の衆議院選挙ではあいにく在外選挙手続きが済んでいないため

投票をできなかった


むむむ、くやしい

(そして在外投票の手続きはあいかわらずまどろっこしい…もっと簡便にならないものか)


とはいえ選挙期間中は自分なりにあれこれ考えながら

ソーシャルメディアから飛んだりしてあっちこっちの情報や言い分を見たり聞いたり読んだりしていた


僕は政治信条を一般の人同士が戦わすことには消極的だ

みなそれぞれ違う立場だし、選ぶ情報の次第である程度左右されることもある

「誰が一番正しい」とは言えるものでもないのに対し

討論はそういうやり取りになりがちだ


政治家についてあれこれ言っても

最終的に選べるのは本人だけ(一人一票)だし、そこが公平でもあるように思う

なによりもどれだけ内情を知ったつもりになっても

深読み、憶測、バイアス、噂なども含まれやすく

当事者になるのは難しい

(組織票や賄賂等で左右される人はほんとに考え直して欲しいが)


当人の立場によって見える景色は違う


そして

よほどの専門家であっても国を良い方向に導く解決策が

どれが一番有効となり得るのか言い当てるのは難しい



以前は政治に対してもっと無関心だった

スーツを着て国会へ出勤するひとたちはみな「プロフェッショナル」だと思っていて

「その人たちが言うのだからそうなのだろう」とか

「素人には分からない事情がきっとあるのだろう」などと考えていた


だんだんその考えは変わっていった

国会での紙を読むだけのやり取りや

会話にならない質疑や会見でのやり取り

居眠りや不正、導入される新制度

表にでてくる言動(として取り沙汰されるもの)


それらを見ていると、「え?」「あれ?」「なんで?」から

「それはないでしょう」「いや、ちょっと待って」「てか、ふざけるなよ!」

なんていう風に感じることが次第に増えていった


それでも素人目であることには変わらないのだけれど



品行方正

聖人君子


僕の見立てでは、スーツを着て永田町へ行く人たちのなかに

そんな人はいないと思う

僕らがそうでないように

彼らも同じ人間である


ものすごく頭の回る、悪い人たちも中にはいると思うが

面と向かって話すと「実はいいやつ」みたいな人も多いと推測している


みな政治家は

誰かやどこかのコミュニティを代表し

その「誰か」たちにとって、良いことをしようとしていると思う


自分にとって大切な人たちを大切にしたい

守りたい、幸せにしたい

こう思うのはごく自然なことである


その時、その人は

どこを向いているのか

「誰を守ろうとしているのか」

それが行動から垣間見えるのか


その部分が大事だと思う


僕は自分が大切だと思うものやひと、

それらを大切にしてくれる人たち

そういう政治家を応援したい

(結局公約や国会内外での言動、政治責任ってことだよね)


あなたが嫌うひとや

あなたが名前を書いたひとは


どこを向いている?


それでは聞いていただきましょう。

HiGEで「首謀者に告ぐ

(政治のことを考えると、この曲が頭に浮かびがち)


2024/11/07

勉強期間

なにを隠そう、(オンライン)大学生である私。

いよいよラストイヤー、4年生。そして後半戦である。


年4回ある試験期間のうち、4年目3回目の試験期間ということで、

1...5回目のこのしばし机と向き合う期間。


息抜きをする隙間も多少はあるんだけど、

仕事やなんやかんや外せない予定と重なったり、

自分の理解が追い付かず真夜中までかかったり、

なかなか脳みそを稼働させる必要がある。


そして、勉強の進み具合は蓋を開けてみないと分からないから、

ライブや人と会ったりなど、なにかの予定を入れるのも注意が必要。


結果、大抵ほとんど家にいて、夜になってようやくその日の目標へ到達し、

初めて外の空気に触れて、ふーっとひと息…ということもしばしば。


「自粛」とか「ステイホーム」みたいなことが強く言われていたときに

このままいつまでも無駄にじっとしているわけには…と思い、未来に向けての「バネを引いて(もしくは縮めて?)その反動を力に変えるような」その準備のつもりではじめた大学生としての生活。

