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ふと意識して
日付を眺めれば
10月が終わる
一年前の今頃じゃあ
全く想像できなかった日々
想像できない日々が
きっと待っている
そんな風に
言い聞かせて
八方塞がりの道へ
飛び込んでいたっけ
不安定なままでも
なんだか
嬉しいことがあったり
穏やかな
気持ちになれるのは
そうやって
飛び込んで
真摯に向き合ってきたから
そう信じている
いつだって
痛みを伴いながらも
真摯に向き合い
暗い中でも
前向きなエネルギーを
探して
信じようとする人は
さまざまな形で
報われることがある
自分もそうでありたいし
そうある人を
応援したい
さて、
ようやくアルバムが
整ってきたので
配信の準備へと入ります
準備ができたら
お知らせするので
ぜひ聴いてくださいね💖
静かな部屋で
静かな空間で
外の景色は
緑に囲まれて
風と太陽を感じられて
穏やかな時間が流れている
そんなとき
どうして少し
不安になるのか
活字の上を
目が滑り
頭に浮かび上がるのは
曖昧なままのやりとり
たまらず僕は
外の空気を吸おうと
その静かな空間から飛びだす
見えていた緑
風や太陽
それだけじゃなく
その緑の匂い
周りを飛ぶ小さな生き物
鳥たちの声
周囲を走る車の音
優しい風の冷たさや
その風が枝葉を揺らす音
降り注ぐ太陽の温かさ
そんなものを感じたとき
少しだけ
心が解き放たれた
あなたなら
もうちょっと
心を軽く
できるかも
しれないのにね
忘憂之物
眺めながら
ちびり
よもやまの
思い浮かぶことを
言葉にしないようにと
ぐびり
日々を
忘れ続けることに
一生懸命なひとは
これ以上
なにを忘れようとするのか
大切なこと
忘れずにいられるかな
もう覚えていたくても
忘れていくことが多いのに
このままでも
なんの問題もないと
感じているならば
それはなにか
肝心なことを
すでに見落としているような
もう忘れてしまっているような
どうしても
忘れられないこともあるけど
忘れたくないことや
当たり前にしたくないことは
覚えておく工夫や
思い出し
改めて噛みしめる
そんな瞬間を
設けてみるのも
いいんじゃないかな
死ぬときに
満足できる
大切な要素の
ひとつだもの
どうして
どうしてそうなの
ボクがほしいもの
それちょうだい
キミがもっているから
それちょうだい
だっていますぐ
ほしいんだもの
ボクのひみつ
だれにもいわないで
ボクがいいってときだけ
だれかにはなすから
キミがほしいもの
それもうおしまい
だってそれ
ボクがすきじゃないもの
ボクがいいよって
いったときだけ
なんでもしていいよ
そうじゃないときは
ボクのいうとおりにしてて
ボクちょっと
あっちいきたいから
ちょっといくけど
キミはちょっと
そこでまってて
もういいやって
おもったら
よぶから
あれ
どうして
どうしてきいてくれないの
どうして
どこかへいっちゃうの
どうして
ひみつにするの
どうして
どうしてそうなの
キミはほんとうに
…ひどいんだ
------
冷たい世界は
種の殻を硬くして
錆びかけの扉から
取っ手さえ落とす
持っているのは
城じゃない
それを作るための
小さな石や砂
優しく重ねずに
投げたら
どこかへと
転がって飛んで
塵となる
優しい音色が響く
その向こうに
あなたが
いますように
穏やかな光に包まれ
歌が聴こえる
その先に
あなたの
笑顔がありますように
誰かの手によって
形を成すものが
つくりもの
ではなくて
暖かい心が
入っていないとき
赤黒く脈打つ血が
通っていないとき
その言葉や
響きや
外側に表出するものが
無機質な
容れ物のようになる
僕の手や
君の手から
紡がれるそれが
有機的なものとして
あなたに
届きますように
何かが動いて
何かがうまれる
新しい日々から
新しい
何かがうまれる
いい香り
食欲をそそり
気持ちが高揚する
食欲の秋
今夜のアテはせせり
もうすぐ木々も紅葉する
振り返っても
あのとき経験した景色は同じ
いずれ見え方は変わるけど
残った形は何も変わらない
少し塩っ辛いから
お猪口をグイッと傾けて
混じり気のある気持ちを飲み込む
なんてね
自由に
生きてね
涙を流す
日々を終えたら
もうすぐ
笑いが溢れる
笑いが溢れたさきに
もう一度出会う
むずかしいことも
乗り越えられるような
穏やかな日々が
きっと
やってくる
知らない世界に
飛び込むのは
勇気がいるのさ
たとえば同じ場所にいても
やらなかったことを
やってみることも
知らない世界に
飛び込むことと一緒さ
それでも
やってみたいかな
やってみようかな
飛び込んだらどうかな
そんな風に
思えるなら
きっとそこに
なりたい自分がいる
こうなったらもっと
好きな自分に会える
どこかで
頭のすみっこ
奥のほうで
それを感じているんだ
あなたは
なりたい自分が
いるかい?
退屈なひとは
噂話に忙しい
テレビを見ては
他人のする
幸か不幸のものがたりに
あれやこれやと口をだし
自らのことを棚に上げて
磨くことも忘れてしまう
そんな思考停止に
慣れすぎてしまえば
隣の芝は
より青々と見えて
周りにいる人すら
テレビの中の人みたいに
安全圏から眺めて
ああだこうだと
好き勝手にものをいい
またしても自分のことだけ
テレビの外
関心がありそうな顔をして
実のところ
そこまで関係はないのだと
その人のために
喜んだり、悲しんだり
祝福や同情や賛辞や尊敬
より添う心も
どこかへ置いてきぼり
週刊誌をめくるように
気になるところだけ
つまみ上げて
気がつけば
デリカシーのない言葉で
ついには
知りたいことや
言い放ちたい言葉だけを
相手の気持ちも考えず
無作法に投げつけなさる
そいつはちょっと
粋ではないね
ああまさしく
退屈なひと
人間に興味があるひと
は
そんなふうではないよ
他人に興味がなさすぎるひと
も
それは考えものだがね
テレビよりも
自然を見つめているほうが
たくさんの変化や
発見があって
心が喜ぶと思うな
そして
それを分かち合えるひとがいるほうが
豊かじゃないかな