『The Danger Bees』の新作リリースイベントだった。
2016/12/02
真夜中のライブハウスで
『The Danger Bees』の新作リリースイベントだった。
2016/11/28
どうして悩むことがある
世界にあふれる矛盾を前にして
一体何を思い悩むことがあるのかと考えることがある。
どんな人も、いや殆どの人が
矛盾を抱えずには生きられぬ。
我欲のために、
私利私欲のために、
生きようという人で溢れかえっている。
そしてそれは至極動物的で
当然といえば当然だと思う。
政治家だって人間である以上、聖人君子のようになり得るのは難しい。
目の前で空き缶やタバコの吸い殻を投げ捨てる人を目撃するが如し、不誠実さの大小や、誰かのために良いことは必ずしも他の全員にとって良いことではない、という状況から逃れることはできない。
そんな中で、それを認めた上で、どれを選択していくの?っていう話でもあるんだろうな。
だから
残念に感じることもないし、
思い悩むこともないし、
ただひたすら君にとって、
君の大切な人だけにとって、
良いことを選ぶしかないんだろうね。
それを正当化するのは
それほど難しいことではないからね。
人生について。
2016/11/16
Become a mother in 4 years
It was just about the time I was going to
upload my blog when a friend of mine just uploaded her blog. She wrote that she is going to give a birth within 24 hours and it's her first baby.
At that time, I was writing my blog about an experience of 4 years because I just felt that people are really able to be different in 4 year, their habits, thoughts, circumustances and so forth.
I strongly feet it when I look back my past 4 years. Also, I assure that happened to my friends as far as I know about them. A woman who just uploaded the blog before me is one of them. Her life has been changed a lot from what I know in 4 years ago. Now she is about to become a great mother.
Being a mother is such an amazing, primitive, essential event as human being that was given to only women.
She is going to create a 'birthday' for a person.
She, as a musician friend, gave me so many beautiful and spiritual moments. I cannot thank enough. I personally know that she had some serious and difficult situations for her life.
But now I'm so happy for her that she could overcome these obstacles and finally become a mother.
What kind of person are you going to be in 4 years from now?
2016/11/15
4年経ったら
気がつけばいつもブログが後回し。
最後になんかまとめるようにやってくる。
本当はもっと頻繁に更新したほうがいいんだろうけど、そうそうしょっちゅう自分の内側に入っていけるゆとりはないし、そうでなきゃそこらのタレントみたいに無駄に行を費やして、書いている内容は140文字のツイッターみたいになってしまう。
まとめるタイミングが必要だ。
今日はお気に入りのバーで歌ってきた。行き始めた頃よりその場にいることそのものに緊張しなくなったし、居心地がよくなってきたように思う。
そこに行けば、知っている人に会えるし、気心が知れた友達もいる。同じように音楽を愛する人に会うことができる。
色んな世代の人に会うこともできる。
これからの人、ひと通りやってきた人、別の道で突き進みながらその場に立ち寄る人などなど。
見ていて本当におもしろいなと思う。
こんな生き方できるかな、とか。
どうやったらこんな人生になっていくのかなとか。
彼はこれからどうなるのかなとか。
そんな風に漠然と考えたり。
人生は一瞬では変わらないけど、4年もあれば結構違ったものにできると思う。
4年前の自分がこんな風に生きているとは想像できなかったように、大抵の方々も4年前の自分と今の自分は随分違うんじゃないだろうか。
それは僕のような世代の人たちだけかな。
どうでもいいけど、夜中にファーストフードのお店に寄って、小腹を満たそうなんてのも、今となれば当たり前のように(罪の意識を感じながら)できるけど、そんなことにだって随分緊張したもんだ。
君の4年間はどうだったかな?
あと4年経ったら僕たちみんなどんな風になっているかな。
年の瀬が近付いてきて少し感傷的になったかもしれない。
11月のとある日。
2016/10/29
The Birthday Brother
I have a family of five. My parents and my brothers are all in Japan. When my friends in Canada ask me, "Do you miss your family?" I answer, "Not really though I miss my friends in Tokyo."
I think it's just because of my personality and the circumstance I grew up in. It's not neglect or hatred whatsoever. I love my family and I respect each one of them. But I don't miss them as much as I miss my friends I met in Tokyo. I assume my family also feels the same way as mine. We are comfortable with taking a certain distance among the family as long as they live independently and keep being healthy. I really appreciate it and I even feel lucky to have them as my family.
