好きな人が出来た。
アレは、俗に言う「みどりのおばちゃん」的な役目の人なのだと思う。
朝、Dundas Eastのストリートを自転車で駆け抜けて行くと、横断歩道のところで歩行者用の信号を押して、歩行者が横断する手伝いをしている。
おばちゃんは、アフリカ系の方で、白い歯がニッとすると目立つ、恰幅のいいおばちゃんだ。
何度か僕がそのストリートを通過する時に出くわした事があるのだが、おばちゃんが通り際の僕たち自転車野郎に向かって、にっこりと手を振って「安全にね。良い一日を。」と声をかけてくれる。
僕はそのおばちゃんの無償の愛が好きで。何か応えたくて、すれ違い様に僕も「ありがとう。あなたも(素敵な一日を)。」と返したりする。
僕は、そういうのがよくあるトロントの感じがとても好き。
名前も知らないおばちゃんだけど、気さくに歩行者の方々とも話したり、通過するだけの僕らにも目掛けて気さくに声をかけてくれるなんて素晴らしいじゃないか。
おばちゃんの言葉にも「my dear」とか「sweat heart」みたいな語尾がついていて、親し気のある呼びかけが伝わってくる。決して、「注意」という類いで声をかけているワケじゃない感じが優しい。
彼女がそんな風に優しさをふりまいて声をかけてくれるので、僕らも「おばちゃんが、ああ言っていたし、気をつけよう」と一瞬でも思う事が大事なんじゃないかと思う。
気のせいかもしれないが、トロントのおばちゃん達に僕は良いイメージを持っている。年を追うごとに、何と言うか愛嬌が何重にも折り重なって行くような…何だか、まぁ、もちろんそういう人ばかりではないのだけれども。
先日のボブディランのコンサートでも隣り合ったおばちゃん(おばあちゃんくらいかな?)も、気さくな方でおしゃべりしてくれて、帰る頃には「会えてよかったわ。帰り気をつけてね。おやすみ。」と言ったような言葉をかけあってサヨナラした。
日本にも、愛嬌のあるおばあちゃんのイメージや、いいおばちゃんも沢山いるんだけど。
どうしても何となく「オバサン」の様な、女性が老いる事へのマイナスなイメージが少し強くあるように思う。
やりたい事を思い切りやる事、自分の意志を主張する事、相手を尊重する事、美味しいものを美味しいと言って食べる事、ルールやモラルを守る事、誰かを一生懸命愛する事、自分が少しずつ老いて行く事へのイメージも。
なんかそういうのが、同率に受け止める事が出来るってのは、簡単じゃないだろうけど、そういう世界がいいかもな。そして、それって少しずつ作って行けるような気がした。
おばちゃんに、クリスマスが近付いたら「メリークリスマス」って言えるかな。
2012/11/22
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