そしていつからか心の奥底では叶えたいと思っていた学生生活(もちろん、当初想像していたものとはだいぶ違うが)。


今となっては、もう少し早くスタートしてても良かったのかも…?と思わなくもないが、これはこれできっと良かったんだろう。

4年のキャンパス(に行かない大学)ライフの間にいろいろあった…。大きな変化がいくつもあった。


学びたいと思える、興味がわく世界のはじっこを少し覗き、

高校生の頃からも苦手だったワケのわからない数式の数々に頭を抱え、

時代の流れのおかげでYouTubeやAIに知らない知識のまとめ的なものを教えてもらい、

なんとかあと数か月のところまできている。


場所を変えては、あんな机こんな机に向かい合ってきたものだ。


去年のカナダ行きに向けてのさまざまなイベントの最中に

迎えていた激しい勉強期間のせいか、

近頃机に向き合っているとふと頭によぎる。


勉強が終わった後、ラストオーダー前に駆け込むように行った近所の居酒屋や

息抜きにフラーっといったあのお店。

テスト終わったら遊びにいこーって言って遊んでいた人々や、

あなたのこと。



2024/11/01

ステップ

秋は以前から好きな季節のひとつ。

トロントの暮らしをするようになってからも、

街に木々が多く、色づく景色が好きだから

引き続きお気に入りの季節。

(東京と比べると気温差はあるけど、これはこれでトロントの秋)


一度トロントから離れたときも

遊びに来るときは秋だった(航空券も安かったし)


そして今年の秋

それはここでの暮らしを始めてから

もうすぐ一年が経とうとしていることを意味する


来る前からの準備もあったし、

出国までの流れもなかなか大変だったけど

着いてから、

少しずつアレコレやってきたものだと回想


住む場所や銀行、最低限必要なものを揃えるところから始めて

社会保険番号、運転免許証、健康保険証(的なカード)、

保険、公共料金、携帯電話、

日本から送った荷物の受け取り、

病院探しから登録、税金関連、積み立て、

大家や管理会社との調整など。


短距離走ではなく、

これはマラソン

そのためのステップがいろいろあった。


以前に経験したこともいくつかあったけど、

今までとは勝手が少し違うし、今回は二人分。


生活に必要なことっていろいろあるね。

日本と仕組みが違ったりして学ぶことや手探りなことも多いけど、

(I'm new to this countryって何度言ったか)


それでもなんとか今のところ

楽しみながらやれている、かな。


そして

ようやくたどり着いた次なるステップは


「観葉植物」を買うこと!


(ここまで来たー!)



2024/10/26

求めるもの

求めよ さらば…

みたいな言葉があったね

思考は現実化するって
当時一生懸命読んだ
難しい本にも書いてあったっけ

ちょっとした身近なひとの話を聞いたりしながら感じたのは

きみは今
なにを求めているか

ぼくは今
なにを求めているのか

安定
冒険

日々を
おもしろくしていく

そのための知恵

よくない考えが
頭をもたげるときは

ちょっと隙間が
多すぎるのか

視界が狭く
なりすぎている
かもしれないね


少しずつ良くしていこう

そう思ってはじめた去年の秋から
もうすぐあっという間に一年が経とうとしている

まだまだきっと
良くなるし

良くしていける
おもしろくしていける


あの時手に入れた
白のキャンバス


そこにいくつかの
絵の具を落とす

ただ
思いのまま

ビジョンを
感性を
胸に涌いたものを

描く


その過程を
楽しむ

自由


苦しみを
生むことなかれ
笑い
胸開かせ
解き放て

希望の泉を
枯らすことなく

光を
与えたまえ

2024/10/02

おっちゃん

街ゆけば 

おっちゃんに出くわす


どこかの誰かに向かって叫ぶおっちゃん

すれ違う人に端から「小銭くれ」と話しかけるおっちゃん

半裸で走るおっちゃん

半裸で自転車に乗るおっちゃん

交差点で鳩の群れに餌を与えるおっちゃん


自転車で小道に入りこんだとき

この先行き止まりかな~と思いながらとりあえず突き当りまで進んでみたら

「ここの脇から別の通りに出れるぜ」と

突然話しかけてくるおっちゃん


突然の雨が降ったとき

駅で立ち往生している様子の身なりの整ったお姉さんに

一声かけて傘を差しだしていった

(自分の生活もままならなそうな格好をした)おっちゃん


いろんなおっちゃんに出くわす

人びとの暮らし


※写真はケルンの街


ケルンでは路面電車のなかで演奏して小銭を稼ごうとするおっちゃんに2回出くわした。(2回とも同じ曲をうたっていた)