When it comes to the relationship among family, there are various types of relationship in the globe. I have never had any kind of serious issues, conflicts and so forth with my brothers or my parents. But I still don't miss them. We are just not that close. I clearly remember lots of fond memories I shared with when I was a kid. But at the same time, it’s easy for me to think of bad memories happened when I was with them as the youngest of the five.
A family is such a special and interesting relationship. My family taught me a society through life experience and treated me with deep affection in their own ways. I'm sure that my fundamental character is given by them.
When I listened to one of my favorite songs, it recalls my oldest brother to my mind. He's the one who told me about this great musician. I never imagined that I would have been listening to it over decades. He led me to the world of music not only by listening to his favorites in our dining room when we lived together but also by singing with the guitar in front of me.
If I recommend you even one song before, it's because I really like you. That's what my oldest brother did to me and I loved it.
Happy birthday, my brother.
2016/10/07
新曲「月の踊り子/ A Dancer on the Moon」について
発売から今までの間に、ダウンロード購入してくれた方に感謝します。
こちらでダウンロード可能です↓↓
https://mellowsymphony.bandcamp.com/
今までに頂いた「ちょっと買い方わからない」の声にこたえるべく、日本語の説明もサイト内に記載したのでこれにより「今回はやり方わかったからダウンロードしたよ」の声をいただいていて、ありがたい限りです。
今作は2016年の「新曲’投げ銭’ダウンロードシリーズ」の第3弾になるわけですが、第1弾の「Love Letter on the Wall」、第2弾の「A Little Price」と続いて本作もインディーミュージックの味方Bandcampでダウンロードできます。投げ銭制とあるのは自分で値段を決めて購入できるので(0円からでもOK)、入力した「あなたの値段」が「この曲の値段」になります。
使い始めた当初は携帯にダウンロードはできなかったのですが、今ではPCでも携帯でもどちらでも購入が可能なようです。
テクノロジーの発展はありがたいですね。
さて、曲の話に戻ります。予定では9月にアップしたかったのですが、使っていたHDDの故障などにより手間取っているうちに10月の頭になってしまいました。とはいえ、無事に2016年3曲目をリリースできて嬉しく思います。
本作はカナダに来てからのメロウのスタイルとはちょっと違うかなと思っています。
何が一番違うってサウンドプロダクションとして、アコースティックサウンドを限りなく減らしてみました。
「歓喜の歌」の発表以降、メロウの曲には基本的にアコースティックギターのサウンドが核を担っていました。今回も曲の骨組み作りはアコースティックギターから作っているのですが、それを極力減らしてみようという試みが本作にはありました。
それによりいままでとは少し違った、よりダンサブルで、デジタライズされた音楽を作ることができました。その辺は曲のテーマに沿うことができたかなと思います。
また前作は鍵盤にゲストプレイヤーとしてSiBを召喚しましたが、本作はいつも通り?作詞、作曲、編曲、録音、演奏、編集、デザインとすべてMellow Symphony。相変わらずのD.I.Y精神です。
歌詞についてですが、なんというか、ここだけの話…ちょっとスガシカオ的というか、桑田佳祐的というか(もしかしたら曾我部恵一的ともいえる?)そういう私の尊敬するJPOP界に君臨する天才ミュージシャンの繰り出す「ちょっと下世話な歌の雰囲気」みたいなのを書いてみたかったというのもあります。
また歌の詞が進むに連れて、少しこの主人公が遭遇している?状況のようなものもイメージしながら、楽しんでもらえるんじゃないかと。そういった俗っぽい遊びに興ずる人物像を想像して、そういう人物の中に瞬間的に芽生える憧れにも似た淡い恋心のようなものを切り取ってみました。
短編小説のような世界観の楽しみかたができれば嬉しいです。
もちろん、楽しみ方は人それぞれなので「ああ、メロウシンフォニーの私生活ってこんな感じかな」とか 笑
そういう楽しみ方ももちろん歓迎です!!
