先日のこと。
ストリートカーへ乗っていた。
高校生くらいの男女が5〜6人くらいのグループで乗ってきて、後方の座席を陣取っていた。
グループの若者はおっきな声で喋っていて、彼らの話が聴こえてきたのだが。
そのなかの男の子が一人「J-POPってマジ最高なんだぜ」と言っている(もちろん、英語で)。
おや?
ちらりと目をやると、彼らはトロントニアンだと思われる。ただ、力説している男の子はアジア系のちょっと大柄な男の子。
「ホントだって!マジ最高なんだよ。このバンド見ろよ。CDのセールスだけで500万枚売り上げているんだぜ!」
と言って、PCを持ち出して、PVか何かを見せている。
「世界で一番礼儀正しいやつらが?」「13歳までSEXしない人達でしょ?」「えー、K-POPはどうなの?」「それで、この人達なんて歌っているのー?」
とか他の友達が茶化している。
彼の力説は続く。
「オレも何言っているか分からないけど、まぁ、アレでしょ。なんか、愛がなんとか〜みたいな、そういうことでしょ。でも歌詞は正直、全然分からないけどとにかくサウンドがカッコいいんだ!」
何のバンドのPV見ていたんだろう。
J-POPも捨てたもんじゃないな。
と思った、私。
2014/01/31
2014/01/27
「はい」か「いいえ」で言ったらNoh!!
Noh, or Nogaku—derived from the Sino-Japanese word for "skill" or "talent"—is a major form of classical Japanese musical drama that has been performed since the 13th century.
ということでね。
能の展示があったので見てきました。
日本を出て来る前に、日本のことをよく知ってから海外に出なくては!と思っていたけど、こっちに来ると、それはそれで、クールジャパンというか…、日本の素晴らしい伝統文化を伝えましょう!という方々がいたり、やっぱりちょっとした「日本のオシャレなところ」よりも、もっと「昔から伝わる某」みたいなものを見たり聞いたりする機会が結構あるんですね。
まぁ…じぶり…とか?
黒沢映画とかね。
(三島由紀夫とか)
と、まぁ。とにかく。
能ね。能楽。
そういうのがやっていたので、これはやはり見ておかねば…ということで。
まぁ、能楽の実際の映像や、そこで使われている能面とか、装束とか、そういうのが幾らか展示してあったわけです。
普段は、土曜日は閉館しているところだったそうなのですが、それもあってか、お客さんは僕…ともう一人くらい、いたかな?
とにかくゆっくり観れて、僕としては大満足でした。
実際にちょっとした教室みたいなところで、映像で、能楽を流していたのですが、その間も僕は一人で、大画面の能を、画面の目の前に座り、しばらく見ていたのですが。
あの、能で演じられている独特の間…といったらもう…たまらないというか、不思議でしょうがないですよねぇ。
あと謡の部分の、節回しとか。あれらも、きっと細かく計算されて、形式化させたものを、センスのある人々が一生懸命練習して、やっているわけですよね。きっと。
なんとも言えない超長い節回しのゆる〜いような雰囲気から、急転直下、(能面の効果もあってか)鬼気迫るほどの表情で、そしてリズムへと変化したり。足音の低音と、ホーミーみたいな「いよぉ〜〜〜〜」っていう声(ヤ声って言うのかな)の絡み。太鼓と笛と。
いやぁ、
日本
だわ。
こりゃ、
なかなか他国が真似するもんじゃないわ。
まぁ、他国は他国できっと古から伝わるそういう芸能とかね。あるんだろうね。
私の日本人としてのアイデンティティとしても、こういうのをもっと味わって、知っておくのは、いいこと…というか、大事な事だな。と感じた次第です。
いぃぃぃぃぃぃぃいいいいよぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ということでね。
能の展示があったので見てきました。
日本を出て来る前に、日本のことをよく知ってから海外に出なくては!と思っていたけど、こっちに来ると、それはそれで、クールジャパンというか…、日本の素晴らしい伝統文化を伝えましょう!という方々がいたり、やっぱりちょっとした「日本のオシャレなところ」よりも、もっと「昔から伝わる某」みたいなものを見たり聞いたりする機会が結構あるんですね。
まぁ…じぶり…とか?