2024/09/11

初めての病院

ちょっと病院へお出かけ。
トロント(カナダ)は日本の医療制度と違うのでなにかと知らないことが多い。

今日は初めてのFamily Health Teamへ行ってみた。 

前に住んでいたときに一回Walk-In Clinicへ行ったことがあるが、こういうところは初めて。

ここでは一般的にはFamily Doctorを持つのが最もポピュラーなスタイルだと聞く。
要は町医者なのだけど、ちゃんと申し込みをして自分の専門医になってもらう必要がある。そうすると、先祖から子孫までカルテや個人的な細かい情報を同じお医者さん(たち)に理解してもらえるので、より細かな診断をしてもらえたり、その人にあった診療を受けられるのだとか。

ただし、人口過多になりつつある現在のトロントでFamily Doctorを見つけるのはとても難しいと聞く。医者もマンパワーに限界があるのであまりたくさんの患者を取れない、というか取らないらしい。

そうでなければ以前に行ったようなウォークインへ行くことになる。別にウォークインへ行くことが悪いわけじゃないと想像するが、自分の細かな情報をよく知らないひとに毎回診てもらうのは心配だとか、(持病やアレルギーなど?)都度都度説明しなければいけないことがあるだとか、不安材料が多くなるらしい。

そこで友人にオススメしてもらったのが、Family Health Team。一つの施設にお医者さん、看護師、理学療法士、薬剤師とかなんか色々なフィールドの方々が1ヵ所に終結して、地域のひとびとへ包括的な医療を提供する…という仕組みらしい。