一番嬉しいのは、みんなが聞いてどんな印象を持ったのか、あなたの言葉でそれを伝えようとしてくれる時。
そしてこの曲があなたのちょっとした思い出にひとつ、寄り添うことができれば最高に幸せです。
2016/10/04
バンクーバーを覗いてみた。
将来のことを少し考えたりしながら。
なんちうか人生って変化したほうがいいよね。
ずーっと変化しないでいるとさ、変わらないことは居心地いいことも多いと思うけど、変わった方がいい時に変われなくなっちゃうような気がするよね。
筋肉もずっと使わないと衰えるみたいに。
まぁ、そんなことを頭によぎらせたりしながら、
とにかく見てきた。
バンクーバーの印象は、
食事が美味しかった(魚とか)。
海と山と都市があった。
思ったより大きかった。ってか、結構広かった。
坂道が多かった。
なんかそんなイメージ。
大体分かるのって、そんなもんなのかもね。
街の音楽にあまり触れる機会がなかったのが残念だったけど。
東京にいたときにも後で思ったけど、
結局その街を好きになるかどうかって出会う人によると思うもんね。
新しい人との出会いがそれほど会ったわけではないので
バンクーバーが好きになるかどうかは半々くらいかな。
モントリオールのほうが「あ、この街好きかも」って最初の頃から思ったな。
トロントは好きだよ。
なんか、悪くないよ。
もっともっとできることあると思うんだけど。
もっともっと僕ができること、やるためには頑張らなくちゃいけないことあるんだけど。
30歳も過ぎて、あっという間に人生を重ねているけど
まだまだ挑戦してもいいかなぁと思っている。
まだまだ挑戦してもいいよな?
なんかリミットがあるような気がしているのはどうしてだい?
僕のなかになんか沸いているんじゃないのかい?
それ、本当に重要かな?
わくわくする方はどっちかな。
2016/09/30
実際にやってみた、夏。
アッという間に。
トロントはもう秋の雰囲気を漂わせている、ちょっとした雨季というか。8月が終わると気温の低い日がちょこちょこと出始めて、なんとなく気が付かないうちに「あれ?最近、涼しい日のほうが多くない?」と思う頃にはもう秋で、冬はすぐそこである。
今年の夏は、カナディアンの友達から聞くような夏の過ごし方をしてみたいと思っていた。
夏休みは、コテージ(別荘だよね、いわゆる)へ行ってのんびり自然と戯れる。
これが僕のやってみたかった、カナディアン(トロントにいるカナダ人かな)のステレオタイプ的な夏の楽しみかた。
カナディアンの家族はある程度裕福な家庭なら「コテージ」をトロントから少しでた田舎街の湖際に持っていて、彼らはそこで夏休みを過ごしたりする。避暑地の別荘みたいな感じだろうか。
都会の喧騒から離れ、湖のほとりでのんびり家族で時間を過ごす。湖で釣りをしたり、泳いだり、カヌーを漕いだり、カードゲームをしたり、バーベキューをしたり、キャンプファイヤーを囲んでマシュマロを少し焼いて食べたり…そんな風に楽しむ過ごし方がある。
そんな過ごし方をしてみたいなぁと思っていたら、コテージは借りれるところもあるということで、そういった「都会を離れて自然と戯れる夏の過ごし方」に詳しい友達からいくつか誘いをもらい、幸運にも何度か行ってくることができた。
みんなそれぞれにちょっとした指向は持っているが、基本的には大自然のほうへ行き、車の音もほとんど聞こえてこないような自然に囲まれて、のんびりした時間を過ごす。今年の夏はありだたいことにそんな週末があった。
なかなか素敵だった。
そういった空間には、生楽器(アコースティックギターやウクレレなど)がよく似合うのだが、僕みたいなやつが行くと大抵「あれ、歌って!」「あの曲、弾いて!」などのリクエスト攻撃にあう。それはそれで有り難いことなのかもしれないけど。
途中から、カラオケボックスやジュークボックスの気持ちになってくることがあるので、ちょっとそれはそれで考えものである。
ミュージシャンと一緒に行ったら最高なんだろうなぁと東京で出会った音楽仲間と井之頭公園でジャカジャカやったことを回想したりする。
最近、アートに触れているかな…自分に問いかける。音楽以外のアートカルチャーに触れているかな?なんだか胸がそわそわする。
2016/08/29
不思議の国のナディア
2016/08/06
犬もあるけば
トロントにも夏がきて、僕の知る限りでは例年にない暑さをもたらせて、街ゆく人たちの挨拶にも「暑いね〜」が飛び交っているような気がする。少なくとも僕の周りでは。
そんな暑いなか、快適(ではない部分があるのは認めなくてはならない)な自室へ閉じこもらないように、そして少しでもより多くの「音楽愛好家」に出会うべく、夜は時間を見つけては街へ繰り出し歌うことをしている。限界に挑戦するほど頻繁ではないけど、疲れたりしていても出ていくとなんか素敵なことがあったり、新しい感覚に出会えたりするから好きだ。