黒沢映画とかね。
(三島由紀夫とか)
と、まぁ。とにかく。
能ね。能楽。
そういうのがやっていたので、これはやはり見ておかねば…ということで。
まぁ、能楽の実際の映像や、そこで使われている能面とか、装束とか、そういうのが幾らか展示してあったわけです。
普段は、土曜日は閉館しているところだったそうなのですが、それもあってか、お客さんは僕…ともう一人くらい、いたかな?
とにかくゆっくり観れて、僕としては大満足でした。
実際にちょっとした教室みたいなところで、映像で、能楽を流していたのですが、その間も僕は一人で、大画面の能を、画面の目の前に座り、しばらく見ていたのですが。
あの、能で演じられている独特の間…といったらもう…たまらないというか、不思議でしょうがないですよねぇ。
あと謡の部分の、節回しとか。あれらも、きっと細かく計算されて、形式化させたものを、センスのある人々が一生懸命練習して、やっているわけですよね。きっと。
なんとも言えない超長い節回しのゆる〜いような雰囲気から、急転直下、(能面の効果もあってか)鬼気迫るほどの表情で、そしてリズムへと変化したり。足音の低音と、ホーミーみたいな「いよぉ〜〜〜〜」っていう声(ヤ声って言うのかな)の絡み。太鼓と笛と。
いやぁ、
日本
だわ。
こりゃ、
なかなか他国が真似するもんじゃないわ。
まぁ、他国は他国できっと古から伝わるそういう芸能とかね。あるんだろうね。
私の日本人としてのアイデンティティとしても、こういうのをもっと味わって、知っておくのは、いいこと…というか、大事な事だな。と感じた次第です。
いぃぃぃぃぃぃぃいいいいよぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2014/01/23
何かが起きて、そして変わった
ここへ何しに来た?
考える事がぐしゃぐしゃあって、でも出来るだけまとめたいのだけど、贅沢をいえば頭でもう少し整理してから、ここに書き記したいが。そうも行かない。そんな自分を待つのは得策じゃないともう知っている。
歩きながら、修正する。
誕生日が過ぎた。
日本との時差もあって、トロント時間で言う「前日」から日本の友達にお祝いのメッセージもらったりして、日本ではあまり味わったことの無い「今日、オレ誕生日なんだ。」「へー。おめでとう!」じゃなくて、「明日誕生日でしょ。おめでとう。」みたいな、そういう手応えのような、そういった祝福を頂いた。
去年もそうだったんだ。SNSってありがたいよな。
去年のブログとか読み返してみたりして。
去年の事は覚えている。
Roosterというカフェに一人で行ったんだ。ガトーショコラとコーヒーを食べて、読みたい本を読んで、体感-20℃以下の道を早歩きで歩いて帰り(あえて、ストリートカーは使わずに)、帰りに通りかかった教会の表に「Son of God」という文字を見て、一人でじーんときていたんだ。
去年その時、僕は「これから何かが大きく変わる気がする」って思ってた。
で、変わった。
あの頃の時間の使い方とは、激しく違う。一日にやりたい事が、やらねばと思う事がたくさんある、そしてそれに日々取りかかる。そんな暮らし方を今はしている。
思っていたのとは違う方向で変わった。いや、正直、予測しきれなかった。予測しきれない事は分かっていた。でも予測していない方向へ広がったり、イメージしていた部分が少しだけ形成されてきたり。イビツだが、確かに、変化した。大きく、急激ではなく、緩やかに、だが確実に。
今年は、自分の誕生日の前日から、お祝いのメッセージを頂いたり、同じようなタイミングに産まれた友達とお互いを祝いに食事に行ったり、一週間くらいを使って、じわじわとお祝いしたり、されたり。そんな「誕生週」を過ごした。
あまり誕生日を迎えた実感がないのは、そういう「特別な一日」ではなく、「めでたい数日間」みたいな過ごし方をしているからなのかな、と思っていた。
違うな。
SNSやメール、携帯電話、直接言ってもらったり、バースデーカードや。
去年も今年も祝ってくれた人、去年は祝ってくれたけど、今年はとくにそういう話をしなかった人、今年初めてお祝いしてくれた人。
こんなに沢山居るじゃないか。
幸せになって欲しい人達が。
こんなにたくさんいるじゃないか。
自分を一度リセット…というか改めて向かい合ってスイッチを入れ直す日として、これまでの誕生日を過ごしていたんだけど。
そうでもないな。
やった事がいい事は、もう少しずつハッキリしていて、その為に必要な事を、少しずつ、ちゃんと進めているんだ。
そうして、遠くに、近くにいる、大切な人々に感謝する日。
ここへ何しに来たんだい?
