去年から今年はリモートワークという言葉が飛び交ったこともあり
一定数の人々がリモートで働くようになったり
一時的に働いてみたり
少しの間そういう働き方をして、これまで通りの働き方に戻ってきた
そんな方々が日本にも世界にも多くいるのだろう
ノマド的なスタイルを始めた当初は少し新鮮に感じつつも
「ノマドワーカー」という言葉に含まれる妙な含蓄か、
単に僕が付き合いのある日本人の友だちがそうなだけか?
とにかく「ノマドワーカー」が
言葉として与える印象があまり好きではなかったので
自分がそうであることをわざわざ言うのは口憚られる気がしていた
リモートワークや、
ワーケーションといった言葉が
少し出てきたここ一年、二年の流れで
前よりも珍しくなくなってきたので
それはまあ、ちょっとは居心地いいというか
言いやすくはなってきた
誰でもが突然できるような仕事ではないので
当たり前に感じることなく
この環境を得た境遇に感謝している
10月に偶然出会い仲良くなった
同じような働き方をしている友人(というか大先輩)がいる
その友達が先日東京へ訪れた際に声をかけてくれたので
再会がてら、食事をしながら短いひと時を過ごした
彼は僕よりずっと前からNomad暮らしを続けていて
東南アジア諸国を転々としながら
10年くらい暮らしてきているのだそうだ
日本に戻ってきて
穏やかに住める場所を探してみたものの
やはりこの国は合わないと感じて
またアジアの国に定めをつけて去っていった
「パソコン一つあればどこでも生きていける」
というと大袈裟のようにも感じるが
ノマドワーカーというのはそういう要素がある
部分部分では「誰かとやり取り」する必要はあるものの
同僚のような、毎日のように顔を合わせて一緒に仕事をするチームがあるという
そういうノマドワーカーはなかなか居ないと思う
つまりNomadは孤独になりやすい
(それが好きなひともいるのだろう)
「パソコン一つあれば」とは言っても
本当にパソコンだけで解決できるのは
仕事や金銭的な一部のことだと僕は思う
パソコンでその一部分(大事な部分ではあるけど)が
解決できるとき
それ以外のことを
どう選択するのか
なにを選ぶのか
なにを選ばないのか
誰と時間を過ごすのか
誰と時間を過ごさないのか
孤独を選ぶのか
何をするのか
何をしないのか
その選択が大切なのだ
(だからこそ私の友人も10年以上かけて自分にとってベストの場所をきっと探し求めているのだと思う)
そしてNomad(放浪人/遊牧民)の類である彼や私も
なにを選択するか
なにが選択できるのか
そして選びぬいたうえで
やっぱり最終的には
きっと仕事のスタイルに関わらず
多くの人々に共通していえることであろう
「幸せである」
と
感じ
それを噛みしめたいだけなのだと思う
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