昨日のSoda監督の「Peace」を見て、日本に対する思いが、ぎゅーって高まったからか分からないが。
夕べの帰り道は、久々に、というか、日本語のうたを聴きたくなった。聴くしかなかった。(震災後の石巻を初めて訪れた時にも同じ感覚をうけた)
英語の歌を、聴けない瞬間というか…自分の中に湧いた心象は、洋楽では片付かない瞬間がある。
で、ブルーハーブを聴きたくなったんだけど、たまたまiPodの検索ですぐ見付ける事が出来ずに、代わりに?ブルーハーツを聴いたんだ。名前似てるしっ。
どっちも言葉にとんでもなく力のある方々だよね。
ヒロトさんの、大人の悪ガキみたいな。改造人間でもないのに、へんしーん!って言ったら、ホントに変身してみえちゃいそうな。そういう歌声とか、振る舞いとかが耳から入って来て、うーん、大正解だった!夕べのBGM。
んで、今日はまたSoda監督の映画見に行ってくるんだけど。その前に、中村一義の音楽を聴いている。
シャッフルしてたら流れて来た最新作「対音楽」に収録されている「歓喜のうた」は、偶然にも僕が作った「歓喜の歌」と同タイトルであるが。中村さんの「歓喜のうた」は、まるで、鎮魂歌のような。浄化作用があるような曲だ。
そしてふと、あの曲が、彼にとって遺書のような。人生を終える直前の「大往生だったぜ!ありがとう。じゃあね!!」って歌っているみたいに感じて、
この人は、もうすぐ死んでしまうのではあるまいか…
などと、有る事無い事勝手に考えて、心配になってしまった。
それ位、この人の作品に見せる世界観(もしくは中村さんのおじいちゃん直伝の人生観か?)は、卓越していて、人の人生一周くらい既にしているようにすら思えてくる。
ニーチェを読む時にもたまに感じるが、真理を言える人ってのは、人間の人生を既に何周かしてきているんじゃないかと思ってしまう。
それと、もう一つ。早死にする人は、神様に好かれてる人。
早くその魂を、次の肉体に宿したいと思われる人。なんて考えたりもする。
それは、「性格」とか「人柄」だけでは片付かない何かを持っている人たち。
だと思っている。
と、考えると僕の大好きなポールマッカートニーや、岡本太郎は。彼らは、同じ肉体のまま、そのまま長く現世に必要とされていたんではないかと思う。
そんな事考えながら過ごす、コーヒーショップの窓際。
さ、映画見てこよ。
2013/03/29
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