街へ繰り出して歌うというのは、この場合路上ではなくオープンマイク。トロントの街中にあるバーで開かれている誰でも参加できるイベント。
そういうのに参加して音楽(とお酒も?)大好きな人たちが集まる場所で人と交流を深めたり、腕試ししたり…そんなことがこの街では連日どこかで起きている。
先日歌いに行ったところは、地元の人に愛されているちょっとナイスなエリアの一角にあるバーである。
入ってくるお客さんたちを見ていると分かるけど、常連らしき人が多く、お客さん同士も店員も顔なじみといったようだ。
店にお客が入ってきては「おーい、元気?どうしてた?」みたいな会話を他の客としながら握手したり、拳をぶつけたり、肩をぶつけてみたり、ハグしてみたりしている。(挨拶の形も様々だ)
そんなお店でこの日は歌った。
イベントのオーガナイザーも知り合いだし、気持ちよくできたんだけど、それだけじゃなく今日は加えて素晴らしいことがあった。
お客さんのなかに一人少年がいた。小学生くらいだと思う。お父さんが常連らしく、お父さんは店内の色んな人に(例の様々あるタイプの)挨拶をかわしていた。その息子がオーガナイザーの一人に誘われ、僕の演奏中にカホンで参加してきた。
決して上手ではなかったけど、彼は一生懸命教えてもらいながら叩こうとする。
何とも微笑ましい瞬間で終わった後、少年に称賛の拍手が沸き起こり、僕も彼と(例の)握手をした。
あの感じは、石巻で「R」に参加したときみたいな、その場所に大人から子供まで、カップルや親子連れもいたり、音楽が大好きな人が集まって、…というそういう空間が確かにあったように思う。
トロントは至るところでフリーコンサートなどの生演奏を聴ける機会があり、子供がそういう風に音楽や文化的なものに触れられる瞬間がよくある。今回のようにバーで…っていうのはさすがにそこまでないけど。
僕はそういう文化はすごく好きだ。もちろん日本のように子供には子供の、大人には大人の…というのがあって、「子供の頃はできなかった、やらせてもらえなかったけど、大人になってようやくやりたいことができる」みたいな一種のバネの反発力みたいなこともあると思うけど。
なんせ音楽だし、大人と一緒にできることで彼らが子供の頃に吸収できることもたくさんあるんじゃないか。
そう思うと日本でももっとこういう空間が当たり前にたくさんあってもいいんじゃないかなどと思う。
彼が携帯を使って、他の人の演奏を撮影したり、演者の目の前に座って食い入るように見詰めている姿をみて、僕もいいぞう!と思って応援したい気持ちになった。
帰り際、男の子をカホンとして参加させたオーガナイザーの友人が「しんごに断りもせずに、勝手に少年に叩かせてごめん」みたいなことを言っていたけど、「いいことじゃん、そうやって未来のミュージシャンを育てなくっちゃ」なんて会話をして盛り上がった。
2016/07/15
つだげんしゅ
減酒している。
先日ウイスキーに関するブログを上げたが実は先月くらいから酒の量を減らしてみることを意識し始めた。
これはなんというか若干くだらないのだが、複雑な理由で連日葛藤?しているのだ。
キッカケは僕の友達「津田くん」に言われたからだ。津田くんは日本の名字こそかろうじて維持しているものの、生まれも育ちもここカナダ。いわゆる日系カナディアンである。両親はおろか、祖父母ですら全くといっていいほど日本語がしゃべれない(けど実家の犬の名前は「まりこ」という)。
そんな彼は精神科のスペシャリスト。日夜病院内外で患者さんにより豊かな人生を送ってもらうためにタフな仕事を笑顔でこなす、正義の漢である。
彼は仕事柄、ドラッグ、酒、タバコなど各種依存性のあるものについても調べてきているそうだ。
そんな津田くんと会話しているときにふと、「酒はほとんど毎日飲んでいる」という僕のお酒好きストーリーにチラッと触れた。
すると即座に彼の目の色が変わり「しんご、毎日飲んでいるのか?どれくらいの量だ?どれくらい酔うのか?」などと訊問のような質問が続き、
「あのね、辞めろとは言わないよ。でも気をつけたほうがいいよ。」「アルコールは依存性が高い上に、健康に害を及ぼす。僕はそういう人をたくさん見てきているからね。」
と言われ、僕も一生懸命自分はただの酒の愛飲家であることを主張し、依存などしていないと自己肯定を試みたが。自分でも言いながら「依存していない」という本人の言葉ほど説得力にかけるものもないなと思い、これ以上正当性の主張をしても無駄だと諦めた。
変わりに行動で示すよりほかはあるまい、ということで始めたのが減酒である。
それから1日置いてみたり、3日に一度くらいの「休肝日」なるものを設けたり、規則性こそないが確実にアルコールを消費する量が減っている。
果たして効果というか、身体に効能をもたらしているのか?