あぁ、そうだね。
やろうね。
2014年も、人生史上最高の年にするんだ。
月に一度は。みんなに音楽を通して、楽しんでもらえるような、そういう風にしていきたいと思います。
Mellow Symphony
考える事がぐしゃぐしゃあって、でも出来るだけまとめたいのだけど、贅沢をいえば頭でもう少し整理してから、ここに書き記したいが。そうも行かない。そんな自分を待つのは得策じゃないともう知っている。
歩きながら、修正する。
誕生日が過ぎた。
日本との時差もあって、トロント時間で言う「前日」から日本の友達にお祝いのメッセージもらったりして、日本ではあまり味わったことの無い「今日、オレ誕生日なんだ。」「へー。おめでとう!」じゃなくて、「明日誕生日でしょ。おめでとう。」みたいな、そういう手応えのような、そういった祝福を頂いた。
去年もそうだったんだ。SNSってありがたいよな。
去年のブログとか読み返してみたりして。
去年の事は覚えている。
Roosterというカフェに一人で行ったんだ。ガトーショコラとコーヒーを食べて、読みたい本を読んで、体感-20℃以下の道を早歩きで歩いて帰り(あえて、ストリートカーは使わずに)、帰りに通りかかった教会の表に「Son of God」という文字を見て、一人でじーんときていたんだ。
去年その時、僕は「これから何かが大きく変わる気がする」って思ってた。
で、変わった。
あの頃の時間の使い方とは、激しく違う。一日にやりたい事が、やらねばと思う事がたくさんある、そしてそれに日々取りかかる。そんな暮らし方を今はしている。
思っていたのとは違う方向で変わった。いや、正直、予測しきれなかった。予測しきれない事は分かっていた。でも予測していない方向へ広がったり、イメージしていた部分が少しだけ形成されてきたり。イビツだが、確かに、変化した。大きく、急激ではなく、緩やかに、だが確実に。
今年は、自分の誕生日の前日から、お祝いのメッセージを頂いたり、同じようなタイミングに産まれた友達とお互いを祝いに食事に行ったり、一週間くらいを使って、じわじわとお祝いしたり、されたり。そんな「誕生週」を過ごした。
あまり誕生日を迎えた実感がないのは、そういう「特別な一日」ではなく、「めでたい数日間」みたいな過ごし方をしているからなのかな、と思っていた。
違うな。
SNSやメール、携帯電話、直接言ってもらったり、バースデーカードや。
去年も今年も祝ってくれた人、去年は祝ってくれたけど、今年はとくにそういう話をしなかった人、今年初めてお祝いしてくれた人。
こんなに沢山居るじゃないか。
幸せになって欲しい人達が。
こんなにたくさんいるじゃないか。
自分を一度リセット…というか改めて向かい合ってスイッチを入れ直す日として、これまでの誕生日を過ごしていたんだけど。
そうでもないな。
やった事がいい事は、もう少しずつハッキリしていて、その為に必要な事を、少しずつ、ちゃんと進めているんだ。
そうして、遠くに、近くにいる、大切な人々に感謝する日。
ここへ何しに来たんだい?
あぁ、そうだね。
やろうね。
2014年も、人生史上最高の年にするんだ。
月に一度は。みんなに音楽を通して、楽しんでもらえるような、そういう風にしていきたいと思います。
Mellow Symphony
2014/01/20
その境目でわけるのか
境目がハッキリしている時
それは、白か、黒だったり。
あっち
と
こっちだったり。
これ、
と
それ
だったりするんだけど。
ひとたび、それの間になるものが現れたり、
その枠がぼやけたり、壊れたり、ひびが入ったりすると、
途端に、
本当にハッキリ分けていたものがなんだったのか、分からなくなるんだな。
そうなると、また新しい線を、びしって引くために、改めて全て精査するように、仕分けがはじまったりしてさ。
結局、「これ」ってどっちだったっけ?
