2021/04/25
人は集まる
どうにかしたい
多くの人はきっと
どうにかこの状況を乗り越えたい
しかし、ただただ漫然と
ジッとしている
そんな日々を過ごすというのは
ある程度の期間を超えてしまえば
そんなにいつまでも続けられるものでもなく
精神的にも
肉体的にも
疲れて
気分転換が必要になってくる
自分がジッとしてもしなくても
そんなに変わらない?
そんな風に見えてくれば
それならばと
外へでたり
どこかへ寄ったり
ちょっとソコまで食べに行ったり
アレはダメだけど
コレくらいなら
そんな風に少しずつ線引がボヤッとしてきて
なんとかある程度は快適に
それでいてヒドく遊び過ぎて
感染が広がるキッカケを作りすぎないよう
頑張るけど…
我慢しきれないことがもう一つ
人に
会いたくなる
大切なひと
好きなひと
尊敬するひと
楽しいひと
話聞いてくれるひと
リラックスできるひと
いつものひとたちと
過ごしたい
かくも人間とは
社会的動物である
政治は意図をもって
枠組みを用意する
ルールをつくって
守りたい人がいる
守るために
律する人がいる
またその枠組みから逃れよう
または出し抜こうとするひとがいることも
ルールを作る人は知ってる
でもそれが
どういう属性の
どれくらいの人々が
どういう規則性をもって現れるのか
そこまでの予想はなかなかできるものじゃない
そうなるとやはり
変えられるのは
自らの選択
その選択の連続と
その集合体が
今の街に
表出する
果たして
どの属性をもったひとが
どれくらいの期間で
これから動くのか
大きな変化には
もう少し時間がかかりそうだ
2021/04/20
来ないでください
相変わらずの日々が続いている
時は一刻一刻と過ぎていき
人の日々が流れて
命が産まれ
命が育ち
命が失われ
命を謳歌する我々のなかには
誰のこともさておき、
とにかく今を大切にするひともいれば
嵐の中で必死に動き回ってくれている人もたくさんいるが
恐らく多くの人は
自分や自分以外の人々の健やかなる日々のため
なんとかこの嵐が過ぎゆくのを
時間という
大切なコストをかけて
おとなしく
時を待つように
暮らしている
都や国の
都合のために
優先順位を誤った
曖昧な政策に
翻弄された都民をはじめとする
他の道府県の人々が
まんまと焦点を見失い
じわじわと疲れ果て
もうひと踏ん張りする力すら
残らなくなってきている
曖昧な政策を放ち
それを曖昧な理由で解き
2の手3の手を用意していたかのように
さらに曖昧な戦略が飛び出て
それすらも今破られようとしている
本当はロックダウンしたいのだろう
都知事はついに「エッセンシャルワーカー」という単語や「来ないでください」という表現を使い始めた
妙な標語めいた単語ではなく、
「来ないでください」という直接的な呼びかけ。
これはもう緊急事態。
宣言どうこうではなく、都知事が都民や近県からの越境を否定するという事象が緊急事態であると思う。
去年、別の大臣が「もう誰も緊急事態宣言やりたくないでしょう」と、煽るような発言をした時に、国民から反感をくらっていたが、当時のイギリスやドイツ、ニューヨークのリーダーのように、感情に訴えかけるつもりが、マネたようなセリフを言ってもこの国の人々には全然ハマらなかった。
そして今、都知事がそういう状況である。
あと100日もしないうちに、
「この都市に(世界中から)どうぞ来てください」と言いたいが為に、今本当は「来ないでください」とも言いたくないだろう。
できるだけ早く、厳しく人流を防ぎ、
世界中のアスリートを迎えるときには「もう大丈夫です」と言いたい…いや、言いたかっただろう。
それにはあまりにも打つ手が遅過ぎた
後の影響を抑えるために
頭から緩くやり過ぎた
予定通り、目論見通り進むはずのことが
あまりに進まな過ぎた
少ない解決策が
うまく進まず
特効薬は未だになく
与党が自分たちだけに税金で行った
徹底検査が国民に行き渡ることはなく
世界中が効果を見つつ
期待を示すワクチン接種も
あまり順序よく行き渡らず
ましてやワクチンはおろか
病気・ウイルスそのものに
情報操作だという言葉を掲げ
全く分断された意見を持つ人も
選挙に立候補するくらい居る
この中に
悪気のある人はそういないだろう
でも誰もが納得する
解決策が打ち出せる人もまたいない
このまま一人一人が
自分のルールの中で
ボヤけた境界線の上を
行ったり来たりしながら
なんとか自体が
好転しないかと
待つしかないのかな
2021/04/04
清明
カレンダーにふと「清明」の文字。
そういえば清明節という中国かどこかのお祝いがあるというのを目にしたことがある。
気になって調べてみた。
せいめい
二十四気のひとつ。春の5番目の節気。
万物に清新の気がみなぎる時節。
清明とは、清浄明潔を略したものだそう。清らかで、明るい。
木々や花々が成長し、動物や昆虫、人間の動きも活発になる時期なのだ…と。確かに。
またこの時期にしとしとと静かに降る雨のことを、
「桃花の雨」「発火雨」とも呼ぶそうな。
しとしとと降り、散りかけの桜の花を川へ流す雨も
また春の一側面ということか。
中国だけでなく、台湾、香港、そして沖縄でも清明節は大切にされているみたい。
中華圏では祝日になって、先祖の供養をしたり、日本の「お盆」みたいに過ごされるんだって。
そして沖縄では、清明祭をしーみーと呼ばれていて、お祝いするらしい。
こういう漢字の「清明(せいめい)」が「しーみー」になる感じ、好きだな。
どことなく、沖縄にはやはり日本(本州のほう)と中国的文化の中間なのか、どちらでもないのか、とにかくそういう独自性を感じる。やはり、琉球王国だからかな。
その「シーミー」は、先祖供養のお祭りとして、お墓参りして、お墓の前で宴会をするそうな。
お墓の前で宴会とは、ご先祖様も喜びそう。
僕の好きな二代目桂枝雀さんの落語に、そういうお墓で酒盛りをする「天神山」という噺があったっけ。あれも舞台は春だったな。「花見」の代わりにヘンチキの人が「墓見」で一杯やるっていう。
みなぎっている気を
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