これが正直よく分からない。
こういうのは本来日本なら健康診断でも行ったナイスミドルの方あたりが「いやぁ、ガンマじーでーぴーがなんたらかんたら…」とか言ってはじまる流れのハズである。
そうでもない限り、私のような愚かな人間は、数少ないドラッグを合法化されている日本人の一員として、割りと「ダメージが表出する時期まで」習慣的に飲んでも不思議じゃないと思う。
幸か不幸かこんな機会を与えられた以上、やるしかない。(そもそも減酒の前に運動する機会を増やさないといかん)
そしてどんどん健康的になっていく私はもう破滅型ロックミュージシャンの仲間にはなれないだろう。
それに対する罪悪感というか、ロックに対する後ろめたさのようなものすら若干感じながらも私の減酒は、著しいかたちではないながらも気ままに、ゆるりと続くのである。
2016/07/06
本物に出会う
日本にもあるじゃないですか、「地産のものを買って、応援しよう!」っていうあれ。そんなことを考えていた矢先。
さて、その初老。
僕の意図も知らずに、めちゃめちゃラベルの女の子がフラダンスしているウイスキーを進めてくる。
ちなみに彼はフレンドリーで酒に詳しい人…というより、ウイスキーなどの酒をかっくらって、昼間っから酔っ払うようなタイプ…の見た目をしている(見た目がそうだからといって、本当にその人がそういう人間かはわからない)。
僕の反応も待たずに、独り言と語りかけの絶妙なバランス感で彼は説明を続けている。
僕も割って入るように彼に理由を伝えて、「アルバータ州で山火事があったからっていうのもあるし、単純にこのウイスキーを試してみたいんだよね」というと彼は、「ふん。なるほどな、そういう感情的な理由で買うのも結構だが、それじゃあ本当にうまいウイスキーには出会えないぜ。このウイスキーはな、原材料にあれを使っていて…」と引き続き解説を始めた。
正直、その説明もよく分からないので「ありがとう。考えるよ。」と言って、話をやや強引に断ち切った。
その後も数分僕はウイスキー棚を眺めながら迷った挙句、結局両方を買うことにした。
よかれと思ってアルバータのウイスキーを買おうかと思ったが、おっちゃんにそこまで言われると俄然ハワイっぽいウイスキーも気になってきた。考えてみたらうまい酒を飲めるに越したことはない。
2016/06/12
丸3日抜き
先日のこと。
帰り道で、うっかり出先に携帯を忘れてきてしまっていることに気が付いた。
なくしたわけではなく、安全な場所に置いてきただけなのでまぁいいかなと思い、取りに戻らずそのまま放置することにした。
かくして、何年ぶりかの「携帯電話不携帯」を敢行することになった。そんな時、僕の頭のなかでは心なしかワクワクが溢れてくる。普段の生活をちょっと変えてみるだけでワクワクが得られるなんて素晴らしいじゃないか。
このテクノロジー時代に携帯電話を持たないというのはなかなかパンチが強い。10年くらい前ならかろうじて見つけることができた「わたし、携帯いらないんで持ってません」みたいな大人たちも、昨今では見つけるのは更に難しいんじゃなかろうか。もちろん、田舎に住むお年寄りなどは別だが、それとてかなり普及して多くの当時持っていなかったお年寄り世代くらいに、今なっているお年寄りは持っているんではなかろうか。
まぁ、その辺の統計はどこかに任せておくとして。
携帯がない生活。
デジタルデトックスとかなんとか呼ぶ人もいるらしい。溜まるもんでもないような気がするが。
さて、まぁ、結論から言うと大したことなかった。パソコンを使っていたからだろうか。(そう、PCは使っていた)
多分、本を読む時間は増えた。SNSに費やす時間が減った。音楽を聴く時間も少し減った。移動中、時間が分からなかった。仕事の連絡ができずに不便だった。
といったところか。
もしかしてSNSくらいだろうか、自分にとって良さそうな点になりそうなとこと言えば。無駄に時間を費やさないように使えばとても便利なツールだ。まぁ、無駄に時間を費やすためのツールみたいなもんかもしれないが。
それと移動中に音楽を聴くのが多いから、携帯はその辺で音楽を聴く部分を担ってもいるんだなということ。
こういう生活をした時に、生きれなくもないが多少不便を感じくらいのバランスの方が、テクノロジーと上手に付き合えているような気がする。
PCまでなかったら、違ったろうなぁ。
テクノロジー時代の権化のような携帯電話(もちろん、まだPCが残っているけど!)。あなたなら、その欲望に打ち勝ち、テクノロジーの主人となることができているだろうか。
2016/06/06
新曲「A Little Prince」について、強力なサポーター。
なんかもとの曲は随分前にできていたんだけど、(例により?)なかなか仕上げまで持っていけず、うじうじしているところで、ようやく進めるためのアイディアが浮かび、ほぼ完成へと近づいたところで今度はタイミングが悪く、なんだかリリースできずに日々が過ぎ。そんな風にして4月、5月を過ごしていた。
5月が終わるときに、自分にとって節目のタイミングであることに気がついた。そうか4年になるんだった。この国で、やれることやってみよう。あの時のまま同じ環境に生き続けるなら、違うこと、やりたかったことやってみよう。そんな風にして、降り立ったトロントの地。それから4年。
なんとか今でも生きている。どうだ、生きているぞ!
