僕には兄が二人いて、それぞれに違う人生を歩んでいるのだけど、たまにタイミングが合うと三人で合流し、飲み食いしながらよもやまのことを話す。
半年振りくらいに会ったのだが、ゆっくり三人だけで会うのは実に何年振りのことだったろうか。
とても嬉しい時間だった。
兄弟の関係性とは本当におもしろいものだと思う。
他の何にも代え難い、一番最初の社会的な構造というか、お互いどこか全然違うけど、どこか底辺でものすごく似通った発想を持っていたり。
僕の根幹を作った経験にしっかりそれはあり、今もそれは確実に影響を及ぼしている。
僕たちは超仲良しというほど、頻繁に会うわけではないけど、どこかでお互いを思い合っているのは伝わってくる。
時には一挙手一投足の全てが苛立つような時期もあった気もするし、お互いに自己顕示欲を振りかざして不毛な戦いを繰り広げたこともあったが、そういう全てが今に繋がって僕にはある種の「分身」のように彼らのことを捉えている節がある。
僕は大好きな友達の結婚式でも感動して泣くようなことはなかったが、兄たちの結婚式だけは何か言葉を発しようとすると涙が出てしまいそうになり、それを堪えるのに必死だった。何でか分からないけど。
二人を見ていると本当に頼もしいし、よく分かっているけど理解できなくて、それでも尊敬している遠い友人のような。
これも愛の形なのかなと思う。
兄弟がいる人は姉妹が、上の兄妹がいる人は下の兄妹が欲しかったなんて話を聞くことがあるが、僕は本当に二人の兄たちがいてよかったと思う。(これは前にも書いたことがあるけど)
もう一つ好きなのは、僕ら兄弟が仲良さそうにしていると喜んでくれる人が一人いる。
母である。
何が嬉しいのか、母は僕らが三人で会ったことを報告すると何だか自分が友達と会ったときのように満足気なのだ。
そういえば偉大な母の言葉に「兄弟なんだから仲良くしろし(甲州弁)」というのが頻繁に出てきていた。「今日はお兄ちゃん(もしくは弟)の誕生日だからおめでとうって言ってあげなさい。兄弟なんだから。」とか「お兄ちゃんなんだから、弟に〇〇してあげなさい」とか、理由になってんだかなってないんだか、そんなことをよく言っていた。
小さい頃には家族社会のなかで最下層にいた僕だったが、その反面で母はそうやって強い人が弱い人を守ってあげるのだ、という事を伝えてくれていたのかもしれない。
何で嬉しそうなのか、その感覚は僕が母親にでもならない限り理解は難しいのかもしれないな。
また兄弟で会ったら母に自慢しようと思う、喜ぶに違いない。
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