なんか、町医者と大学病院の間みたいな感じかな?よくわからないけど、「オールスター感」があって良さそうだ。

ここでもやはり患者としてまず登録が必要。
しかも指定地域内に住んでいないと登録できないらしい。

ということで、比較的近くにある病院へ申込用紙を提出。
ここから審査があって、数週間後に先方が患者として受け入れてくれるかどうかを返答してくれるらしい。


特に現時点でなにか医療を受けたいわけではないのだけど、こういうのは転ばぬ先のもの、必要になってからじゃ遅いからね。


さて、どうなるか。
病院の前のベンチには月桂冠。こいつぁ、縁起がいいね。


2024/08/23

Yui Sakamoto

友だちが死んでしまった

遠くに住む友だち


僕らは一度会って

それからしばらくした後

テクノロジーの進化のおかげで

また連絡を取れたり

近況を知ることができるようになった

いわばその程度だったけれど


大切な時期に出会えた

大切な瞬間を分かち合った

僕には特別な人だった



唯くんのばかやろう


なんだよ

死んだら終わりじゃねーのかよ


かわいい子供たちや

えなちゃんはどうするんだよ


さんざん好き勝手言って

さんざん好き勝手書いて


真摯に向き合って

良い画、描いてたじゃないか


ばっかじゃねーの


穏やかな顔していないで

じゃっじゃっじゃって


笑って

そこから出てこいよ


もう一回

画描いてくれよ



もっと無理にでも

会いに行けば良かったのかな


忙しくなったユイくんを

無理やりでも捕まえて

「約束通りジャケ写描いてよ」って

コラボしたら良かったかな


マドレやパドレや

兄弟はどうしているんだろう



唯くんの冒険好きなところと

その優しさやユーモア

絵に対する情熱や

家族に対する愛情や


一緒にテキーラ飲みながら

夜更かしして

二人で話したあの時間や

頂いた絵やギター



これからも大切にするよ


いいでしょ、別に。

なにも変わらずに、今まで通り

そうしたいだけなんだから。



友だちが死んでしまった

遠くに住む

大切な友だち


もう会わない人よりも

もう会えない好きな人がいることを自覚するのは


やるせないもんだな


くそ

死んでどうすんだよ


メキシコらしく

スカルになって起き上がれよ


これも一つの

実験的なアートでしたーって

笑ってくれよ



今日はずっと

唯くんのことばっかり思い出していたよ


2024/08/10

水曜日の通り雨

通り雨
ちょっと通りすぎるまで雨宿り

コーヒーいつもより多く飲んでたから
ロンドンフォグね

急に雨風が強くなって
飛び込んできた僕をみて
店員さんが笑ってる


外がすごい天気だねって
のんきに会話しながら


次々と店内に駆け込んでくるひと

慌てて通りを走り抜けていくひと

平気で濡れながら外を歩くひと


ロンドンフォグが冷める前に
気がつけば雨は止んでいた


そんな水曜日


さっきまで
フェスティバルみたいに
枝葉も躍り散らかしていたのにね


「水曜日」って胸にプリントされたTシャツ
あれはどこで買ったのかな


そんな水曜日


心のもやだってそう
すぐに晴れますよ


2024/07/28

まこと

まことのこころ
それはたぶん


見えないものを信じる心
形のない存在へ捧げる心

想像し
耳や目
心を

傾けること


まことのこころ
それはたぶん

たとえあなたの姿が
見えないところでも


真摯に向かい合い
愛情や共感を持って
行動を選択すること


あなたが喜ぶことを
我が事として喜ぶこと


それは自分の
心と身体のように

自身を決して
裏切らないこと


まことのこころ
それはきっと

貫くことで
あなたを守り

なにものにも負けない

強い
武器になる


2024/07/24

一時帰国

6月はしばらく日本に滞在していた

再びカナダに住むようになって6ヶ月弱
そして訪れた一時帰国の機会

短いようで長いようで
月日はあっという間

気がつけば最終日
帰りの便に向かうタクシーのなか

アレコレ思いを巡らせていた

去年12月にすべての荷物をさばいて
旅立った日のことや
それからの寒い期間


日本で過ごした20数日のこと

会いたいひとに会って
自分の日常だった場所を
その場にいながら
外から眺めるような気分でみて

「違うな」とも
「これだな」とも

どちらとも強く感じていない
なんだかやや虚ろな自分を

外から眺めるような
不思議な感覚だった


きっとまだ感覚が
どっちにも残っていて
どっちも抜け切れていないような

そんな気分だったのかもしれない


会いたいひとや
行きたい場所が

あるっていいね



2024/06/29

飛べるうちに飛ぶ

再会
そしてまたしばしのお別れ

人々の日々の営みが
ごく自然に交差する瞬間


見慣れた街の
見慣れない景色を眺めながら

こんな機会は
そう多くはないのだと
しかと現実を噛み締めようとしていた

なんとかやってるよって
伝える手段はたくさんあるけど

「なんとかやってるよ」って
言葉で伝えられたのはきっと良かった


いろんな選択肢があるなかで
この選択肢を持てていることに感謝しながら
想像してみた

誰しもが自由に
どこにでも飛んでいけるわけじゃない

そのことに気がついたとき
自分に小さな羽根があるように思えた


そう
飛べるんだ 

飛べるんだから
飛ぶんだ


時間や境遇がすこし違えば
まったく飛べなかったかもしれないし

飛びたくてもいまは飛べない
そんなことは誰にだって起こり得る

それで僕たちは
多少無理矢理にでもって
飛べるときに飛んで
会いにきたんだった


飛べるうちに
飛び上がるんだ


そして新しい場所に
もう一度降りたったら

またすこし挑戦するんだ


明るいか暗いのか
よく分からないその先の道だって

明るくするって気持ちで向き合えば
気づいた頃にはもう
笑っているはずだ


そうするうちにまた
きっと
日々の営みが
ごく自然に交差する瞬間はやってくる


2024/06/15

最近の若くないもんは

ミレニアル世代はインターネットが一般化されてからネットの進化と一緒に育ってきたため、インターネットネイティブなどと言われているらしい。

その後に産まれた世代はもっと幼少期からインターネットの利便性を享受しているし、今日日2歳時は言葉を覚える前からスワイプできても珍しくない。

なあんて言われているが、僕が最近ふと思ったのは高齢者になり始めた世代のことである。

インターネットと育ってきたミレニアル、その親である団塊の世代よりちょっと後の世代は、デジタル化の波に半ば強制的に乗せられている。

世界中が繋がりやすくなったことで、彼らが子どもだった頃まで受け継がれてきた価値観は今形を変え始めてきているように思う。
もう「ちゃぶ台の前に座り、新聞を読む、着物を着た厳格なバーコード頭の一家の大黒柱」のイメージはとうに「あるある」ではなくなったのではないか。

電話やテレビ、冷蔵庫が導入され、発達するのを小さな頃から体験してきたミレニアルの親世代は今や高齢者となり、あれほど貴重だった三種の神器であった家電は各家庭に一台どころか複数台、電話は一人一台(以上)にもなり、さらにSNSや通話アプリ等の出現によって通話料金さえ払う必要がなくなってしまった。