やりたいと思ったことやりながら、しょっぱい思いもしながら、それでも成長しつづけようって少しずつ何か探して、学んで、試して、人と出会って、話して、嬉しい思いも悲しい思いもして、日常の喜びを噛み締めたりもしながら、いつも音楽と一緒にあって。生きている。
そんなことを考えていたら、「今なんじゃないか」と思った。この曲に詰め込んだメッセージ「君にあえてよかった」そういう思いは、今の節目ととてもリンクした。生きてこれたのはたくさんの出会いがあったから。人に出会って、助けてもらって、気持ちとかそういう色んなもの交換してきたから。そう思ったらなんとかここで仕上げたくなって、そこからぐわーっと詰め込んで、完成まで持っていった。
相変わらず自分の勉強不足や、技術不足の側面でぐしゃぐしゃと思う部分はあるにせよ、今回は素敵な協力を2人のアーティストから得ることができて、いい形に持っていけたと思う。
ピアノとオルガンを担当してくれたSibはシンガーソングライター。以前にもブログに書いたことがあるが、彼はとにかくとてもイイやつで、何か不思議な力を持っているやつで、好きな男だ。テクノロジーの力を借りて、遠くベルリンから力強くも軽やかでユーモアのあるサウンドを届けてくれた。
ジャケットは自分でデザインしたのだが、端っこに森に座る感じで小さな男の子がちょこんと座っている。このイラストは先日動画用に楽曲を提供したイラストレーターminさんによる作品だ。以前にひょんなことからこのイラストを描いていただくことがあり、キープしていたのだが「この節目にリリースしよう!」と決めた日に僕の好きなトロントの景色を撮影し、その写真と組み合わせて使った。
楽曲については前回同様、投げ銭ダウンロードの形式をとっているので、0円からダウンロードができるようになっている。
英語のサイトに馴染みのない人にはちょっと分かり難いかもしれないのでまた改めて(以前にも載せたけど)今度ちょっとした手順でも載せてみようかと思う。
※ちなみに前回載せたダウンロード手順はコチラ
2016/05/24
とにかくイイヤツだっていうこと
変な話日本でもたっくさんのいい人には会って、俺は彼らに会えて本当によかったと思っているけど。
どうも違う。なんか違う気質を持っているぞ、この人たち。
それは期待値が低いのか、「異文化」として受け入れることにこちらの準備ができているからなのか、そういう最初から「自分の感覚値とはズレている」と思うから…みたいな観点がある意味助けてくれるようなことがあるなと思う。
2016/05/09
Record Store Day
あの時期は、まだまだ寒い日が続いていたが、その日は特に日差しが眩しく、気温が上がってかなり心地よい午後だった。
落ち込みがちな日々を過ごしていた。どうやって日々を生活するのがいいのかなんて考えたりして。
立ち寄ってふと、「あれ?そろそろレコードストアデイじゃないか?」と思い出し、店頭の安いレコード(1枚1ドル)を物色しているとそこに「レコードストアデイにつき、50%オフ」と貼ってあることに気が付いた。1枚50セント(50円弱)ってどんだけ安いんだよと心のなかでツッコミ、なんだか少し気持ちが和らいだ気がして引き続き物色していたら好きなアーティストのアルバムを見つけたりして、ちょっと気持ちが上がった。
欲しいCDを散々探し回って移動した高校生くらいの頃のあの感覚となんら変わっていない感情だった。
会計の時に店員さんと「今日レコードストアデイだよね?」なんて話しながら、朝イチに出来ていた行列の話などを聞き、この街にも音楽大好きな人がいるんだなと嬉しい気持ちになっていた。
皿に乗り切らないほどの特大ケーキ |
なんだか日常っぽい非日常だった。
買ったレコード |
2016/05/05
春のように
2016年のはじまりから、瞬く間にすでに5月。前回かろうじて3月のつま先に触れた気がするが、あっという間に4月が終わっていた。新しいプロジェクトや出会い、別れ、新しいイベントを経験しながら学び、吸収し、もがきながらも歩き続けている。
そんな手応えだ。
必ずいつかその地を訪れたいなとも思っている。
2016/03/29
あぁ、音楽!
