そんなものがどこからくるか分からない
時には
近しい友人だって
とてつもなく偏った
暴論を振りかざすことだってある
そんな島国や
そんな肌の色や
そんな山奥
そんな村は
しばしばあること
上手な「処理」を知らない自分は
真っ向から向かい合い
冷静さと衝動の狭間で
どう対処できるかと短時間で思案する
もうすこし
上手になれたらいいんだけど
そのやり方をまだよく知らない
さて
暴論というのはなんで出てくるか
本人の知見が非常に狭いか
近視眼的か
はたまた
議論を一緒に揉んでくれるひとがいないだけか
あれこれ(悪いことばかり)考えていたときに
ふと気が付いたことは
なにかを
守っているのかもしれない
ということ
攻撃は最大の防御
怒りは
なにかを守りたいことの現れ
そんな話を耳にしたことがあるが
あながち
間違いではないのかもしれない
さて
それが事実として
当てはまるケースがあった場合
果たして
そのひとは
なにを
守っているのだろう
守ろうとしているのだろう
認めること
自分とは違う生き方のひとを
守ることで
脅かされることは
なんだろうか
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