手紙を書くインクも鉛筆のあとも、返事を待ちながら郵便屋さんを見つめる機会も要らない。長距離電話に必要な小銭の山も、テレホンカードすら必要なくなった。

通信を活用し、指先でさまざまなものにアクセスできるようになった高齢者は、これからどんな風になっていくだろうか。
徐々にではあるかもしれないが、新しいスタイルの高齢者の形ができてくるんじゃないかという気がしている。
※そして今の60歳は引退するほど老いてはいない

もちろん、その後の2歳時になるまえからスワイプしていた世代も気になるが、デジタルが身近になった最初の世代は、これまでの高齢者とはなにかが極端に違うという部分が、もうすぐ見え始めてくるのではないだろうか。

通信機器、ネットワークやIoTの発展した形のなかで生きる高齢者、今までできていたことが老化によってできなくなってきた部分を、それらが支える。そうしてカバーされたことにより生まれるある種の「ゆとり」のような部分を、その方々はどう使うのだろうか。


新世代高齢者。


2024/06/06

ごう

自業自得

そんな言葉をふと思い出す


自らの

か…



(そういえば「得」って言葉が入っているわりには)この言葉はあまり良い響きじゃない言葉だけど

ある意味平等であるようにも思えてそこまで悪い気がしない 


なんだか「フェア」だから

ちょっと「分かる」って感じるんだよなあ


善行は善として

気が付かないうちに返ってきて

悪行は悪として「業」となり

そして我が身に返ってくる


「人間とは業の深い生き物だ」とはいうけど

なるべくその業を軽くできたらいいななんて思う


それよりも

できれば少しでも

徳を積むというか


なるべく

良い人間でいたいものだ



矛盾だらけの世の中では

難しいことだし


鈍色のなかで

生きることもまた

この世の姿ではあるけど


自らは

どう対峙するか


不器用でも貫こうとする物事

そこにちゃんと正義があって

誰かのためになる行いをできるなら


それはきっと素晴らしいことさ


フェアじゃないことは

業を深くすると思う


悪いと思っていることや

ダメなことは

直したり、潰したりしたいし


恩に報いるとか

感謝をするとか

過ちを省みたり

誰かを傷つけたら

それを償ったり


いつも簡単ではないけど

できるだけちゃんとフェアにしたい


そこにたどり着くまで多少痛みを伴うこともあるが

あとで自分に誇らしく向き合えるからね


ダメなことや

悪いことを

そのままにしていると


それは返ってくる

すぐになにかが返ってくることはないかもしれないが


必ずそれは返ってくる


気が付かないうちとか

肝心なとき

死が近づくときとか


必ず

返ってくる


だから

自らの行いを

正していきたい


それはつまり誠実に

向き合うこと


そして

自他両方から

信頼に値する

存在になること



2024/05/31

新曲「砂の城」配信開始

先日配信開始となった新曲「砂の城」by nojico × Mellow Symphony。

https://mellowsymphony.bandcamp.com/track/suna-no-shiro

https://big-up.style/U3JlzjhH85


以前に二人で作った「二旅に口笛」以来のコラボ。今回はnojicoが曲を書いてくれて「歌って欲しい曲がある」といって始まった。

なんだか二人の友情物語だったり、僕らの共通の音楽仲間との関係性によって形成されていった大切な一曲。

みなさんにもぜひ聴いていただきたい。

そんな楽曲の歌詞はコチラ↓

――――――――――
どんな運命のいたずらか あの頃のままの
君が生きている世界に 飲み込まれた気分

つながった感じも 知っている合図も
間違ってても これが最後
記憶の向こうへと 手をのばす


紆余曲折あっても いつかは誰かのターミナル
ひたむきな痛みも 時としてそれはドラマティック
どこかに(落ちてないかなって)
一人じゃ(解らないかもしれない)
それは君だって知ってた



窓を開いていたずらに 海を眺めてた
君は解けないパズルに 何か重ねてる

強がっているより 素直になってよ
飛び立ったらもう これで最後
祈りの向こうへと 君は行く


水平線の先に 笑う姿浮かべて
暗い空突き抜け 次第に船は進んでく
紆余曲折あっても いつしか誰かと輪になる
それはふいに訪れ 心つかまえるシンパシー
さよなら(風は囁いた)
あなたよ 幸せであるように
――――――――――

