ここへ来て、ガラっと様子が変わります。
M-8は、「Talk too much」。アナログテイストな全体のサウンド。打ち込みのループ。それからキーボードのフレーズ。
壊れたような構成。
「時計の曲がり角で明日を占う ねぇ知ってる 暗示をかけられているのさ」
というこのフレーズ。歌詞とメロディが同時に生まれてきたのは、吉祥寺へ向かう自転車の道中。
このフレーズを友達の家へ向かう道すがら、何度も頭の中でループして、友達の家へ着くなり鍵盤を借りて、楽曲のイメージを少し頭に刻んだところからこの曲は生まれて行きました。
当初は情報操作?の様なそう言った事象。それから、人間の嫌らしい部分とそうじゃないところ、またその部分とのつきあい方?なんかそうした見たくもないところをあえて見るような、隠したがるところを隠し通させたくないような、そういう観点での歌詞の世界観だけに留まっていたのですが。
2011.03.11を経て、その思いがいっそう強くなり、
この楽曲には、後半。英語のインターネットラジオからの音声をサンプリングして貼付けています。
そこには、当時の地震以降の流れ。津波に対する被害情報、原子力発電所の事故に関する内容。それらの当時のニュース情報の断片がちりばめてあります。
僕なりの、情報操作に対する怒り、もちろん本当の情報を知りたい事に対する憤り、それからこの当時の日本全体に漂っていた良い知れぬ不安感。
次にどんなニュースが流れるのか、それをどういう気持ちで受け止めたらいいのか、忘れたい日常と忘れてしまってはいけない日常に対する気持ちを、ここに刻む。
はっきりとした解決策も打ち出せない、無知な自分には、せめて刻んでおく事でしかこれらの事象に対する向き合い方が見付けられなかった。
そんな思いで作ったように記憶しています。
震災復興、原子力問題。
未だに多くの人がその問題と直面するカタチで対峙していて、二度とあの頃の状態に戻る事は出来ない、そういったものが沢山あります。
もちろん、あの頃より多くの動きがあり、今ではより新しいステージへ向かって前向きに取り組む方々や原子力問題は新たな道へと発展していたりもいますが。
取り返す事の出来ない多くのものがあり、それを経て、僕たちはどうやって暮らして行くのか、何か少しでも関わって行きたい、その為に、今は引き続き知る事と、考える事だけは止めずに居る、関わる事が出来る機会には出来るだけそうしていたい。
僕にとっては、今はそれが精一杯です。
そして僕個人的には、幸いにも石巻へ行き、メロウシンフォニーの音楽を奏でる事が出来た時。そこで知り合ったり、深め合う出来た、大切な仲間たちをこれからも大切にして行きたいということ。
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