そもそも、どっちかにしかならないんだっけ?
分ける必要なんてあったっけ??
なんてなるのさ。
時差による、影響も、その一つかもしれないね。
うれしいよ。
それは、白か、黒だったり。
あっち
と
こっちだったり。
これ、
と
それ
だったりするんだけど。
ひとたび、それの間になるものが現れたり、
その枠がぼやけたり、壊れたり、ひびが入ったりすると、
途端に、
本当にハッキリ分けていたものがなんだったのか、分からなくなるんだな。
そうなると、また新しい線を、びしって引くために、改めて全て精査するように、仕分けがはじまったりしてさ。
結局、「これ」ってどっちだったっけ?
そもそも、どっちかにしかならないんだっけ?
分ける必要なんてあったっけ??
なんてなるのさ。
時差による、影響も、その一つかもしれないね。
うれしいよ。
2014/01/16
終わりの日々
ところで!
そう。
2014年最初のブログを書いてみて思ったんだけど。
2013年が終わって、15日ばかり経過したってことは。
僕らは生き延びたわけですね。
少なくともマヤの予言からは。
あれ?あれって、2012年が終わりだったっけ??
まぁ、ともあれ。予言は外れたことになるんだよね。
予言した時って、どんな気分なんでしょうね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
予言者:うーん、う〜〜〜〜〜ん…………
王様:どうだ?見えるか??
予言者:うーん…
王様:うん?
予言者:だめですね。
王様:なんじゃと?
予言者:見えないですね。そっから先は。
王様:どういう意味じゃ?
予言者:いや、私にもどういうことか…
王様:もう一度よく見てみろ。(家来にむかって)おい、生け贄をもう一人追加しろ!
予言者:いやぁ、なくなるんじゃないですかね。ここで。
王様:なんだとぉー!!?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
みたいなやり取りでもしていたのかなぁ…
と思って、調べていたらなかなか興味深いことが書いてありました。
一つ。
マヤ暦を西暦に換算する時、4年に約1日増える「うるう年」を考慮に入れていなかったため、正確な最期の日は「2015年9月3日」。
…ほう?
あー…ってか、他にも幾つもあるな。2020年とか。なんだ、こりゃ。
いつなんだ?
それとももう終わってるのか??
アセンションしてんのかな、ホントは。誰か。どっかで。
興味深いことがもう一つ。
マヤ歴の1年(1トゥン)は360日(20日の18ヶ月)。その年の最後に最後に5日のワイエブ月(ウェヤブ)を追加することで365日となる…と。
1キン…1日
1ウィナル…20日
18ウィナル…1トゥン
1ウィナル…20日!?
は、20日で区切るカウントだとぉぉぉおおおおお!!!????
ということで、最初のブログに繋がります。
なるほどね。私の脳内リズムはマヤの人々と同じだったのかな。
つまり私は、2ウィナル目から、変化していくバイオリズムなのかな〜
はじまりの20日間
2014年になって、気付けば最初のブログ。
しばらく書いていなかったな。
はじまりの20日間はね、だいたいここ数年こんな感じというか…年始からもくもくと考えて、考えながら動くんだけど、20日頃にようやくなんというか修正すべき方向とか、このまま行こうとか、そういうのを決めるまでの準備時間というか、お試し期間みたいに使う。
時間かかるなぁ、それって。
20/360
って考えたら、 1年の1/18を使っちゃっているってことだもんね。
まず、今年最初の反省がそれかな。いや、それじゃあなぁ…たはは。
とはいえ本年も、創作は引き続いています。
でも、ちょっと情報過多かな、僕の両肩。なんだか、そんなのもあって、頭がスッキリしていない日々を過ごしているのも、今日この頃の感じ。
しばらく書いていなかったな。
はじまりの20日間はね、だいたいここ数年こんな感じというか…年始からもくもくと考えて、考えながら動くんだけど、20日頃にようやくなんというか修正すべき方向とか、このまま行こうとか、そういうのを決めるまでの準備時間というか、お試し期間みたいに使う。
時間かかるなぁ、それって。
20/360