誰かの幸せを願う エネルギーっていいね🥰 

2024/05/12

それをストレスと呼ぶ

ちょっと胸騒ぎがした夜 


なんだか胸のあたりがもやもやして

ゆっくり休めないとき


ひさしぶりにガッカリといら立ちが同時に襲うような

そんな突風にあおられた日


砂埃が目に入るように

咄嗟に目を閉じようとしても


もう痛みを感じている


防ぐことは手遅れ


犬も歩けば棒にあたるし

人と関わっていればそんなこともある


なんだっけこの感じ

そんなことを考えると


似たような痛みを次々と思いだしてしまう


理不尽の波にのまれ

解決するよりも

沈黙による鎮静化

それが精いっぱい

そんな鈍痛


なんだろう これ

どう相対するべきか


そんなことを考えていたときに響いた言葉

「それをストレスと呼ぶ」


それを聞いて

「あ、そっか」


そうして笑った

なあんだ これ ストレスか


じゃあ いっか

笑い飛ばしてやれば


こんなもの

抱えていて良くなるものでもないし


キャッチしたらリリース


いつだって心は

身軽でいたい


あたたかく 軽やかな風を呼び込み

その風に身を任せる


ときどき少し勢いが増して

風が荒れたら


こうしてヒラリ受け流す


そんな柔らかさを

忘れずにいたい





2024/04/29

おとなの気分

焦る気持ち

おさえてひと息


静かな夜に

ウイスキーなんか舐めて

深呼吸


おとなの気分を想像する


もうすこし


ちょっとずつちょっとずつ


考えたいこと

決めたいこと


やりたいこと


思うように進まないことも


たくさんあるけど


だいじょうぶ

ちょっとずつちょっとずつ


"One step at a time" だ


そうやって安心させたら

まぶたを閉じて


また明日


ちょっとでも進めよう



2024/04/23

見つめる見つける

トロントへきて4か月ほどが経った


正直ちょっとだけ最初のうちはどうなるか不安だった

でも「大丈夫、ここからだ」って

「きっと良くなる」って

安心させてきた


思い出してみれば2012年に最初に来たときも

なんか「なんにも無くなった」状態できたから

不安だったのもあるけど

新鮮な感覚とどこまでも無責任でいられることから

「楽しい」ことのほうが多かったように思う


時代は変わって?世代も変わって

一人じゃないことにある種の責任も感じている


そこへ来て「なんにも無い(ような)」状態へ逆戻りの大冒険


楽しみながらも「ちゃんと守れるかな」

ってちょっと不安だった


割とこの3~4か月いろいろあったけど


運や友人たちの協力を得ながら

長く暗い空が続いた冬を抜け出して

気が付けばもう20時過ぎくらいまで明るい

そしてトロントにある桜の木たちも満開


まだ肌寒い日もあるけど

上着の前を開けたままでも外を歩けるなんて

もう「春」だね!


そんな季節になって

人びとは街へ出て

ひとに会い

色んな時間を過ごす


そんな季節になってきた


そうしているうちに

気分的なものなのか

なんだか本当に僕たちの日々の暮らしも

ちょっと上向きになってきている

ような気がしている


どうやって乗り越えたのか

それは結局のところ

「楽しいことを見つけてきた」んじゃないかと思う


現状を見つめる

良いことも悪いことも探せばいくらだってある


そこで見つける

こんなに「良いこと」「楽しいこと」があるじゃないかって


それを肥大化させて笑っちゃう

思い切り楽しんじゃう


大丈夫

僕たちは大丈夫


そしてきっと

もっと良くなっていける



2024/04/16

春の訪れ

この街にきて4か月くらい

あれこれと勝手が違うことに

ようやく慣れてきたころ


あの頃の僕ともすこし違うし

あの頃のこの街ともすこしちがう

あの頃と変わらず仲良くしてくれる友がいたり

あの頃とは変わってすこし疎遠になってしまった人もいる


まだまだ足りないものがあったり

まだまだ違う文化に慣れないというか

日本にいるときには掴めていたような感覚知が

この場所で、ここにいる人々や物事で、

必要なんだけど

それがまだちょっとうまくつかめないでいるかな


それでも大抵のことはなんとかなるけど


勝手がつかめて、いろいろとピースがはまってきたら

もっとおもしろくなりそうな気がしているんだ


きっと少しずつ得られるだろうから

いまは焦らずに過ごそう


そして

ありがたいことが周りにたくさんあるのだということに

感謝を忘れないように過ごしたい


(かなりの暖冬だったとはいえそれでも)寒かった冬が終わり

東京のそれと比べるとちょっと冷たいけど

ここにも春の訪れを感じる


春の空気が

あらゆる生命に行き届いて

満たされる頃には


よろこびや期待に胸が膨らんだりして

またすこし良くなっていける


過程を楽しみながら

前に進んでいこう



そっちはどうだい?