ちゃんと噛みしめようとしていると、目まぐるしいスピードで1週間が過ぎて行ったりする。
そんな勢いで日々を過ごしている。
毎日誰かと会って、話して話して、ギター弾いたりとか、歌をうたったりとか、
簡単に言うとそんな風に日々を過ごしている。
そんな中、前作「Love Letter on the Wall」からもうすぐ3ヶ月経っちゃうんだけど。今は新しい曲に取り掛かっている。今年リリースしたい2曲目のうた。
今回はシンプルに仕上げながら、コラボレーションも試みているので今はその段階。
そんな中、しばらく気になっていた僕の敬愛するアーティスト中村一義の新作「海賊盤」を配信ゲットした。日本にいたらCDで買いたいんだけど今回は遠方からということで配信でゲット。のっけからワクワクするような歌が満載で、じわじわくるような曲もあって、聞いているそばからもう脳内ドーパミンが止まらない感じ。
新しい視点を見せてくれるような、新しい音楽感を提示してくれるような、それをポップス/ロックフィールドでやってのけるこの人はホントすごいよ。
「あの頃流行った懐かしい何か」ばかりに頼っている現代の(特に日本の)音楽業界が持っている気質にグサリと突き刺す感じがあるよ。
と私は信じてやまないのです。
みなさんにもオススメです。
とにかくね、そうやって素晴らしい音楽に囲まれたときに、
胸がわくわくするようなその感じって何にもかえがたいんじゃないかなって思う。
世界中の人に他にも似たようなものがあるんじゃないかとも思うけどね。僕にはそれ、音楽かな。
音楽が押してくれるツボが最高に効くんだ。
2016/03/08
His Story's Melody(Japanese Lyrics)
愉快な願望 僕はもう不快
このままじゃ何も終われない
花に歌を 木に声を 夢見る子供たちへのブルーノート
春の物語忘れずに 今も胸に響き続けているよ
見失わないで
増える過去 消える未来
今できることに全てを
ただの夢だったなんて 悟り顔で言いたくない
だから行こう ほんの少しでも少しでも
ほら 背伸びしてさ 上向こう 空晴れ渡る
甘い幻に埋もれ 憧れだけ抱いている
ここに今いるよ 全ての確かなものは現在
君は明朗 僕は妬む
独りで苦しむことも知らず
僕ら並ぼう いつの日か 朝日に告げるメロディックマイナー
はにぃ(Japanese Lyrics)
そっちを向くなよ はにぃ 受け止めるその眼
汚れた僕の視線を浄化して 満たされて目を閉じるまで
見てるだけでいい 君の楽しそうな笑い顔を
今はそれでいい 自信を持って言えるよ
話を聞いてよ はにぃ 受け止めるその眼
しなびた僕の心をそっと触れて 潤しておくれ 解けるまで
話を聞かせて はにぃ 昨夜の夢物語
思い出して
見てるだけでいい 今はそう思うんだ らららら
いつか満たされれば この欲は限りなく
意識の曲がるこの街に星が流れ…
意識も曲がるこの街で星を眺め…
2016/02/24
WIONI歌詞キャンペーン終了
悪いものをそぎ落とすように、長くなった爪を切り、削り、ちょっとすっきりした気持ちになりながら何だか日々のことを思い出していた。
ここひと月くらいあっという間に過ぎていったんだけど、2016年がはじまってからの2ヶ月もあっという間に過ぎようとしている。
たくさんの機会を思い出している。
出会いの機会や別れの機会、そういったものから学びの機会、発見の機会、思考の機会、挑戦の機会、自分自身を解放する機会、創作する機会、与える機会などなど。
あっという間に過ぎていくと感じるほど、すでに色んなことが起きているんだろう、2016年。
結局ひと月くらいかけてアップロードした「歌詞キャンペーン」が終了し、WIONIを思い出す機会もひと段落。
聴いてくれるリスナーがいて、そういうリスナーがはっきり「聞いていますよ!」と言ってくれるということで、背中をおされるような気持ちになったりもする。
ありがたいじゃないか。
今年はあとどんな機会に出会えていけるかな。