って考えたら、 1年の1/18を使っちゃっているってことだもんね。
まず、今年最初の反省がそれかな。いや、それじゃあなぁ…たはは。
とはいえ本年も、創作は引き続いています。
でも、ちょっと情報過多かな、僕の両肩。なんだか、そんなのもあって、頭がスッキリしていない日々を過ごしているのも、今日この頃の感じ。
2014/01/01
年末のまたぎ
日本が年明けを迎えて、
トロントが2013年の12月31日。
そんなタイミングだ。
各種SNSでは、誰かが誰かに向けたメッセージが飛び交っている。
もしくは、彼らが彼ら自身に向けているのかもしれない。
SNSは、コミュニケーションツールからはけ口、情報発信、宣伝媒体などとそれぞれの用途に応じて形を変えて、使い手の都合通りには行かない読み手側の感受性がぶつかり合い、なんだかあっちへ行ったりこっちへ行ったり。
既読なんていう機能にまで、感情への介入が許されるようになった。
ツイッターでつぶやく回数が減った。
遠くにいる大好きな仲間たちとのコミュニケーションは、SNSを使って取れると思っていたが、段々減ってきた。
それが、関係性の何かを意味しているかと言えば、そうではない。
距離に応じた、向き合い方というのがあるのだろう。
かえって、これまで遠かった人達、尊敬する先輩方など、コミュニケーションを取れるケースも稀にある。
それがSNSの一つの形とも言えるのかもしれない。
社交でもプライベートでも無いような、そういう空間がそこにはあるんじゃないかな。いや大きく見れば、それも社交の場…か。
2ちゃんねるの事にもう少し詳しかったら、見え方も違ってくるのだろうか。
例えば、気にかけている友達がいる。
多分、その友達は僕が気にかけている事など、知る由もないだろう。
その友達の心情の一部は、SNSへ吐露される事で、タマネギの一枚目の皮なのか、果たして地球のコアなのか、どれくらいの深さの部分か、読み手側には分かりもしないまま受け止める。
想像力が加わって、おもしろいんだけどな。
知っているようで何も知らないかもだし、
知らないようで結構色んな事知っているのかもしれない。
分かるかい?
こんな事を、書いているこの文章ですら、
僕はBlogに置いているのさ。
年の瀬に、何思う。
マヤの予言は、当たらなかった…のかな。
トロントが2013年の12月31日。
そんなタイミングだ。
各種SNSでは、誰かが誰かに向けたメッセージが飛び交っている。
もしくは、彼らが彼ら自身に向けているのかもしれない。
SNSは、コミュニケーションツールからはけ口、情報発信、宣伝媒体などとそれぞれの用途に応じて形を変えて、使い手の都合通りには行かない読み手側の感受性がぶつかり合い、なんだかあっちへ行ったりこっちへ行ったり。
既読なんていう機能にまで、感情への介入が許されるようになった。
ツイッターでつぶやく回数が減った。
遠くにいる大好きな仲間たちとのコミュニケーションは、SNSを使って取れると思っていたが、段々減ってきた。
それが、関係性の何かを意味しているかと言えば、そうではない。
距離に応じた、向き合い方というのがあるのだろう。
かえって、これまで遠かった人達、尊敬する先輩方など、コミュニケーションを取れるケースも稀にある。
それがSNSの一つの形とも言えるのかもしれない。
社交でもプライベートでも無いような、そういう空間がそこにはあるんじゃないかな。いや大きく見れば、それも社交の場…か。
2ちゃんねるの事にもう少し詳しかったら、見え方も違ってくるのだろうか。
例えば、気にかけている友達がいる。
多分、その友達は僕が気にかけている事など、知る由もないだろう。
その友達の心情の一部は、SNSへ吐露される事で、タマネギの一枚目の皮なのか、果たして地球のコアなのか、どれくらいの深さの部分か、読み手側には分かりもしないまま受け止める。
想像力が加わって、おもしろいんだけどな。
知っているようで何も知らないかもだし、
知らないようで結構色んな事知っているのかもしれない。
分かるかい?
こんな事を、書いているこの文章ですら、
僕はBlogに置いているのさ。
年の瀬に、何思う。
マヤの予言は、当たらなかった…のかな。
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