2024/04/09

つなぐ

ひとつ思い出
分かち合う

ひとつひととき
共に楽しむ

一緒に作った時間は

時の流れのなかで
点を打つ


いくつかの点が
線になって

僕たちを
結んでくれる

それがひとつ


また会ったときに

また今度ひとつ
点を打つ


そしたらまた線ができて

さらに長く

結んでくれる

2024/03/14

新しいはじまり

新しい暮らしをはじめて

焦らず少しずつ

暮らしを重ねる


準備も少しずつ 

3か月経ってようやく


それ以前に日本であった

「必要最低限」が揃ってきているような気がする


真冬に北米の地に降りたものの

極寒の日もそう多くなく


ゆっくりと試運転をしながら

新しい環境の

新しい二人の形を

模索しているうちに


気付けば日も長くなり

今日にいたっては20度近い暖かさで

人びとも街をうろうろ

僕も少し街をうろうろしながら

変わったものや変わっていないものを確かめて


ここからどんな風に

より良くしていけるか


そんなことを考えている


覚悟していたこと

はじまりはいつも

こんな感じで


あれこれ足りずに

自分の力が不足しているような感覚になったり


でも

ここからきっと

どんどん良くしていける


はじまりなんてそう

焦らず少しずつ

良くしていくんだ


そうして改めて

新しい暮らしを築いていこう


草木が根を生やすように





2024/02/13

「まごころのメロディ」に寄せる詩

夜な夜な僕は
くたびれた頭を

なにか
他のことに使えないかと

ストレッチを試みる
脳内のストレッチ

伸ばしていなかったほうへ
すこしぎゅっとする

こんな夜には

穏やかな顔して
あなたもきっと

どこか別のほうへ
頭を使っている


「おやすみ」
祈りを込める


今日も
たくさん

頑張ったね

その心と
その身体


ゆっくり
お休みよ

2024/02/06

数え切れないほどのなにか

12月の中頃に合わせていた照準

あっという間にきたその日

それからも
目まぐるしい日々を過ごし

気がつけば年が明け
そして
自分の誕生日を迎え

噛みしめる隙もあまりないような
そんな体感速度で
もう1月が終わっていた


振り返るには早すぎるようでもあるが

一筆では容易に書ききれないほど

小さなことから
大きなことまで

対峙し
選択し
行動し
乗り越えてきたふた月だった


気がつけば生活スタイルは大きく変わり
生活の場所も大きく変わっている


そう、
ここは僕が

もう一度戻って来ようと
胸に刻んだ街

予想していなかったことはいくつもあるけど

とにかく
「僕は本当に戻ってきたんだ」

乗っていたバスが
ぐるりと右に大きく曲がり
駅に乗り入れたとき

ちらりと見えた遠くの景色

その瞬間にふと
そんなことを噛み締めた


2024/01/02

【歌詞】Magokoro Melody / まごころのメロディ

2023年暮れにリリースとなった新曲「Magokoro Melody(邦題:まごころのメロディ)」の歌詞です。

新曲は各種ストリーミングサービスで聴くことができます。


またYouTubeではミュージックビデオも公開中です♬
優しくも切ない曲の雰囲気に合うフィルム映画のような質感を中平一史監督が見事に表現してくれました。

こちらもあわせてお楽しみください😊


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Magokoro Melody/ まごころのメロディー


ふたりなら大丈夫 手を取り合って

難しいことも 乗り越えられる きっと

そんなこと いつからか思い描いて

八月の空に 言の葉を紡ぎ合わせてました


「ただいま」に愛を込めて 「おかえり」に慈しみを

「おやすみ」に祈りを込めて 「おはよう」に希望をそえる

そんな暮らしを 夢みたけど


きみとなら叶えたい 共に育って

新しいことを 作っていける きっと

偶然だけど ごく自然に 受け止められて

穏やかな日々の 行く末を見たいと思えました



晴れの日は生命を讃え 雨の日は恵みを祝い

星空に願いを込めて 朝焼けが未来を照らす

そんなふたりを 夢みたけど


きみにとって 大切なもののすべてを

そっと包んであげたい これはそう 真心のメロディ

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