WIONIを作った時に、毎日のように目黒川のほとりを自転車を押しながらヘッドフォンやイヤフォンでレコーディング中の作品を連日聴きまくっていたことを思い出す。
最近はそんな風な時間の掛け方をしようと考えていないけど、あの時得たものや得られなかったものを考えながら次のステップに繋げていきたいと思っている、いつもそう思っている。
理想の形があって、そのために必要なものがあって、その必要なものを得るために必要なものがあって、その必要なものを得るために必要なものを得るには必要なものが…ぶつぶつぶつ
そういう時に思考が止まりかける。
しっかりしなくちゃ。進めるために。
風邪にやられていた10日くらいの期間をようやく乗り越えたので、またどこかに歌いに行く回数も増やしていきたいと思う。
そこでまた機会の歯車がぐるりと動いたりもすると思うから。
2016/02/17
エンゲージ(Japanese Lyrics)
2016/02/07
notebook(Japanese Lyrics)
2016/02/04
Lullaby of Bubble(Japanese Lyrics)
2016/02/02
何もない部屋(Japanese Lyrics)
2016/01/30
YOUCO(Japanese Lyrics)
2016/01/28
Pale(Japanese Lyrics)
2016/01/24
2016/01/23
Talk too much(Japanese Lyrics)
2016/01/21
Sug(Japanese Lyrics)
Seven(Japanese Lyrics)
暗い街を出るんだ これから見た事ない
世界に出会うこと それが胸躍らす
知らない道を選んだ 旅に終わりはない
掴み取る最終チケット それが胸躍らす
風が時には強く まぶたを塞ぐよう
雲が流れては 消えて行く
遠く 高く 時計の針が静かに宙を舞う
I across seven bridges
7つの橋を渡ろう
楽な方 セーフティルート選ぶ事の方がキケンさ
君も行こう
Wild Side 海に沈んだセピア写真じゃない
青と緑の世界 胸に取り戻そう
Eyes Wide 出会いの数が運命へと誘う
荒れる旅路があっても 過去に疑いはない
太陽が放つ光を 君は何と呼ぶ
合わせ鏡の前で笑う 探している答えは目の前で立つ男を見よ
I across seven bridges
7つの橋を渡ろう
楽な方 セーフティルート選ぶ事の方がキケンさ
We'll across seven seas
7つの海を渡ろう
楽な方 セーフティルート選んじゃ旅は進めない
ねぇ君も
2016/01/20
ただそれということ
地球上でそれは常にどこかで起こっているんだと思う。
それについて「なぜ?」と問うてみるのは決して無駄じゃない。
それは、本質に近付く道のり。
正しい道、進むべき道はどちらか、その為の灯りを照らす。
何故僕は生きているのか。何故僕は今五体満足で暮らせているのだろうか。
人が生きるとはどういうことだろうか。
答えはずっと奥深い、闇の中にあるのかもしれないし、もしかしたら全く気が付かずにいるすぐ側にあるかもしれない。
何にも理由なんてないかもしれないし、大きな力の介在によって今もこうして生きて、あなたへのメッセージをタイピングしているのかもしれない。
生きていることに意味があるとすれば死ぬことにも意味があるんじゃないだろうか。
僕が見送ってきた人々は、何かの役目を終えたのかもしれない。またはやらなければいけない役目そのものが死であったのかもしれない。
悲しみの果てや、遺伝からくる病気や、予期せぬできごとや、そんな何かを通しても生きる人もいるのに、どうして死ぬ人もいるのだろう。
その違いはなんだろう。
音楽を通して伝えたいことも。
それを大切に、役割があるとしたらそれを全うしたいと思う。
そんな地球上のほんの一つの生命活動の一部が、微かに動くその瞬間こそが、
とてつもなく大きなこと。
そしてそれが全てかもしれません。
これからもできることが何か、
それを通して誰かに喜んでもらえるような、
よい人間になれるよう、進んでいきたい。